竜はいつからドラゴンと訳されるようになったのか 〜わからない〜

タイトルで期待してくる人を避けるために「わからない」とつけてみました。

以前も同じようなことを書きましたが、たとえばライプニッツキルヒャーのような17世紀の知識人たちは、中国語の竜をドラゴン(ここではラテン語のdraco系の言葉すべて)に翻訳している。無論彼らは直接読めたわけではないだろうから、そこに仲介した人々がいたわけですが。
ちなみにバルトルシャイティスの『イシス探求』によれば、アヴランシュの司教ユエ(1679)はエジプトと中国を同一視するという、当時稀ではなかった考え方に基づいて、エジプトのフェニックスが鳳凰になったと述べているそうです(p.284)。

それよりも17世紀頭に書かれた『日葡辞書』などの辞書類を調べてみたほうが手っ取り早いか……(ただ、その場合竜についての議論がないので翻訳の詳細がわからない)と思ったものの手元にないので、かわりにルイス・フロイスの『ヨーロッパ文化と日本文化』(1585)を読んでみたら、次のようなくだりがありました……
「われわれは海の精や海人のことはすべて虚構と考えている。彼ら[日本人]は海の底に蜥蜴の国があり、その蜥蜴は理性を備えていて、危険を救ってくれると思っている」(岩波文庫、p.167)
なんとルイス・フロイス竜神のことを「トカゲ」だと表現している!



それはともかくとして、上記のような16世紀以降の時代ではなく、もっと古くから東西交渉はあったわけです。たとえば帝政ローマ時代後期、軍旗に使われていたドラコというシンボルは、もともとパルティアかスキタイかダキアかそのあたりの、東方からやってきたことが知られています。もっとさかのぼると紀元前の西トルキスタンにその起源とおぼしき軍旗が描かれた絵画が発掘されています。そしてこうした軍旗が中国の竜の旗起源だという説もあります。
となると、すでに紀元前後、中国の竜はドラコと呼ばれていたことになる。ひとつ問題なのは軍旗があくまでイメージだけ伝播したのか言語とともに伝播していったのかということですが。

もうひとつ、十二支の「辰」。十二支は中央アジアはもちろんのこと、トルコ、ロシアやベラルーシあたりにまで広まっています。ではそれらの言語では「辰」はどのように訳されているのか。図像上はどうなのか、いつごろ伝わり、原典資料ではどうなっているのか。いくつもまだ調べていないことがあります。
それと余談になりますが、キトラ古墳などには獣頭人身の十二支像が描かれています。あれってなんなんだろう? 単なる絵画表現? それとも、そういう神格のようなものがいるとされてたのか? そもそも十二支の動物って神様なのか……? なんか意外に身近なところに疑問が発生してしまいました。どなたかご存知でしょうか?