竜の頭と尾を追跡する3 アナビバゾンのその後(竜は出てきません)
第1回の追記。古代メソポタミアに竜が食を起こす神話は見当たらない、と書いたが、それと同じような神話ならば存在する、という話を見つけた。サラ・キューンの『中世西方キリスト教とイスラームにおける竜』(2011)が引用しているもので、それによると、古代バビロンでは、
「月の28日目は嘆きの日であり、悔悛の祈りがささげられる。というのも、月が視界から消え、数日のあいだは竜の力によって隠されたままだからである。」
この引用はT・M・グリーンの『月神の都市 ハランの宗教伝統』という1992年の著作から採られたものらしい(出版社はブリルだから、ちゃんとした学術書である)。月食ではないが新月ということで、同じように月が見えなくなる現象だから、観念の起源もふくめて、何らかの関連性があると考えるのには説得力がある。そこで、とりいそぎGoogle書籍検索で確認してみたところ、確かにそのような文言はあったが*1、どういうわけか、この情報の出典はどこにも明記されていなかった。
ミトラス教研究者のロジャー・ベックも、古代メソポタミアにおける食の神話と竜の神話について、有名なアッシリア学者W・G・ランバートの協力を得て調査したらしい。それによると、これまで色々な学者が出してきた仮説を検討した結果、はっきりとしたものは一つも現存していない、ということになったという*2。このことを踏まえると、『月神の都市』の記述は何らかの勇み足ではないかと思われるが、どうだろうか。
前回見てきたように、古代末期の中東では、一部でアナビバゾンが疑似惑星化・悪魔化されていた。その一方で「アナビバゾン」という用語自体もある程度は継承されており、『ギリシア語占星術関係写本目録』を見ると、ビザンツ時代の天文学・占星術でもこの言葉が使われていたことがわかる。また、ラテン語圏(西ヨーロッパ)でも、それほど広まったわけではないが、いちおうアナビバゾンという用語が使われていた痕跡はある。ただ、ギリシア語圏は後で見るとして、ラテン語圏では、基本的には天球上の純粋な点として扱われていたようである。ここでは、ラテン中世まで読み継がれた文献のなかのアナビバゾンについてみてみる。
たとえばマルティアヌス・カペラの学芸理論書『フィロロギアとメルクリウスの結婚』(410〜429)第8巻「天文学について」では、食が起きる地点を説明するとき、月が北向きに黄道を横切るところをギリシア文字で「アナビバゾンタ」、南向きを「カタビバシン」と書いている*3。「カタビバシン」となってしまった理由は不明であるが、書写過程での誤記かもしれない。
また、同じくギリシア語からの借用語としては、中世において唯一のラテン語訳プラトンとして読まれていた『ティマイオス』の、訳者カルキディウスによる註解(3世紀後半〜5世紀初頭? 年代は不詳)の第88節にも出てくる。カルキディウスの人物像はほとんどわかっていないが、スペインかイタリアに在住していた、プラトン主義者のキリスト教徒であったようだ。この註解でもやはり同じく、多少面倒な説明がともなっているが、「アナビバゾーン」「カタビバゾーン」(和訳に準ずる)という言葉が使われている*4。
マルティアヌス・カペラもカルキディウスも、それぞれ百科事典的な内容とプラトン主義的な内容のおかげで、中世に入ってキリスト教的世界が支配的になっても、神学者や知識人たちによって読み込まれていたようである。
西ヨーロッパ(の、少なくとも知識人階層)がすっかりキリスト教中世に入ってからで言うと、アナビバゾンは、6世紀前半の終わりごろにラテン語訳された『プトレマイオスの規範教示』にその名称がみえる。つまり「月食は、アナビバゾンあるいはカタビバゾン近辺でアポクリュシスが起きたとき、起きるのである」と述べられているのである。ただ、この訳文に見られるようなギリシア語の直輸入は、むしろ中世前期の、ギリシア文化についてほとんど無知だった多くの読者を面食らわせるものだったらしく、意味不明な用語として受け取られたようである。当然、超自然的存在や怪物を思わせるような記述もない。結局、この訳書はほとんど広まらず、影響力を持たなかった*5。
しばらく後になって、9世紀の神学者エリウゲナやレミギウスが先述の『フィロロギアとメルクリウスの結婚』への注釈書(ラテン語)で、二つのギリシア語を説明している。エリウゲナのほうは「カタビバシン これは下降のこと。……アナビバゾンタ……これは上昇する合のこと」とだけ、簡潔に書いている*6。おそらくあまり天文学的な知識を持っていなかったのだろう。しかしレミギウスはそれに飽き足らず(?)、少し前の部分への注釈で、天球の第11層をマクロビウスがアナビバゾンティスと名付けている、と書きつけた(だがマクロビウスはそのようなことは言っていない)。彼はそれを子午線と思ったらしいが、さらに黄道とも思っていたらしい。点ではなく線というわけで、大きな誤解ではあった*7。
このように、占星術・天文学用語としてのアナビバゾン・カタビバゾンという言葉は、西ヨーロッパにおいては廃れていった。そもそも月の交点にかかわる概念も、曖昧でほとんど忘却されていたようである。
続く。
*1:Tamara Green, 1992, The City of the Moon God: Religious Traditions of Harran, pp. 29-30.
*2:Roger Beck, 1978, “Interpreting the Ponza Zodiac: II”, Journal of Mithraic Studies 2 (2), pp. 89-91, 137-138.
*3:Adolf Dick (ed.), 1978 (1925), Martianus Capella, p. 459. このギリシア語を訳してしまっているが、cf. William Stahl & Richard Johnson (tr.), 1977, Martianus Capella and the Seven Liberal Arts, vol, 2, The Marriage of Philology and Mercury, p. 338も。
*4:土屋睦廣2001「カルキディウスの天体論――『プラトン「ティマイオス」註解』第56〜118節」『カルキディウスとその時代』、p. 156。
*5:Stephen McCluskey, 1998, Astronomies and Cultures in Early Medieval Europe, p. 116.
*6:Cora Lutz, 1939, Iohannis Scotti: Annotationes in Marcianum, p. 183.
*7:McCluskey, idem., 161; Bruce Eastwood, 2007, Ordering the Heavens: Roman Astronomy and Cosmology in the Carolingian Renaissance, pp. 213-214.