竜の頭と尾を追跡する8 ゾロアスター教のゴージフル
シリア語やマンダ教、マニ教文献からうかがえるように、紀元後一千年紀の半ばには、西アジアの一部で「蝕を起こす竜」の観念が広まっていた。これを踏まえて、そろそろヨーロッパの「カプト・ドラコニス」「カウダ・ドラコニス」(竜の頭、竜の尾)へと発展していくことになる、具体的な「竜」を見ていくことにする。しかし舞台は、まず東方へと向かう。
この竜「ゴージフル」(Gōzihr、Gōčihrとも)は、ゾロアスター教の宇宙論的な神話群が描かれた文献『ブンダヒシュン』(Bundahišn)に登場する怪物である。『ブンダヒシュン』は9世紀に中世ペルシア語のパフラヴィー語で記述された宗教書で、イラン版と、それを要約したインド版がある。ゴージフルの登場する箇所はインド版で省略されていることもあるので、ここでは原則イラン版(『大ブンダヒシュン』とも言う)をもとに説明する。
これが書かれた当時、かつてゾロアスター教が広まっていたペルシアはイスラームの勢力圏内にあった。そこで、旧来の伝統が完全に失われてしまう前に『ブンダヒシュン』をはじめとする多くの宗教書を文字記録する必要が生まれた。そのため、『ブンダヒシュン』に書かれていることは必ずしも9世紀になって生まれたのではなく、もっと以前から伝えられていたことも多いと考えられている。
とはいえ、無数にある神話要素のどれがいつごろのものかを確定するのは難しい。イラン学者のW・ヘニングは、ゴージフルの登場する天体神話における星座の配置を計算し、さらにギリシア天文学がペルシアに導入された時期を考慮して、少なくとも天体神話のあたりはホスロー1世時代(在位531-579)か少し前の天球をもとに書かれたのではないか、と推測した*1。要するに6世紀前半である。セウェルス・セボフトよりも1世紀早く、また次回紹介するヴァラーハミヒラの『ブリハット・サンヒター』と同時代(やや遅い)と見なすことができる。
年代推定はこのあたりにして、物語に移ろう。本連載でこれまで紹介してきた重要文献の多くは日本語訳がなかったが、『ブンダヒシュン』については学術的対訳(中部大学の野田恵剛教授による)をネット上で読むことができる。素晴らしい。
ただ、ここではゴージフルの特徴を浮き彫りにする都合上、野田訳(2009)を紹介したあとで、伊藤義教らによる部分訳(1980→2001)でそれを訂正するという、年代的には逆の順番で眺めていくことにする。さらに、いちいち明記しないが、デヴィッド・マッケンジーによる英語訳(1964)*2も参考にした。
ゴージフルが最初に登場する『ブンダヒシュン』第5章は「2つの霊の戦いについて、すなわち主要なデーウどもがどのようにメーノーグ的な戦いのために神霊たちのところへ来たかについて」と題されている。「2つの霊」とは善神オフルマズド率いる光の勢力と悪神アフレマン率いる闇の勢力のことで、デーウは闇の勢力に属する。事細かに敵対関係が書かれるなか、第4節では、天空において具体的に誰と誰が戦ったのかが羅列される。
「天空(スピフル)でも、暗いミフル(太陽)が太陽を、暗い月が家畜の種子を持つ月を襲ってきた。(敵は太陽と月を)同じ紐で(?)自分の車に縛りつけた。その他のジャードゥーグとパリーグ(魔女)と…破壊的な惑星が恒星を、7つの惑星の将軍が恒星の将軍を、すなわち惑星のティール(水星)がティシュタル(シリウス)を、惑星のオフルマズド(木星)がハフトーリング(北斗七星)を、惑星のワフラーム(火星)がワナンド(ヴェガ)を、惑星のアナーヒード(金星)がサドウェース(フォマルハウト)を、惑星の中の大将であるケーワーン(土星)がメーフ・イー・マヤーン・イー・アスマーン(天の中心の釘=北極星)を、ゴージフル(竜座)と尻尾のあるムーシュ・パリーグが太陽と月と星を襲った。」*3
