印欧比較神話学におけるドラゴン退治 その他

 さて印欧比較神話学におけるドラゴンですが、もっとも最近のものとしてはこんなのを見つけました。

Benjamin Slade, 2009, Split serpents and bitter blades: Reconstructing details of the PIE dragon-combat, Studies in the Linguistic Sciences: Illinois Working Papers 2009: 1-57.
pdfがあります。全文訳すには長すぎる&そんなに面白くない&原文引用が多いということで、要旨だけ訳してみます。特殊文字が多いので表示されないところがあるかもしれません。

 本論文は印欧語族のドラゴン退治神話と関連する形式として、原印欧語*bheid- {h₃éʷghim, kʷr̥mi-}「蛇/蟲を切り裂く」の証拠を提示するものである。この形式はヴェーダにおけるドラゴン闘争のコンテクストに現れることの多い動詞連語の分析に由来するものである。そこには√han-「退治する」だけでなく意味論的に特定的な動詞√bhid-「切り裂く」、√vraśc-「裂く、断つ、切り裂く」、√ruj-「壊す」も含まれている。これら三つの動詞はドラゴン退治自体に使われるだけではなく、ドラゴン闘争に関わっている諸行為を描くのにも使われており(たとえば水/牛の解放)、そしてどちらのケースにおいても√han-の形態とともに現れている。ヴェーダ語は、イラン語やゲルマン語のデータによっても支持される、原印欧語*bheid- {h₃éʷghim, kʷr̥mi-}の再構築に強固な証拠を与えてくれるものである。これはワトキンス(Watkisn 1987, 1995)が大規模に議論した原印欧語gʷhen- h₃éʷghi-「蛇を退治する」(たとえばヴェーダ語のáhann áhim「(彼は)蛇を退治した」)ほどには広く分布していないものの、*bheid- {h₃éʷghim, kʷr̥mi-}「蛇/蟲を切り裂く」は意味論的にgʷhen- h₃éʷghimよりも特定的であり、それゆえgʷhen- h₃éʷghimよりも示差的なため、印欧語族に独特なドラゴン退治神話が存在するとするワトキンスの仮説を補強するものであり、さらにこの神話の性質を特徴付けることにもなるであろう。

 ざっと見るかぎり論文の半分くらいは『リグヴェーダ』の分析、残りでベーオウルフなどが取り上げられているみたいです。デュメジルへの言及がないところからもわかるとおり、かなり堅実な比較言語学を意図している感じです。

 著者ベンジャミン・スレードについてですが、経歴を見るかぎり言語学者で『ベーオウルフ』研究者のようです。近刊に「Hwæt! LOL! ベーオウルフとブログにおける共通形式的機能」とかいう論文があります。また2009年か2010年には「印欧語ではどのように(正確に)ドラゴンを退治するのか?」(how (exactly) to slay a dragon in Indo-European?)という論文を出すとありますが、おそらく上記論文の完成版になるのでしょう。私が見るに、「バンヴェニストデュメジルもワトキンスも、ベーオウルフのドラゴン殺しを忘れているなんてけしからん」と思ってこんな研究を始めたのだろうと思います。印欧ドラゴン比較のhow toシリーズとしてはJ. Katzの"How to be a Dragon in Indo-European"(1998)というのもあります。これはイルルヤンカシュの語源が印欧語だということを主張している論文です(イルル=英語のeel「ウナギ」)。