龍蝕(後編)

この記事は適当に思いつくまま書き連ねていっているので、だんだんと書いているほうが混乱してきました。
ところで、以前紹介したように、カバラ思想の原典である『形成の書』(3〜6世紀)には、宇宙全体にかかわる「テリ」なる謎の語が現れています。神は宇宙に「心」と「輪」と「テリ」を割り当てた……。日本語訳では「軸」と訳されているこの言葉ですが、いろいろ見ていくとドラゴン的存在であるという説もかなりあるようです。「軸」説の場合、テリは現代の天文学でいうところの地軸であり、『形成の書』の場合、天球が文字通り「球面」だと考えられていた時代の話なので、この軸を中心として天球が回転するのだということになります。もう少し正確にいうと軸が大地まで貫いているというわけではなく、天球がテリという軸からぶらさがっているとイメージされていたようです。『ヨブ記』には「大地を空虚の上につるされた」とありこの「つるされた」がヘブライ語ではタラー(talah)なのでテリと関連するというわけです。
この発想と関連するのが『ヨブ記』にあるナーハーシュ・バレーアハという言葉。これ日本語訳では「逃げる大蛇」となっていて文脈上レヴィアタンのことなのですが、中世ユダヤ教など(?) では「軸の蛇」(英語でPole Serpent)と思われていたらしく、古いミドラッシュ文献ではレヴィアタンヒレから世界がぶら下がっている、ということも書かれていたらしいのです。このナーハーシュ・バレーアハは北極星に程近いりゅう座であるとも考えられていたようです。
そして天球上のもう一つの軸といえば、というより中世占星術では軸といえばこちらだったのが、黄道の極です。この場合りゅう座黄道十二宮(ゾディアック)をぐるりと取り囲むように位置しており、同じように宇宙を吊り下げる位置にいることになります(『大天使ラジエルの書』にもそれっぽいことが書いてある。ドラコン・ディエノル)。また、前編で書いたように宇宙的ドラゴンのイメージには宇宙軸としてのドラゴンと宇宙を取り囲むドラゴンのふたつが重なっていて、中世ユダヤ教の場合も同じだったらしく、『形成の書』の注釈には黄道傾斜がテリであるということが多く書かれています。というわけでようやく直接日食に関するところまで来ました。
11世紀スペインの大学者イブン・エズラは二つの上級天球の交わる二つの点を「ロシュ・ハ=テリ・ウ=ゼナヴォ」という、と書いています。これはずばり「テリの頭と尾」という意味で、そしてそれが上記の「ナーハーシュ・バレーアハ」のことでもある、としています。イブン・エズラはこれをアラビア語の「ラス・ワ・ダナヴ・アル=ティンニーン」つまり「ティンニーン=ドラゴンの頭と尾」の訳語として使っており、テリがドラゴンとされていること以外はごく普通の翻訳です。ではなぜナーハーシュ・バレーアハなのでしょうか。それは上記のようにこいつが軸の蛇と解釈されていたからではありません。同じくバレーアハ(正確にはヴェ=ハ=ベレーアハ)という語が出てくる『出エジプト記』は新共同訳では「端から端まで」となっているのですが、イブン・エズラはこの2つのポイントを意味するような解釈に従うならば、天球上の二つのノードを意味するのだ、ということになるからです。
さてテリの語源ですが、伝統的には聖書のハパックス(ある言語テクストに一回しか登場しない語彙)から解釈して「つるす」であるとされています(新共同訳では「矢筒」)。ヘブライ語の周辺を見渡すとシリア語でアータルヤーが「ドラゴン、食を起こす天体」という意味で、マンダヤ教アラム語でタリアが「食を起こすドラゴン」という意味の語として存在しています。これらの語の初出年代は不明なのでもしかしたらテリから派生した言葉なのかもしれません。しかし実はアッカド語にアッタルーという言葉があり、これはずばり「日食、月食」を意味します。attalu, 'atalya, talia, teli……占星術的な意味的にも音韻的にもぴったり当てはまる語源説の通説なのですが、どういうわけか、アッタルーには「ドラゴン」という意味がありません。それどころか超自然的存在という意味合いもありません。