この部分からは、恒星および日月に対して、惑星と「暗い太陽」(Mihr ī tomīg)「暗い月」(Māh ī tomīg)「ゴージフル」「ムーシュ・パリーグ」(Mūš-Parīg)が闇の勢力として天界を襲撃したことがわかる。
この直後の5A章は「世界の天宮図[ホロスコープ]について」と題され、攻撃が始まったときの天体の配置が語られる。このホロスコープは、実質的にヘレニズム占星術で知られていた「テマ・ムンディ」(thema mundi)すなわち宇宙誕生時の天体配置*4を物語っている。創造からこの時点まで(6000年間)、宇宙は平穏安定していて何事もなかった。しかし惑星の侵入がきっかけで宇宙史が始動することになったのである。今回は、そこからゴージフルに関するところだけ引用する(全文はネットで見られるため)。日本語訳で「竜座」とあるのは原語でゴージフルなので、そこだけ改変する。
「…は人馬座で、ゴージフルの尻尾がそこにあった。[……]不運(の宿)は双子座で、ゴージフルの頭がそこにあった。……ゴージフルは蛇のように天の中心に立ち、頭は水瓶座にあり、尻尾は人馬座にあった。頭と尾の間にいつも6つの恒星があるようにするためである。その動きは逆行で10年ごとに頭が尾のあったところへ、尾が頭のあったところへ戻る。尻尾のあるムーシュ・パリーグは羽があった。太陽はそれを自分の車に縛りつけて悪事を働けないようにした。もし解き放たれると、太陽と同じ紐まで戻って縛られるまで世界で多くの害を引き起こす。」*5
先ほど書いたように、この部分に関しては伊藤義教の訳がある。後で見るように、占星術的には伊藤訳のほうが正確である。
「世界のホロスコープ(ザーイチュ)すなわちいかに(諸惑星がどの星座に)入座したかについて。……奴僕位は人馬座、ゴージフルの尾が入座した。……禍害位は双子座、ゴージフルの頭が入座した。……ゴージフルは天の中に蛇のごとく横たわり、頭は双子座に、そして尾は人馬座にあった、すなわち頭と尾の間にはつねに六星座にある。そしてそれ(ゴージフル)は後方に向かって走り、一〇年ごとに、頭のある所が尾となり、尾のある所が復た頭となる。」*6
ちなみに、矢野道雄がこの伊藤訳を多少改変したものを自著で用いている。具体的な改変箇所は「双子座」→「ふたご宮」、「人馬座」→「いて宮」、「六星座」→「六宮」*7。
さて、野田訳ではゴージフル=竜座となっているが、これは間違いである。まずホロスコープをたどってみると、人馬座と双子座は黄道十二宮の180度反対の位置にあり、そこに「頭」と「尾」があるということは、竜座ではない。また、動きが逆行というのも、それが星座ではないことを示している。むしろゴージフルのこの特徴は、このブログでずっと見てきた月の交点=ドラゴンヘッド・ドラゴンテールと同じである。ゴージフルが竜だということは「天の中に蛇のごとく横たわ」ったという表現からも裏付けられる。さらに、太陽に敵対している点から見ても、ゴージフルが蝕を起こす竜(宇宙論的蝕観念)に相当するものであることがわかる。(ということで、野田訳で「6つの恒星」とあるのは誤りで、伊藤・矢野訳のように「星座」あるいは「宮」とするのが正しい。)
また、野田訳の2つ目のところでゴージフルの「頭は水瓶座にあ」ると訳されているが、これはおそらく何かの間違いである。ただ、『ブンダヒシュン』の主要写本2種(TD₁とTD₂)の間でも、実はいくつかの天体の位置に違いがあることは、この章を研究したマッケンジーや伊藤、矢野のいずれも指摘している*8。『ペルシア文化渡来考』に、写本のホロスコープが対訳で掲載されている*9。
