クラーケンとミクロコスムス

これから書くことは、Googleブックスで見てみると、ベルナール・ユーヴェルマンスのThe Kraken and the colossal octopus (2003)にもちゃんと書かれているようだが、この本は無駄に高価なので自分で調べてみた。

「リンネはクラーケンに学名を与えた」

Wikipedia日本語版の「クラーケン」などでは分類学の父カルル・フォン・リンネが主著『自然の体系』初版(Systema Naturae, 1735)でクラーケンにミクロコスムス・マリヌス(microcosmus marinus)という学名を与えたことになっている。リンネはスウェーデン人で、クラーケンの主要伝承地が御隣のノルウェーだから、彼がこの怪物についての噂話を知っていた可能性は高く、エーリク・ポントピダンの言うように「自然に反するところのない」動物だから、確かに『自然の体系』にクラーケンが入っていてもおかしくはない。
しかし細かい話だが、ポントピダンよりも先にリンネがクラーケンを認知していたとすればもう少し話題になってもよかったはず。「クラーケンを有名にした」という形容はポントピダンのどマイナーな博物誌よりも明らかに現代も参照されるやつ(の初版)に授けられるべきだからだ。
というわけで具体的に調べてみた。

ミクロコスムスという名称はさらにさかのぼれる

Wikipedia英語版にもあるが、後年の『スウェーデンの動物相』(Fauna Suecica, 1746), p. 386にもミクロコスムス・マリヌスは掲載されていて、「ノルウェーの海にいるというが、私は見たことがない」というリンネのぼやきとともに、出典も載っていた。引用する。
Microcosmus.
1351 MICROCOSMUS.

  1. Bart. cent. 4 p. 284. Cete vigesimus secundus.
  2. Rhed. vivent. t.22. f. 1.4.5. Microcosmus marinus.
  3. Ephem. Nat. Cur. ann. 8. bbs. 51. Singulare monstrum.
  4. Act. lips. 1686. p. 48. t. 48. Microcosmus marinus.

番号は勝手につけた。ごらんのとおりクラーケンのクの字もないし、どういう動物かも書かれていない。そこで、出典をたどって、リンネがなにをもってミクロコスムス・マリヌスと言ったのかをチェックする必要がある。しかし、過去の文献によくあることだが、省略した文献の正式名称がどこにも載っていないので探すのが大変である。当時の博物学界隈では常識だったのだろうが……。

なんかキモいのが見つかった

探索過程を一切省略して、ミクロコスムス・マリヌスの出典である2番目のRhed. vivent.が何か?の答えを書くと、Osservazioni di Francesco Redi... intorno agli animali viventi, 1684である。フランチェスコ・レディの『生きている動物の観察』。リンネのものより半世紀ほどさかのぼる。そしてt.とf.は英語でいうtableとfigureだろうとあたりをつけ、探してみる……


なんだこれは

2ページ前の図の説明にはMicrocosmo Marinoとある(イタリア語)。さらに本文の60〜62ページにかけて、この謎の生き物?についての記述がある。イタリア語は不得手ながら辞書を引き引き読んでみると、これまで誰も報告していないが、海にすごい生き物がいる! 見た目とか触った感じだと、なんか石とかサンゴとかの塊みたいだけど、山とか丘とか谷とか平原みたいなのがあって、そこに草木が生えていて、本物の海藻も生えていて、ムカデとか小さな貝とかが棲み処のように出入りしている! これは(いわば)海の中の生きている小世界、Microcosmo marino animatoだ! 口みたいなのがあって、そこから水を吹きだすようだ!」(ここで力尽きた)と書かれている。
軟体動物には詳しくないのでこの生き物が現代でいう何かはわからない。ただ一つ言えるのは、人の手でさわれるこいつはクラーケンではないということだ。見たところサイズについては書かれていないが、海藻の大きさから考えて、数十センチから1〜2メートルといったとこか。

