シリア語やマンダ教、マニ教文献からうかがえるように、紀元後一千年紀の半ばには、西アジアの一部で「蝕を起こす竜」の観念が広まっていた。これを踏まえて、そろそろヨーロッパの「カプト・ドラコニス」「カウダ・ドラコニス」(竜の頭、竜の尾)へと発展…
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