そもそも古代メソポタミアでは日食はどのように考えられていたのでしょうか。彼らにとってもいくつか説はあったようですが、そのうちの一つに悪霊たち(ウトゥックー・レムヌーティ)が引き起こすのだという神話があります(前7世紀ごろ、アッシリア)。この悪霊たちは最高神アヌの使わしたものであり(メソポタミアでは、旧約聖書と同じように、悪霊たちも神々の指示に従って動いているのだとされています)、7人います。そのうち第2のものがウシュムガルというドラゴンであり、第4のものがシッブという大蛇。ほかは狂獅子や強風などです。彼らは暴れまわり、月(&その神シン)を取り囲み、攻撃するのですが、英雄神エンリルとマルドゥクに倒されてしまいます。もちろん目を留めておきたいのは月食を起こす悪霊の中にドラゴンがいるという事実ですが、メソポタミアではシュメール時代から『エヌマ・エリシュ』、それ以降にいたるまで怪物軍団にはドラゴンが入るのが常だったので、ドラゴンと月食に特別固有な関係があったかというと、微妙なところです。
しかしながら話はまだ続いていて、「図像上では」どうやら月食を現しているらしい怪物と神の戦いを描いたものが知られているのです。こちらは時代が下ってセレウコス朝期(前3〜1世紀ごろ)。
どうでしょうか……。ここではオミットしましたが、これの左側にあるのがプレイアデス、右側にあるのが今でいうところのおうし座、アッカド語でいうところのクサリクです。そしてこの図、アッシリア学者たちはこれを月の描写であると見ています。しかしこれはいったい何なのでしょう。男の人(英雄神)が左手に棒をおち、右手でライオン頭の怪物の胴体部分を押さえています。怪物は怪物で下半身が円周に沿って長く伸びて、見ようによってはぐるりと一周しているようにも見えます。全体的に見ると怪物は三日月を現しているようにも見えますし、英雄神と怪物を合わせて月の模様を象徴しているのだということもできます(後者について細かく解釈した学者もいる)。何の意味もなくプレイアデスとおうし座が並んでいるとも考えられず、どうやらこの二つが黄道にある時期に月食が起こったのではないかという推測がなされています。そして結論からいうと、これは月食を起こしている怪物とそれを退治する英雄神だという説があるのです。
まず、新アッシリア時代、月や太陽にはマルドゥク、ナブー、バシュム、蛇の母(?)が見えるとされ、セレウコス〜パルティア朝期には、月にティアマトが、太陽にマルドゥクが見えるとされていました。月や太陽のなかに、怪物と英雄神の姿が見られるという伝統があるということ、場合によっては戦っているかもしれないということが確認できます。そしてメソポタミアでは太陽や月の円周は50か60リーグだと考えられていました(1リーグ=5km弱)。そして、これらより前の神話では、神々と戦うバシュムまたはムシュフシュというドラゴンが、天に50リーグの長さを描いていたという記述があります。この長さや描写の一致は偶然ではないでしょう。関連は薄れてくるかもしれませんが、月と太陽が描かれているところで英雄神とドラゴンが戦っているところを描いた印章もあります。
上記のウトゥックー・レムヌーティの神話では明示的にドラゴンを含む悪霊が月食の原因であり、ドラゴンが月食の一因であるとされているのは明らかなのですが、ドラゴンが中心的な位置にいるわけではありません。しかし図像上の観察によれば、紀元前数世紀までにはドラゴンが月食に対して中心的な位置にあったかもしれないということが推測できるわけです。
さてまとめです。
もしこのような推測ができるとすれば、紀元前の昔、メソポタミアに日月をめぐって争う神々とドラゴンの神話があった。それが紀元前3〜1世紀ごろには月食と関連付けられるようになった。この月食、そしておそらくは日食も引き起こすドラゴンという観念は、いつしか擬似的な天体、あるいは惑星だとみなされるようにもなった。また、ペルシアやユダヤ教の例からするとりゅう座との関連も強かったのかもしれない。紀元後2世紀まではこの観念はギリシアに知られておらず、そのためギリシアから占星術が伝わったインドにも知られていなかったが、インドは独自に(?)3世紀ごろ、日食を起こす阿修羅を擬似的な惑星と結びつけた。擬似惑星/天体の観念は3世紀〜4世紀にはギリシア・ローマ世界にも伝わった。ドラゴンの観念は5世紀ごろまでにはペルシアにも根付き、もしかしたら6世紀のインドにも影響を与えたのかもしれない。ペルシアの観念はアラブの征服によってアラビアへと伝播した。メソポタミアのドラゴンの観念は日食を指す語といつしか結びつき、シリアやマンダヤ教、そしてユダヤ教にも伝わった。ユダヤ教においては日食の観念は薄れ、宇宙軸としての観念が強まっていった。
むむむ。大まかなアウトラインを想定してみるとこのようになるのだろうか。まだアナボコだらけだけど。

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