その他の引用文献の中身

もう一つのミクロコスムス・マリヌスの出典、Act. lips.とある4番目の文献はActa eruditorum publicata Lipsiae ... Anno 1686のことで、ラテン語で書かれているのでよくわからないが、pp. 48-52にかけてレディの本のミクロコスムス・マリヌスの記述のラテン語訳が掲載されているようである。
それでは残り二つにクラーケンはいるのか?
1番目のBart. cent.はデンマーク人トマス・バルトリンHistoriarum anatomicarum rariorum, centuria IV (1657)で、175〜176ページにかけてHafgufa(ハーヴグーヴァ)あるいはLyngbak(リングバック)というcetus(「海の巨獣」「クジラ」)が記述されている。この二つについては、Wikipedia英語版のKrakenに、北欧の伝説に登場する怪物として簡単な紹介がされている。バルトリンの記述では、Brandano(=聖ブレンダン)の単語があることからもわかるとおり、島のようにみえる超巨大な海の生き物ということになっていて、こちらはクラーケンの仲間とみなすことができる。
さて、リンネはこの本からCete vigesimus secundusという名称を取り出している。確かに説明の冒頭にVigesimum secundum Hafgufaとあってハーヴグーヴァをcetus (cete)とすればリンネの名称が引き出せる。しかしこのVegesimus secundumは「海の巨獣」セクションの掲載順のことで、「二十二番目(の巨獣)ハーヴグーヴァ」という程度の意味だ。なぜリンネがハーヴグーヴァではなく「(バルトリンの紹介する)二十二番目の海の巨獣」としたのか、よくわからない。ただ、リンネの本のほかのセクションは見ていないので、同じように記述されている生物種がいたとすれば、そういう記述(転載)方針があるのだと納得することもできるが、力尽きた。
とはいえ、とりあえず、Bart. cent.はクラーケンのような生き物を紹介しているといえる。
3番目のEphem. Nat. curはMiscellanea curiosa, sive Ephemeridum medico-physicarum Germanicarum Academiæ Naturæ CuriosorumのDe singulari monstro marino (1678)「特異な海の怪物について」という論文のことである。リンネはこのタイトルからSingulare monstrumという名称を採用したらしい。内容はラテン語だがよくわからないが、Google翻訳ラテン語辞書を駆使すると、だいたい「北欧の海に棲む非常に巨大な怪物がいる。真夏の日差しが強いときにゆっくり浮上、(日向ぼっこをして?)再び沈んでいく。云々」とある。これもクラーケンの仲間だといえるだろう。何よりも面白いのは、この論文での動物の名称がSeekrabbe「セークラッベ」だということ。これはポントピダンがクラーケンの別称として伝えるクラッベン(krabben)に「海」seeをつけたものに他ならない。こっちのほうでもリンネは現地名ではなくラテン語の表現を採っている。

こう見ていくと、ますますリンネがこいつらの仲間にレディのいうミクロコズモ・マリノを入れ、しかもそれを代表名にしたのかよくわからない。サイズを度外視すると、確かにクラーケンは島のように見えるから、ミクロコズモと近いかもしれない。それに名前も魅力的ではある。

まとめ〜ニアミス〜

要するに、リンネは「クラーケン」という名の動物に学名を与えたというわけではなかったが、それでも彼は、クラーケンに非常に近い動物がいることを認識したうえで、それに対して、何だかよくわからない海の動物の名を借りて、まとめて分類したということになる。
何だかよくわからない海の生き物を最初にミクロコスムス・マリヌスと(訳せる言葉で)表現したのはフランチェスコ・レディで、1684年のことだった(リンネの引用文献の2番目)。そのラテン語訳(?)が4番目(1686)。
また、それ以前に、北欧の巨大生物についてトマス・バルトリン(1657、1番目)とパウリーニ(1678、3番目)が記述しており、前者はハーヴグーヴァ、後者はセークラッベという名称を書き留めていた。いずれもクラーケンとよく似た特徴を持っている。
リンネはこれらを同一種と同定したのだった。

これらをさらにポントピダンのクラーケンと結び付けた最初の記述が何かはわからないが、公私を問わないならば、Peter Ascaniusというデンマークの博物学者が1755年4月7日の日付でリンネに送った手紙がそれかもしれない。彼は、ポントピダンの『ノルウェー博物誌』が英訳されたが、そこに「ミクロコスムス」が載っている、私は真偽を保留するが、と書いている。おそらくこのときリンネはクラーケンのことを知ったのだと思われる。
公にされた文章のなかでは、
Nova acta physico-medica ... ephemerides, tomus secundusのMicrocosmo, bellua marina omnium vastissima (1761)が古いほうだと思われる。これもラテン語なので適当に要約すると、ここで紹介したラテン語文献をどれも引用し、さらにレディのミクロコズモとハーヴグーヴァ・セークラッベが違うことをちゃんと指摘したうえで、ポントピダンのクラーケンの箇所を引用している(ようである)。

また、

おまけ:名前の初出

Oxford English Dictionaryなどにもあるが、krakenという英単語の初出は、ほぼ確実にポントピダン『ノルウェー博物誌』の英訳(1755)である。原書はデンマーク語らしいので、krakenという単語自体の初出も原書出版(1753)あたりということになるのだろう。ただしseekrabbeが1678年の文献に確認できるように、少し違う語形ならポントピダン以前にも確認できる。いちいち読んで内容を紹介していられないのでその箇所だけ書いておく。
1701年にイタリア人旅行家フランチェスコネグリ(Francesco Negri)が『北欧旅行』(Il viaggio settentrionale)のなかにSciu-Crakのことを記している。Sciu-はおそらく「シュ」という発音の転写で、セークラッベのセーと同じ「海」という意味だろう。ノルウェーで彼が聞いたのは、だいたいクラーケン伝承と同じようなもののようだ。ただし「魚」と表現されている。