このように、写本TD₁では人馬座にあるゴージフルが、TD₂では魚座に入っている。本文とつきあわせると、尾が人馬座にあるので、頭はその180度反対側の双子座になければならない。そのようなわけでTD₂は間違いなのだが、TD₁にはゴージフルのかわりに魚座に水星が入っていて、これもまた間違いである。この点については矢野やエンリコ・ラファエッリが論じているので省略する*10。
ゴージフル(交点)の周期が10年(あわせて20年)というのは、――普通は9年4ヶ月ほどと言われるので――大雑把である。中途半端な数が嫌われたのだろう。また、占星術的な交点の概念が『ブンダヒシュン』にとっては厳密さを必要としないものでしかないことを示しているとも考えられる。
占星術的な意義とは少しずれるが、『ブンダヒシュン』第5B章の最後には、
「[「カーヨースの道」(天の川)と呼ばれるこの天の印は天空の蛇であるゴージフル(竜座?)の輝きである。これは上に述べた通りである。]」*11
とある。しかしこの部分、文脈的におかしい上に、黄道上を動く交点と固定された恒星の集合である銀河を同一視しているので、この部分は後世の付加であるとみなされており、野田訳に[]が付けられていることから分かるように、本文からは削除されることが多い*12。ただ、マッケンジーと矢野が指摘するように、ゴージフルが昂揚する場は双子座と人馬座であり、これは銀河が黄道と交差する(と伝統的に見なされる)場と同じである。ゴージフルが、もっとも力を持つ場に光り輝く「印」を残すという考え方は、それほど不自然なものではないだろう*13。
ゴージフルと、同じく日月に敵対する「黒い太陽」および「黒い月」との関連は明らかではない。蝕の原因となる暗黒惑星のことを言っているのだと思われるが、だとするとこれはシリアやビザンツ、インド、東アジアの資料に見られる占星術的蝕観念に相当する。またマニ教『ケファライア』に登場する2アナビバゾンとの関連も考えられるだろう。そうなると、『ブンダヒシュン』には占星術的蝕観念と宇宙論的蝕観念の二つが並置されているということになる。
この矛盾というか重複は、9世紀に書かれた教理書では発展的に解消されたようである。たとえば9世紀後半に書かれた教理問答書『ダーデスターン・イー・デーニーグ』(Dādestān ī Dēnīg)第69章、蝕についての問いがされるところ。
「ゴージフルの二つの暗黒の産物が動き、月と太陽のはるか下にて回転するようにされており、天球の回転するあいだ、太陽の下か月の下の一つの経路を進むとき、太陽のところで旋回する覆いとなるが、これが、太陽や月が見えなくなるときのことである。ゴージフルの二つの産物のどちらも――片方は「頭」、片方は「尾」――、その運動は天文学者によって特定されている。しかし、光明[日月]の上に留まるとき、覆いをなすとき、それらが覆いの内側に光明を入れることにはならない[飲み込むのではなく覆うだけ]。」*14
ここでは明確にゴージフルの頭と尾が蝕を起こすことになっている。また、ゴージフルに特別な天球層が与えられているようだが、これは以下にみる17世紀版『ウラマー・イェ・イスラーム』の記述と一致する。
また、同じく9世紀に書かれた教理書『断疑論』(Škand Gmānīg Wizār)にもゴージフルが登場する。ただ、これにはちょっと問題があるようだ。
まずは伊藤義教による全訳注をもとに話を進めよう。同書第4章の第29節あたりから、5つの「オフルマズド的星」(恒星、善性の天体のこと)が紹介される。「至高の巨魁」(北極星)、大熊座、ヴェガ、フォーマルハウト(?)、シリウスである。次いで、それぞれが惑星と対抗する構図が描かれるが、テクスト(第31〜32節)をそのまま訳すと「至高の巨魁――遊星ゴーズィフル……――〔大熊座〕は土星に対抗し」となる(欠落があるらしい*15)。伊藤義教はこの部分をまとめて「至高の巨魁は土星に対抗し」とした*16。ついで第46節で、日月の対抗者が語られる。
