竜の頭と尾を追跡する2 アナビバゾン

というわけで、今回は第2回目も載せておきます。

 紀元前後の時代、ギリシア占星術師たちは、昇交点にはアナビバゾン、降交点にはカタビバゾンという名称を与えた。その意味は、普通に「上昇」「下降」であった。上下というのは、月が黄道を北向きに行くか南向きに行くか、という違いである*1天文学占星術の文献にこの言葉が出てくる最古の事例は、今のところ後42年のホロスコープらしく、そこには確かにアナビバゾンという言葉が書かれている*2。また、この言葉・概念は、かの有名なプトレマイオス天文学の古典『アルマゲスト』(150年ごろ)にも確認できる。ただ、おそらくこの時点では、まだ単なる天球上の一つの位置にすぎず、具体的に「何かある」と見られていたと確証することはできない。
 アナビバゾン自体が存在感を発揮するのは、ラテン教父テルトゥリアヌスの著作『マルキオン反駁』(207〜208年ごろ)が、現在知られているなかではもっとも古い。テルトゥリアヌスは、マルキオン派の人々が占星術によって人生を決めることを指摘するなかで、「というのも、おそらく昇交点が彼に対向したか、何かの邪術のせいか、あるいは土星が矩の位置にあるせい、火星が60°にあるせいである」(第1章第18節)と嘲笑する。この記述において、占星術に従う人たちは、土星(サトゥルヌス)や火星(マルス)と並び、昇交点(ラテン語でもアナビバゾン)からも影響を受ける、ということが示されているのである*3。少なくとも2世紀終わりか3世紀前半には、交点が惑星と同じインフルエンサーとして実体があると見なされていたことが、この記述からは間接的にわかる。
 とはいえ、テルトゥリアヌスの時点では、交点は「疑似惑星」のようなものではあったが、人格化されていたり、竜とみなされたりするようなことは書かれていなかった。次なる文献は、マルキオン派と同じくグノーシス主義に分類されるマニ教の文書の一つ『ケファライア』である。この文書は「章の書」といった意味で、この宗教の教えや注釈が書かれたコプト語の文献である。教祖のマニ自身が語ったのはシリア語らしく、そのため『ケファライア』は原書を上エジプトで翻訳したものと考えられている。構成の経緯は複雑だが、およそ3世紀後半から4世紀に成立した*4
 ※「交点」の出処が古代ギリシア占星術だったりマルキオン派だったりマニ教だったりして混乱する人もいるかもしれないが、たとえば天動説や七惑星説が古代の多くの宗教や宇宙論で支持されていたように、交点や(のちに出てくる)竜のイメージも、特定の宗教に縛られたものではなく、あちこちの世界観で受け入れられるものだったことを念頭に置く必要がある。
 『ケファライア』第69章は黄道十二宮と五惑星について書かれている。グノーシス主義の一進化形態であるマニ教は、基本的にこの世にあるものは「悪」側の存在であると考えているので、当然、惑星などの天体も人間にとって有害である。マニ教では、惑星は「暗黒の領域」の「5つの世界」(煙、炎、風、水、闇)に、それぞれ属していることになっている。「しかし、2つのアナビバゾンは、炎と渇望――乾燥と湿気――に属しており、そうした物事のすべての父と母である。これらの7つ――5つの星と2つのアナビバゾンと名付けたもの――は、悪行者である……」*5。ここでアナビバゾンは、惑星とならんで、世界に悪さをなす存在に仕立て上げられている。ただ、その姿ははっきりしない。「ドラゴン」になるまでの道のりはまだまだ途中である。

続く。

*1:交点のギリシア語にはシュンデスモス「結ぶもの」という言葉があって、こっちは紀元前4世紀のエウドクソスが用いるぐらい古かったようだが、話の流れの都合上、ここでは取り扱わない。

*2:ギリシア語原文Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 8.4 (1921), p. 236, l. 12; 英語訳O. Neugebauer & H.B. van Hoesen, 1987 (1959), Greek Horoscopes, p. 78。

*3:Ernest Evans (ed. & tr.), 1972, Tertullian: Adversus Marcionem, p. 46-47.

*4:Timothy Pettipiece, 2009, Pentadic Reduction in the Manichaean Kephalaia, p. 13.

*5:Pettipiece, p. 180.