追記:ミクロコスムスのその後

wikipedia日本語版では、リンネはクラーケンを頭足類の一種とみなし、『自然の体系』初版(1735)でMicrocosmusという学名を与えた、とされている。その後実在が否定され、軟体動物門の学名としては無効名になった、ともされている。しかし尾索動物の一種としてはこの学名が使われているともいう。どういうこと? ここでも原典に戻って調べてみよう。

一覧表がメインコンテンツになっている『自然の体系』初版では、ミクロコスムスは一番最後に載っている。日本語訳は千葉県立中央博物館(編)2008『リンネと博物学 自然誌科学の源流 増補改訂』に掲載されているが、英訳を参考にした者のようだ。いずれにせよ、当時のリンネの分類では、この生き物は動物界(Regnum animale)蠕虫綱(vermes)植虫目(zoophyta)ミクロコスムス属(microcosmus)に位置づけられている(日本語訳p. 35では「ホヤ」とされている)。この属にいる種はMicrocosm marin.の一つだけである。植虫目に属する他の動物種は、今と学名が違うのではっきりわからないが、メリベ(ウミウシの一種)、ヒトデ、クラゲ、イカなどである。

いずれにせよリンネが『自然の体系』初版でミクロコスムスを頭足類に分類したという事実はない。また、「門」とかそういう階層が確立する前の分類なので、現在は無効名だという言い方がどれだけ適切なのか、疑わしいところである。

初版以降は、第9版(1756)までは残っているが(testacea、貝類?に分類が変わっている。自著『スウェーデンの動物相』参照、ともある)、二名法による分類学を確立したとされる第10版(1758)からは消えてしまった。

さて、上に書いたように、リンネはミクロコスムスという名称をフランチェスコ・レディから採用した。その後、彼は『スウェーデンの動物相』のなかでレディのいう動物はクラーケン的な動物と同一種である、と考えて一つにまとめた。しかしクラーケン的な動物は、確かにその後実在が否定され、動物学から排除されていくことになる。……だからといってミクロコスムスそのものが排除されたというわけではない! レディのいうミクロコスモ・マリノについては何も疑われていないのだ。それではこの生き物の正体は何なのか。
答えは単純で、今この学名が使われている動物のことである。つまり脊索動物門・尾索動物亜門・ホヤ綱・壁性目・マボヤ科・ミクロコスムス属のことである。……要するに、ホヤの一種だ。
たとえばMicrocosmus sabatieriについてwikipedia英語版は「岩のような形をしている。地中海産」と言っている。ついでに「ミクロコスムス属はどれも食べられる」とも書いてある。さらにいくつか写真を見てみるとゴツゴツしていて何か草木みたいなのも生えていて、レディの表現にかなり一致する。これを「小世界」とみるのはレディ自身の盆栽的というか箱庭的な感覚によるものなのだろう。

リンネにより分類学が確立してから半世紀ほど経った1815年、ジョルジュ・キュヴィエはミクロコスムスに言及して「リンネがなぜレディのいう動物と北欧の巨大な生き物を同一視したのかさっぱり理解できない」としつつ、ホヤ(ascidies)の一種, ascidia microcosmusとして分類しているようである(Mémoires du Muséum d'histoire naturelle, tome 2, pp.10-39)。pl.1, f.1には、より現実的とおもわれるミクロコスムスのイラストが掲載されているが、レディのよりも多少ゴツゴツさがなくなり、草木もおとなしめに表現されている。おそらくこのあたりでミクロコスムス=ホヤの一種が動物分類学の一員として正式に取り入れられたのだろう。
さらに、ジュール・セザール・サヴィニーという動物学者がこれまでのホヤ類の報告を整理してcynthia属にmicrocosmus種を位置づけ、ロンドレその他の人々による別名での報告もあわせ、レディやキュヴィエのいうミクロコスムスと同定した(Mémoires sur les animaux sans vertèbres, 1816)。
以降、現在まで、ホヤの一種に対してミクロコスムスという学名は使われつづけている。