「また、太陽と月との遊星的対抗者である、きわめて強力なかの二ドルズが二光明(太陽と月)の光芒の下を動いており、そのほか、盗賊星であり、ムーシュ・パリーグとよばれるものも同じように太陽の光芒の下に結びつけられていて、紐帯から遠ざかると、太陽による、引き戻しの完全捕捉が行われるまで、交会する星座において、その星座が主管する方位に、禍害と不祥をはたらくのである。」*17
第31〜32節では、名称は出てくるものの、ゴージフルが何と対立しているのかは明記されない。その一方、第46節では日月に対立するのが2体のドルズとされている。2体というのは明らかに昇交点と降交点のことだが、今度はゴージフルの名称が出てこない。
しかし実のところ、『断疑論』のテクストには「ゴージフル」は全く出てこない。近年この部分を論じたラファエッリによると、ジャン・ド・メナスが、1945年に出版した校訂テクストにおいて恣意的に「ゴージフル」を追加したのだという*18。現に、メナスの校訂に従うと北極星がゴージフルのことになってしまう。善の恒星と悪魔が同一視されるのはありえない。というわけで、この部分をラファエッリの英訳から重訳すると、「至高の星の如き北の釘(北極星)は、土星に対抗する」となる*19。というわけで、結果として伊藤訳は正確だったということになる。さすがだ。しかしゴージフルは消えた。
いずれにせよ、9世紀のどちらの教理書でも、蝕を引き起こす実体は「2つ」とされていることから、『ブンダヒシュン』の長大な竜(宇宙論的蝕観念)が、おそらく「暗い太陽・暗い月」と並行するか影響を受けるなどして、この時期には占星術的蝕観念に焦点が移行したのだと思われる。
占星術的蝕観念は西アジアにもインドにも見られ、『ブンダヒシュン』第5章以降のペルシア占星術に影響を与えたのがどちらかは判断できない。竜=宇宙論的蝕観念は西方からの影響だろうが、暗黒惑星=占星術的蝕観念は(デイヴィッド・ピングリーが言うように)東方からの影響と考えてもおかしくはない。
ゴージフルにあたる存在は、古代ペルシア時代のゾロアスター教文献(アヴェスター)には見当たらない。しかし語源としてはアヴェスター語の「ガオチスラ」(gaočiθra)が想定されている。この説はベルンハルト・ガイガーが提唱し、その後ハルトナーやフルラーニ、マッケンジーなどゴージフルを論じた多くの研究者によって受け入れられた*20。
「ガオチスラ」は新層アヴェスター語に見られる表現で、「種子を担う」「家畜(牛)の起源を持つ」といった意味のある、月の形容辞である*21。後の時代の『ブンダヒシュン』でも、「家畜の種子を持つ月」(gōspand-tōhmag)という表現が見られる(上に引用した箇所)。どうやら人間に有益な家畜は月からやってくるという神話があったらしい。
もし、『ブンダヒシュン』が書かれていた時点で日蝕が月のせいだという天文学的蝕観念が知られていたのならば、蝕を起こすのが月であり、月の形容辞が蝕を起こす怪物に流用されたのもわからないではない*22。とはいえ、この観念は月とゴージフルを別物とする宇宙論的・占星術的蝕観念と衝突してしまうし、月蝕に別の必要が必要になってしまう。そもそも月の善性の側面を形容した言葉が悪性の存在に用いられるというのは、やはり変である。近年アントーニオ・パナイーノは、こうした疑問点を含め、あらためて写本レベルから語彙や意味の検討を行なって、「ガオチスラ」は「ゴージフル」と実質的に無関係である、と結論づけた*23。むしろその語源は「手(または爪)のかたちを持つもの」=「ガウチフル」(Gawčihr)でしょう、というのがパナイーノの主張である*24。するとこれは次回紹介するインドの「グラハ」(とらえるもの)や日月をつかむラーフの観念と、意味論的には近くなる。この説が今後広まるかどうかはわからないが、月の形容辞の転用という仮説よりは無理がないように思われる。
