竜とドラゴン

竜の頭と尾を追跡する10 羅睺と計都

ラーフの神話は紀元前のインドで広まっていたので、初期漢訳仏典にもその一部が垣間見えることがある。ただ、そのほとんどは神話的蝕観念にとどまっているため、ほかの論文に譲る*1。 唐の時代にもなると、インドの占星術文献を一部にせよ全部にせよ翻訳した…

竜の頭と尾を追跡する9 ラーフとケートゥ

「竜の頭と尾」の起源を探るため、どうしても避けて通れないのがインド占星術の影響である。この問題が存在するのは、日本語訳のタイトルが『占術大集成』となっているヴァラーハミヒラ(Varāhamihira)の『ブリハット・サンヒター』(Br̥hatsaṃhitā、6世紀…

竜の頭と尾を追跡する8 ゾロアスター教のゴージフル

シリア語やマンダ教、マニ教文献からうかがえるように、紀元後一千年紀の半ばには、西アジアの一部で「蝕を起こす竜」の観念が広まっていた。これを踏まえて、そろそろヨーロッパの「カプト・ドラコニス」「カウダ・ドラコニス」(竜の頭、竜の尾)へと発展…

竜の頭と尾を追跡する7 マンダ教、マニ教、中世ギリシアにおけるアタリア

グノーシス主義の系統をひくイラクの小宗教であるマンダ教文書にも、シリア語のアタリアーに相当する竜が登場する。マンダ教では「マンダ教アラム語」という、シリア語と同じく東方アラム語の一種が典礼言語として用いられている。この言語では、「アタリア…

竜の頭と尾を追跡する6 シリアの竜アタリアー

ふたたび紀元後の世界に戻ろう。紀元前のメソポタミアでは、食を起こす竜についての明確な証拠は見つからなかった。しかし、この言葉自体はのちのち竜に結び付けられるようになる。 前回引用したメソポタミアの占星術書では、食に「アンタルー」という言葉が…

竜の頭と尾を追跡する5 食を起こすメソポタミアの怪物たち

さて、第3回までは紀元後数世紀の観念を見てきたが、少し時代をさかのぼってみよう。ここで出てくるのは神話的食観念のほうである。 食を起こすのが怪物だという伝承は、西アジアだと古代バビロニアにもその一部を確認することができる。古代といってもセレ…

竜の頭と尾を追跡する4 いろんな観念の区別

ここから先、混乱がないように、「食を起こす竜」の観念について、以下の三つの区別をしておく。 一つは、文字通り、日食や月食は、天空の竜によって引き起こされるというもので、とりあえずこれを「神話的食観念」とする。 もう一つは、この竜は月の交点と…

竜の頭と尾を追跡する3 アナビバゾンのその後(竜は出てきません)

第1回の追記。古代メソポタミアに竜が食を起こす神話は見当たらない、と書いたが、それと同じような神話ならば存在する、という話を見つけた。サラ・キューンの『中世西方キリスト教とイスラームにおける竜』(2011)が引用しているもので、それによると、古…

竜の頭と尾を追跡する2 アナビバゾン

というわけで、今回は第2回目も載せておきます。 紀元前後の時代、ギリシアの占星術師たちは、昇交点にはアナビバゾン、降交点にはカタビバゾンという名称を与えた。その意味は、普通に「上昇」「下降」であった。上下というのは、月が黄道を北向きに行くか…

竜の頭と尾を追跡する1

西洋占星術のホロスコープに現代でも使われる「ドラゴンヘッド」(dragon’s head)と「ドラゴンテイル」(dragon’s tail)という用語がある。それぞれ「竜の頭」と「竜の尾」という意味で、竜の身体の両端のことである。 それではこの竜頭・竜尾とは何かとい…

ウェールズのドラゴンとウェセックスのドラゴン

J. S. P. Tatlock, 1933, The dragons of Wessex and Wales, Speculum, 8 (2): 223-235のあまり省略してない要約。年代記などの史料に基づいた分析で、ウェールズのドラゴンと呼ばれているものが実際はイングランド起源だったこと、ドラゴンはたいして重要な…

「ドラゴン」と訳されるいくつかの単語についての語源説(日本語、ソルブ語、ハンガリー語、フィンランド語)

日本における竜のように、シニフィエ(意味されるもの:この場合、「竜」という概念)がなかったと思われる言語文化にそのシニフィエとシニフィアン(意味するもの:この場合、「竜」という語)が入ってくると、1つには音声を保持したままにする、2つには日本…

トルコの竜に関する論文を翻訳してみる

イスタンブールから帰ってきました。 トルコ語を忘れないためにいろいろしようと思っているのですが、このウェブサイト関係では、トルコ語論文の翻訳を載せてみようかと思います。 こういう素人翻訳って、元の言語が英語だった場合そのうち誰かがちゃんと商…

竜とナーガ

チベット語には、竜かドラゴンと訳せる言葉がル(klu)とドゥク('brug)の二つある。しかし両者の違いは明確で、ルが水中にすむ蛇の精霊で病気を起こすこともある存在だとすれば、ドゥクは雷を引き起こす、天空の蛇である。シナ・チベット語族の歴史言語学によ…

トルコ語の「蛇」の語源は中国語の「竜」??

