竜の頭と尾を追跡する1

 西洋占星術ホロスコープに現代でも使われるドラゴンヘッド」(dragon’s head)と「ドラゴンテイル」(dragon’s tail)という用語がある。それぞれ「竜の頭」と「竜の尾」という意味で、竜の身体の両端のことである。
 それではこの竜頭・竜尾とは何かというと、太陽と月が「交差」する、天球上のポイントのことである。天文学占星術では交点(ノードnodes, nodal points)という。
 コペルニクス以降の宇宙論では、地球は約一年かけて太陽のまわりを回っている。そのため、固定された星座との関係で考えると、時期によって、見かけ上の太陽の位置は異なってくる。さて、西洋占星術が前提としていた天動説では、地球ではなく太陽のほうが天球を回っている。この太陽の軌道を「黄道」と呼ぶ。黄道近辺にある星座(上述のとおり、1年間をとおして徐々にずれていき、1年経つとまた元に戻る)に、12等分した黄道上の位置を割り当てたのが「黄道十二宮」である。また、月は天動説でも地動説でも地球のまわりを回っている。そのため、月にもはやり天球上の軌道がある。これは「白道」と呼ばれ、黄道からみて5度ほど傾いている(ただ普通に「月の軌道」というほうが多い)。黄道白道も、天動説的には天球に貼り付いているので(大円という)、二つの大円は正反対の二点で交差することになる。これが「交点」である。月の移動方向によって、片方を昇交点といい(南から北[北極星の方向]へ。ドラゴンヘッド)、もう片方を降交点という(北から南へ。ドラゴンテイル)
 交点が宇宙論や神話学的に面白いのは、ここで日食と月食が起きるからだ。同じ交点に日月があれば、地球―月―太陽という位置関係になるので日食が起き、反対側の交点にあれば、太陽―地球―月になるので月食が起きる。今では(というか紀元前から)月や地球の影が天体をおおいつくすということがわかっているが、そういう説明とは別に、「交点で食が起きるとすれば、そこに何か見えない物体があるのだろうか」というイメージも生まれてくる。それがドラゴンヘッドとドラゴンテイルである。
 ……という説明までならば、歴史に詳しい西洋占星術の本などに書かれているかもしれない。しかし問題は、そもそもなぜそのように呼ばれているのか、いつからそうなったのか、ほとんど誰も教えてくれていないということである。Wikipedia日本語版の「月の交点」にはこうある。
「古代末期から近世には、月の昇交点をドラゴンヘッド(dragon's head、ラテン語 Caput Draconis)、月の降交点をドラゴンテール(dragon's tail、ラテン語 Cauda Draconis)と呼んだ。現在でも占星術ではこう呼ぶことがある」。
なるほど・これで交点のラテン語がわかったが、「古代末期」というのは大雑把すぎる。出典も文献も書かれていない。英語版でも“In ancient European texts”「古代のヨーロッパの文書では」とあって、ますますいい加減である。
 ドラゴン、つまり「竜」が出てくるということは、すぐに「食は、天空の竜が日月を食べて起こるとされた」という神話伝説があると思いたくなる。しかし、ギリシアローマ神話には、実はそんな話はない。さらに、その周辺の聖書神話にも、ウガリット神話にも、ヒッタイト神話にも、メソポタミア神話にも、北欧神話にも、ケルト神話にも、ない。古代エジプトならば、大蛇アポピスが太陽神を飲み込むという神話があるが、頭と尾がそれぞれ役割を果たすという話はない。ならば、いったいなぜ交点は「竜」と呼ばれているのだろうか? いつからこの言葉が使われるようになったのだろうか?
 この問題について、昔からよく引用されているのが、占星術研究についての古典、オーギュスト・ブシェ=ルクレールの『ギリシア占星術』(A. Bouche-Leclercq, 1899, L’astrologie grecque)である。それにはこうある。「ローマ帝国時代後期のギリシア人たち、そして何よりもアラブ人たちは、黄道の交点を重視して、竜の頭☊および尾☋と呼んだ。アジアのギリシア人やアラブ人における竜の名声が、その指標となろう」(p. 122)。これによると、名称の起源は確かに古代末期らしい。しかし、その後バビロニアグノーシス主義カルデアの託宣などが引かれるが、はっきりと食や交点に関するものはない。というか、ブシェ=ルクレールは、この箇所に注を付けておらず、どうも推測をここに述べているように思われる。
 また、テスターの『西洋占星術の歴史』(原著1987、山本啓二訳1997)*1は、バビロニア占星術を紹介するとき、「天界に広がる龍のティアマト」の「頭と尾は180度離れた赤道上に」あり、「‘龍の頭と尾’caput, cauda draconisは後の占星術では重要性を増し、惑星とともに自らの場所を占め、それら自身の記号☊と☋を持つようになった」と書いている(p. 162)。そして、この観念は「後にインド占星術に何らかの力をもって現われてからは、そのままアラビアを通じて中世末期とルネサンス期の西欧に入って来ることになる」とする(p. 163)。しかしティアマトが竜の姿をしているというのは俗説であり、『エヌマ・エリシュ』などを見てもそのような記述は存在しない。また、ティアマトがカプト・ドラコニスとカウダ・ドラコニスや交点につながるという実証的な議論もされていない。そのため、テスターの記述もまた、言葉の起源を説明するものにはなっていない。テスターはさらに、後期ギリシア占星術では「頭」と「尾」が知られていたとも書いているが(p. 217)、それがラテン語の表現とどうつながるのかどこにも書いていない。
 さて、そうならば、もう少し、ドラゴンヘッドとドラゴンテイル、というかラテン語のカプト・ドラコニス(Caput Draconis, 竜の頭)とカウダ・ドラコニス(Cauda Draconis, 竜の尾)の起源を探ってみなければならない。

以下、不定期更新で、全10回以内に収まるように、関連するあれこれを書いてみたいと思います。

*1:この本はBHで「基本文献中の基本文献」とされているくらい、ちゃんとした内容である。http://www.geocities.jp/bhermes001/astrobunken3.html