というわけで、二重にアナクロニックに言うならば、結論としては「リンネはクラーケンを巨大なホヤの一種だと考えていた」ということになる。

間違いを書いている本

 クラーケンについて以上のような調査をしなかったために勘違いしたことを書いてあるものは書籍ネットを問わずあちこちにあるが(おそらく一番まともなのは澁澤龍彦の『幻想博物誌』)、特に「やっちゃったな」と思うのを二つ。
 まず、山北篤2010『幻想生物 西洋編』。出版社の紹介には「英語文献はもちろん、フランス語ドイツ語ラテン語まで追いかけた著者渾身のモンスターカタログ」とあるので発売前は期待していた。実際に読んでみると、確かに、たとえば翻訳や版によって『幻獣辞典』のなかのア・バオ・ア・クゥーの説明が異なっているという指摘など、そうだったのかーと思うところもあったが、全体的に微妙で、とくにクラーケンのところはアウトだった。

 要約すると、このようなことが書いてある。クラーケンの初出はポントピダンの『ノルウェー博物誌』ではなく、リンネの『自然の体系』である。彼はこの本の初版にクラーケンを入れてしまったが、第2版以降は削除してしまった。……山北は「ラテン語まで追いかけた」と言い、さらに参考文献のところに、出版年も出版社も不明ながらSystema Naturaeというラテン語タイトルまで入れているのに、なぜか『自然の体系』初版にはクラーケンが載っており、第2版からは削除された、と堂々と書いているのだ。つまり彼は読んでいないのに、読んだふりをして、知ったかぶりをしてしまったのである。上に紹介したように、『自然の体系』初版については日本語訳も出ているのだから、それを参照することもできたはずだが、山北は、それもしなかった。


 次に、松平俊久2005『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』。中身は、怪物の概念に関する論文とモノグラフに、文字通りヨーロッパの怪物事典が挟まっているというもの。この本、以前も酷評したが、書いてあることはかなりダメダメながら、学術的な体裁をとっているぶんだけ信用されそうな感じがして(たとえばWikipediaの出典としては十分に認められてしまうだろう)、ファンタジー解説本よりもたちが悪い。
 さてクラーケンについては、最初のほうの著者の論文に「……ビュフォンは、著書『一般と個別の博物誌』のなかで、怪物をひとつだけ記録している。それは海に棲むと考えられていた怪物クラーケンである。彼は同書で、クラーケンがタコの怪物であることをはじめて図版によって明らかにした。図版については、本書第2章のクラーケンの項……を参照のこと」と書かれている。えっ!? ビュフォン!?
 そういうわけで「第2章のクラーケンの項」を見てみると、おなじみの図版があり、キャプションには「大ダコとして描かれた船を襲うクラーケン。ビュフォンによる『一般と個別の博物誌』の初版は、1749年からパリで刊行された……。ソンニーニ(1751-1812)による改訂版は、ビュフォンの弟子たちによる調査記録を収めたもので、ビュフォン博物学の集大成といわれている。1145枚の図版はすべて手彩色である。云々」と書かれている。しかしこの図版、荒俣宏の『怪物の友』では、デニス・ド・モンフォールの『軟体動物誌』掲載のもの、と紹介されている。どういうことか?
 ビュフォンの『博物誌』の図版部分については日本語訳があり(ベカエール直美訳、荒俣宏監修)、松平はそれを参考にしたのだと思われる。しかし未訳の文章部分には、彼は手をつけなかったようだ。実は、ド・モンフォールの『軟体動物誌』はビュフォンの死後、彼の『博物誌』を補完するものとして書かれたものであり、『博物誌』シリーズの一環なのである。だから、『博物誌』にこの図が載っているという指摘は、荒俣の紹介と矛盾するものではない。ただ、このことに気づかなかったせいか、松平はビュフォンがクラーケンに言及した文献の年代を特定できなかった。まぁそもそも言及していないんだから仕方ない。
 しかし、まだ問題はある。ツイッターで指摘したように、ド・モンフォールはこの絵を、クラーケン(poulpe kraken)とは別の生き物であるオオダコ(poulpe colossal)として紹介しているのだ。
 つまり松平は二重に勘違いしている。一つめは、この図について書いたのはド・モンフォールではなくビュフォンだという勘違い。二つめは、この図はオオダコではなくクラーケンであるという勘違い。
 ただ、後にこの図版がどういうわけかクラーケンとして流通するようになったのは事実なので、後者の勘違いについては「みんな勘違いしていた」ということで多少は情状酌量できるかもしれない。とはいえ、そのような勘違いを勘違いとして意識しなければ何の意味もない。松平はクラーケンの項のみならず、多くの項目で、ていねいに原典を探索し、読解するという、文献を扱う研究の基本的な作業を怠っているように思われる。(きつめに批判するのは、この本が、脚注・索引・文献を完備し、研究者である著者が自分の専門分野について書いたという学術書の体裁をとっているから)