前の記事で紹介した、ユランが中国語に由来するという説は、実はトルコでは結構確立しているものらしい。前の記事ではさらっと英語ウェブサイトを調べただけで流してしまったけど、トルコ語ウェブサイトを眺めてみると、あるある! たとえばトルコ語版Wiktio…

怪しいトルコ語の語源説

いい加減「トルコ」というカテゴリーを作ってみた。竹内和夫の『トルコ語辞典』(イスタンブールに持ってきたのはコピーだけど)の巻末にある「語尾・接尾辞一覧」というのを眺めていた。トルコ語文法というのは誤解を招くような大雑把な言い方でいえばこの「…

ジランダではなくユラン

Wikipediaにジランダという項目がある。タタール語に由来する、カザンの象徴としてのドラゴンらしい。しかし綴りがZilantなのになぜか「ジランダ」と表記されている。しかも英語版を読むと、タタール語ではユランないしジュランと発音し、ロシア語に転写され…

竜と龍その2

「ヘタっぴなアルコール蒸留」さんのところで「竜と龍」についての反応があったので、応答。 たとえば『世界の龍の話』、『龍の起源』、『アジア遊学 特集:ドラゴン・ナーガ・龍』、『龍の文明史』、『図説 龍の歴史大事典』などドラゴンのことを「龍」と表…

参考資料

『ドラゴンの殺し方』訳出時に参考にした資料(全部ではないですが) 前々から思ってるんですけど、今回私が無断で勝手に出版社にも著者にも許可なく訳したような論文をプロの人が誰か集めて日本語版特別編集『ドラゴン神話論文集』みたいな感じで出版してくれ…

カルヴァート・ワトキンス『ドラゴンの殺し方』より

今回訳したのはCalvert Watkins, 1995, How to Kill a Dragon: Aspects of Indo-European Poetics, Oxford: Oxford University Pressより、第5部Some Indo-European Dragons and Dragon-Slayersにある45〜48章(pp.441-468)。カルヴァート・ワトキンス『ドラ…

印欧比較神話学におけるドラゴン退治 その他

さて印欧比較神話学におけるドラゴンですが、もっとも最近のものとしてはこんなのを見つけました。Benjamin Slade, 2009, Split serpents and bitter blades: Reconstructing details of the PIE dragon-combat, Studies in the Linguistic Sciences: Illino…

ジョン・ショウ「印欧語族のドラゴン殺しと治癒者」

今回はジョン・ショウの論文を翻訳。印欧語学系の雑誌に載っている2006年のもの。ジョン・ショウはあまり有名な学者ではないようだ。 これを引き続き訳してみたのは、ヴィッツェル論文を訳しているときに「こんな比較だと、せっかく堅実に分析されている印欧…

ミヒャエル・ヴィッツェル「ユーラシアのドラゴン退治」

日本人がドラゴンだ竜だ龍だといっているのを尻目に(?)、欧米にはdragon(, drache, draak, drakos, etc.)一語しかないので、そのような面倒な区別をせずにどんどん話が進んでいっています。ちなみに中国でも二つの字体を同時に使うことはないので「龍」(繁体…

竜と龍

Wikipediaで、竜の項目は龍に改名すべきという提案があったのを最近見つけた。それによると、龍は東洋のリュウであり、竜は西洋のドラゴンと東洋の龍の上位概念であり、ドラゴンを龍ということはないのであり、竜と龍は別の項目にすべきであるらしい。ドラゴ…

龍蝕(後編)

この記事は適当に思いつくまま書き連ねていっているので、だんだんと書いているほうが混乱してきました。 ところで、以前紹介したように、カバラ思想の原典である『形成の書』(3〜6世紀)には、宇宙全体にかかわる「テリ」なる謎の語が現れています。神は宇宙…

龍蝕(中休み編)

前回の続きになりますが、宇宙を取り囲む巨大なドラゴンという考え方は朧気ながらも中央アジアやトルコのテュルク系諸民族に伝わっていたようです。Journal fo Folklore Researchのウロボロス論文ではイスラーム圏の事例がすっぽり抜け落ちていて残念なとこ…

龍蝕(前編)

日食が始まる前にこういうのを書いとけば少しはこのブログを見てくれる人が増えただろうに……と思いつつ、流れに棹差せない形で、あまり知られていない「日食と竜=ドラゴン」について少し書いてみようかと思います。そもそも天文学や占星術では、天球上、食が…

よく使われるパスワード第7位

よく使われる危険なパスワードトップ500より。1位 123456 2位 password 3位 12345678 4位 1234 5位 pussy 6位 12345 7位 dragon ←!??!! 8位 qwerty 9位 696969 10位 mustang英米圏ではdragonってpussyと並んで馬鹿が使う言葉の代名詞みたいなものなのか…

『日本の美術 510 龍』

『日本の美術』最新刊は勝木言一郎「龍」となっています。http://www.shibundo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=9784784335107 空想・伝説上の神秘的な霊獣である龍。その雄大で霊妙なイメージは、古来、日本の多くの 芸術家たちに愛され、数々の美術品が今日ま…

竜はいつからドラゴンと訳されるようになったのか 〜わからない〜

タイトルで期待してくる人を避けるために「わからない」とつけてみました。以前も同じようなことを書きましたが、たとえばライプニッツやキルヒャーのような17世紀の知識人たちは、中国語の竜をドラゴン(ここではラテン語のdraco系の言葉すべて)に翻訳してい…