ゴージフル(ガウチフル)について面白いのは、『ウラマー・イェ・イスラーム』(‘Ulamā-ye Islām)という13世紀ペルシア語ゾロアスター教文書である*25。この書は5世紀前半にサーサーン朝宰相が書いたもの(パフラヴィー語)の翻訳と考えられており、また、このころ隆盛していたゾロアスター教ズルヴァーン主義の資料としても知られている。5世紀前半だから『ブンダヒシュン』の「世界のホロスコープ」より1世紀早い。
『ウラマー・イェ・イスラーム』は基本的には宇宙論や終末論など、ゾロアスター教にとって重要なポイントを整理した教理書であるが、そこには惑星についての記述も含まれている。神話時代、7大悪魔が善の勢力と争った末に天空で縛られると、オフルマズドがそれぞれを光で包み込み、善性の名称を与えた。これが7惑星であるという。実に、青木健が指摘するように、『ブンダヒシュン』と違って惑星は善なのである。さらに、青木は指摘していないが、『ブンダヒシュン』に登場した交点の惑星(ゴージフル、黒い太陽、黒い月)は同書には見られない。これに関して興味深いのは、1645〜1649年にヤズドで書かれた『ダストゥール・バルズー教示書』に入っている『ウラマー・イェ・イスラーム』*26では、7大悪魔が原初の人間カユーマルスを襲撃した部分で天文学的な記述が追補されており*27、そこにゴージフルが登場することである。悪魔と惑星が、善悪の強度のバランスを考えつつ諸天球に配置されるところで、月が最下層の天球にあると述べられたのち、次の一節が語られる。
「月の天圏の下にも実は天圏があって、彼らはこれをゴーチフル天圏と称する。ヴァキードの尾と頭は、この天圏にある。」*28
「尾と頭」、「ゴーチフル」という名称からして、これは明らかに月の交点たる竜のことである。青木の注記するように、「ヴァキード」の意味は不明だがおそらく竜蛇の名称であろう。また、ほかの惑星と同じく天圏(天球)の一つに位置づけられているところから、ゴーチフルが惑星と同じ扱いを受けていたことがわかるし、「実は天圏があって」という表現は、原文のニュアンスは不明だが、この惑星は不可視である(=黒い)ことを暗示しているようにも見える(占星術的蝕観念)。また、『ダーデスターン・イー・デーニーグ』で日月の下にゴージフルの天球が割り当てられているのと『ウラマー・イェ・イスラーム』の記述は一致している。これが書かれた時期は、イランやその両隣(インドとアラビア)で天文学的蝕観念が浸透して何世紀も経つのだが、その影響は微塵も感じられない。古くからの神話を優先しているかのようだ。
いずれにしても詳細な神話は語られないが、17世紀半ばの『ダストゥール・バルズー教示書』は、占星術的には、『ウラマー・イェ・イスラーム』原本よりも、交点を実体とみなす古代末期の西アジア占星術や『ブンダヒシュン』の占星術に近い。『ウラマー・イェ・イスラーム』の書かれたと思しき5世紀前半は、まだゾロアスター教の、少なくとも宮廷で信仰されるぐらいに中核的な教理には、交点についての観念は入り込む余地がなかったのだ。ということは、イランにおいて、蝕を起こす竜についての観念は、存在はしたかもしれないが周縁的でしかなかったということになる。しかしそれは、「世界のホロスコープ」が書かれた6世紀前半から(少なくとも)9世紀後半の『ダーデスターン・イー・デーニーグ』までは教理システムに収まっていた。
