龍蝕(中休み編)

前回の続きになりますが、宇宙を取り囲む巨大なドラゴンという考え方は朧気ながらも中央アジアやトルコのテュルク系諸民族に伝わっていたようです。Journal fo Folklore Researchのウロボロス論文ではイスラーム圏の事例がすっぽり抜け落ちていて残念なところなのですが、それにはもしかしたら理由があって、というのも、中央アジアのドラゴンは一人で自分の尾を噛んでいるのではなく一対で存在しているようなのです。これはウロボロスと呼ぶべきなのでしょうか。たとえばトゥルファン出土のマニ教文書には、ミフル神が7惑星を創造し、2頭のドラゴンを天に結びつけ、男女の天使がそれを回す……というような創造神話の断片が書かれています(原語[マニ教パフラヴィー語]でアズダハーグ)。これはどうやらマニ教の経典『シャーブーラガーン』の一節のようです(MM98)。トルコの竜の装飾でも一対が多くみられるようです。トルコ語で竜を表すエヴレンという言葉も宇宙で旋回するという機能と関わっているそうです。トルコ語辞典をみると「evren 宇宙、万物; 竜」と書かれているので、これは相当なもんです。
しかしこうした宇宙的ウロボロスやドラゴンの対が直接日食に関わっているという文献的な証拠はありません。ただし図像的な証拠はあって、ペルシアやアラビアに、月や太陽を取り囲むウロボロスあるいは一対のドラゴンが描かれていることがあるようです。ドラゴンや大蛇と天体が同時に描かれているという図像はそれをさらにさかのぼるアッシリア時代にもあるのですが、ここまでいくと「宇宙的」であることは推測できるにしても「日食」とどれだけ関係あるのかどうかは疑わしくなってきます。

これは1199年1月、イラク?で作成された偽ガレノス写本の表紙。月を持っている女性が2匹のドラゴンに囲まれています。理由はよくわかりませんが、イスラームではジャウザフルが2匹で描かれることもあったようです。この図の場合、上の結び目がドラゴンヘッド、下の結び目がドラゴンテイルなのでしょう。イスラーム圏でこのような一対のドラゴンが描かれるようになるのはテュルク系王朝が支配するようになってからで、明らかに上述の中央アジア、そしてさかのぼると中国に起源があります(中国の場合、女媧と伏羲。こいつらも宇宙的ドラゴンだ)。

前回書かなかったのですが、イスラーム以後のペルシアでも日食をドラゴンが起こすという考えは地道に続いていて、19世紀か20世紀にもまだ信仰は続いていたようです。サーデク・ヘダーヤトは「太陽や月が食になるのは、竜がそれを歯で嚙むからである」と書いています。人々は竜を怖がらせて吐き出させるために、大きな音を立てたり矢を射たりしなければならない、という伝承もあるのだそうです。音を鳴らして太陽の光を取り戻そうとするのは古代ローマでもありましたし(ユウェナリスプリニウスなど)、中国にもありました(『春秋公羊伝』)。今回書いている紀元前後〜後10世紀ぐらいまでのギリシア-アラビア-ペルシア-インドの領域からは外れますが、フィリピンでもバコナワとかミノカワとか呼ばれる竜が食を起こすとき、人々は大きな騒音を立てていたのだそうです。

さて、前編では多少日食とドラゴンと擬似惑星の関係が錯綜していたと思うので、書かなかったのを含めてここでまとめてみます。

  • インド神話では、紀元前から日食はラーフによって起こされると考えられていた。
  • インド占星術では、日食は擬似惑星のラーフによって起こされる、あるいは現代のように月によって隠れると考えられていた。天体が原因だという考えは早くても後3世紀以降、インド独自?
  • ペルシア(パフラヴィー語)では日食はゴーチフルによって起こされると考えられていた(文献自体は9世紀、星座配置の角度などから計算すると後500年前後、図像的には5世紀ごろ?)。
  • アラビアでは日食は擬似惑星のジャウザフルによって起こされるとも考えられていた(9世紀ごろ?)。ジャウザフルの語源はゴーチフル。
  • トルコ語ではジャウゼハルというが、これはアラビア語からの借用。
  • ギリシアでは紀元前から現代と同じように月によって隠れることが知られていたが、後3世紀には星だという説が、後4世紀には惑星だという説があった。おそらく東方起源。

こうみると言語的な伝播と観念的な伝播は必ずしも一致していないようで、考えるのもややこしくなってきます……。