トゥルファン出土のマニ教文献(8世紀後半〜11世紀前半)に「アータールヤー」(Ātālyā)という言葉が出てくることは紹介したが、「ゴージフル」という言葉が出てくる断片も見つかっている。これもまたマニ教文書辞典では「竜、蝕」という英訳が付されている*29。さいわい、この断片の英訳があるので、それを参考にすると、次のような感じになる。
「第10の兆し 大地が動揺するか、太陽と月がゴージフルの上にある」*30
この断片全体は予兆を記したものらしく、この「兆し」というのは何かわからないが、とにかくそれと地震あるいは日蝕・月蝕が結び付けられた、ということになるだろう。また、言うまでもなくゴージフルは日月に重なる存在として語られている。また、日月がゴージフルの上にあるという表現は、9世紀以降のゾロアスター教理書と一致する。ゴージフルが竜蛇とは書かれていないものの、同時代のアラビア占星術では(少なくとも概念的には)竜と同一視されていたようなので、トゥルファンでも竜としてイメージされていたと思われる。
興味深いのはこの断片にイラストが付されているということで、上に引用した部分の左側には、三日月がはっきりと描かれている。下の画像がそれである。ウェブサイト「デジタル・トゥルファン・アーカイブ」より。
http://turfan.bbaw.de/dta/m/images/m0556_recto.jpg
おそらくこれは三日月のように見えて蝕の最中の様子なのだと思われる。
また、アタリアー系でもゴージフル系でもなく、ごく一般的な「竜」を表す中期イラン語の「アズダハーグ」(Azdahāg)も、辞典の定義によると「竜。月の交点を指示する」という*31。ただ、この定義にはやや飛躍がある。少し詳しく見てみよう。アズダハーグが登場するのは、マニによる教理書『シャーブフラガーン』(Šābuhragān)の、トゥルファン出土断片であり、そこには次のようにある。
「[創造神ミフルが]7惑星[を取り付ける]と、2頭の竜[アズダハーグ]を吊り下げ、鎖でつないだ。この最下層の天に、彼らはそれらを吊り下げ、男女の2人の天使を割りあて、その号令により、休みなく回転させるようにした」(断片番号M98)
この宇宙創成論において、竜は1頭ではなく2頭登場して、天球を回転させる役目を負わされている。この竜が、現代のマニ教研究では「蝕を起こす竜」と見なされているようだ。ただ、断片しか残っていないから仕方がないのだが、そのようなことを明記している箇所はない。天球全体に広がるドラコ・カエレスティスの観念は、確かに古代グノーシス主義の文献の一部でも確認することができる。たとえば『ピスティス・ソフィア』(Pistis Sophia)がそうだが、しかし蝕を起こす竜だと明記しているものはない。ここは、関係はあるかもしれないが蝕との結びつきは確認できない、と穏当に結論付けておこう。
次回は、カプト・ドラコニス&カウダ・ドラコニスまであと一歩の「ジャウザハル」にしようと思ったが、その前にインド占星術との影響関係について見ておく必要がある。というのも、大御所デヴィッド・ピングリーが、交点が竜の頭と尾だという観念はインド由来だと言ったからである。
*1:W. Henning, 1942, “An Astronomical Chapter of the Bundahishn,” Journal of the Royal Asiatic Society of Great Britain and Ireland 3, p. 245.
*2:D. N. MacKenzie, 1964, “Zoroastrian Astrology in Bundahišn,” Bulletin of the School of Oriental and African Studies 27.3.
*3:野田恵剛、2009、「ブンダヒシュン(?)」『貿易風 中部大学国際関係学部論集』14、p. 181。
*4:MacKenzie, p. 523-524; Enrico Raffaelli, (2011), “ZĀYČA,” Encyclopædia Iranica; S・J・テスター、1997、『西洋占星術の歴史』、p. 160。
*5:野田、p. 182-183。
*6:伊藤義教、2001、『ペルシア文化渡来考』、p. 217-218。
*7:矢野道雄、2004、『星占いの文化交流史』、p. 106。
*8:MacKenzie, p. 527; 伊藤、p. 216; 矢野、p. 103-105。また、Enrico Raffaelli, 1999, “The Diagrams of the zāyč ī gēhān,” East and West 49.1/4が写本DHも加えて詳細な比較研究をしている。
*9:伊藤、p. 216。
*10:矢野、p. 103-104; Raffaelli, p. 288。
*11:野田、p. 186。
*12:MacKenzie, p. 522n53; 伊藤、p. 140; 矢野、p. 108。
*13:MacKenzie, p. 525; 矢野、p. 108。
*14:E.W. West (tr.), 1883, Pahlavi Texts Part II, p. 212-213. なお、ここで「ゴージフル」と日本語へ重訳した部分はもともとPrimeval ox「原初の雄牛」となっている。この理由は、ゴージフルの語源が「(雄牛の)種を持つ」と解釈されたことによると思われる(p. 213の訳注1参照)。
*15:伊藤義教、2001、『ゾロアスター教論集』、p. 420。
*16:伊藤、p. 342。
*17:伊藤、p. 343。
*18:Enrico Raffaelli, 2009, “The Astrological Chapter of the Škand Gumānīg Wizār,” In Gherardo Gnoli and Antonio Panaino (ed.), Kayd: Studies in History of Mathematics, Astronomy and Astrology in Memory of David Pingree, p. 115n42.
*19:Raffaelli, p. 111.
*20:Bernhard Geiger, 1933, “Indo-Iranica,” Wiener Zeitschrift für die Kunde des Morgenlandes 40: 108-113. Cf. Willy Hartner, 1938, “The Pseudoplanetary Nodes of the Moon’s Orbit in Hindu and Islamic Iconographies,” Ars Islamica 5.2: 151-154; Furlani, p. 604; MacKenzie, p. 515.
*21:D. N. MacKenzie, “Gōzihr,” Encyclopaedia Iranica.
*22:Hartner, p. 153-154
*23:Antonio Panaino, 2005, “Pahlavi GWCYHL: Gōzihr o Gawčihr?” in M. Bernardini e N.L. Tornesello (ed.), Scritti in onore di Giovanni M. D’Emre, p. 806-807; cf. Almut Hintze, 2009 (2005), “The Cow that Came from the Moon: The Avestan Expression māh- gaociθra,” Bulletin of the Asia Institute 19, p.63n3; Raffaelli, p. 115n42.
*24:Panaino, p. 808.
*25:校訂テクスト、日本語訳、書誌学的情報、比較思想的分析などについて青木健、2012、『ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究 ペルシア語文献『ウラマー・イェ・イスラーム』写本の蒐集と校訂』参照。この本のもとになった紀要論文はネット上で読める。
*26:青木、p. 10-11。
*27:青木、p. 80-81。
*28:青木、p. 81。
*29:Desmond Durkin-Meisterernst, 2004, Dictionary of Manichaean Texts, vol. 3, Texts from Central Asia and China, Part 1: Dictionary of Manichaean Middle Persian and Parthian, p. 166;
*30:Zsuzsanna Gulácsi, 2005, Medieval Manichaean Book Art: A Codicological Study of Iranian and Turkic Illuminated Book Fragments from 8th-11th Century East Central Asia, p. 202; Christian Reck &Werner Sundermann, 1997, “Ein illustrierter mittelpersischer manichäischer Omen-Text aus Turfan,” Zentralasiatischen Studien 27, p. 12-15.
*31:Durkin-Meisterernst, p. 85。アズダハーグは『アヴェスター』の3つ首竜アジ・ダハーカの中期ペルシア語形。