妖怪事典化するWikipedia

加筆量

ここ数週間ほど、逃亡者さんによるWikipedia日本語版の妖怪項目への加筆がすごい。多くは村上健司の事典などからの孫引きであるものの、この質と量、このままいけば確実にWikipediaが世界最大のオンライン日本妖怪事典になるのは目に見えている。ただただ敬服するばかり。
それにしてもほとんど毎日、かなりの数の項目に加筆しているようなのですが、いったいどういう生活サイクルを送っているのだろう、とか思ったり。

基本文献

無限∞空間(エジプト神話サイト唯一の大御所)の岡沢さんがプルタルコスの『イシスについて』(de Iside; 欧米語圏ではラテン語名で通じる)を最近初めて読んだとは、半ば驚き。こうなったらバルトルシャイティスの『イシス探求』にまで手を伸ばして、ヨーロッパの妄想的イシス狂いをたっぷりと吟味してほしいところです。
ところで傍目から見れば基本文献(情報)であるものを、入れ込んでいるマニアの人が読んでいないというのを知るとやや優越感を持つとともに、「傍目」が単なる勘違いであるのかもしれないと不安を持つし、同じく自分がマニアであると自称できるものに対して同じように基本文献を読んでいないのではないかというおそれも、まあ、論理的には当然成り立つことになる。
というわけで自省してみると、特に入門書や概説書の類にこの手のものが多い。私は自分のことを幻想動物マニア*1でドラゴンマニア、そして神話マニアだと思っているけど、たとえば一番目のについていうとここ数年出ている日本語のモンスター事典は一切手をつけていない。キャロル・ローズは原書を持っているから買わなかった。となると、まず問題となるのはいまどきの流行についていけなくなってしまうということ。世間様がどうして幻想動物と接点を持っているか知らないと、学者でも専門家でもないのに象牙の塔にこもってしまうことになる(このブログの大半はすでにそうなっちゃってるかも)。もちろん私はそんなこと望んでない。また、そうした書籍には思わぬルートから思わぬ新情報が入っていることもあり、それを見逃すことになってしまう。そんな情報が案外重要な穴を埋めてくれたりするから厄介だ。それにしても以前なら、10年位前なら確実にこの手の入門書を買っていたんだろうなあ、と思うと何か感慨にふけってしまうのだけど。ドラゴン関係で言うと新紀元社truth in fantasyの『ドラゴン』は手元にないし、荒川紘『龍の起源』もフランシス・ハクスリー『竜とドラゴン』もない。こんなのを挙げているときりがない。でも、それは半分くらいの割合で「読まなくても・買わなくても困らない内容だろう」という判断が行われたというのがある。と思う。
いわゆる古典的名著や原典コンプリートしていないもの・複数巻に分かれていて1巻分ぐらいしか目を通していないものだと『今昔物語集』とか、『アラビアン・ナイト』とか、『マハーバーラタ』、『現代民話考』とか。全体的に読んでいないものだとプリニウスの『博物誌』とかプラトンの『国家』、『日本霊異記』、……
あまり思いつかないが、それはたぶん「もう大半は読んだよ」という事実によるのではなく、単に自分が読まないものはなかったことにする、という、素人ならではの素敵な対応を無意識のうちに取ってしまっているのが原因なのだろう。それだからこそオンラインにせよオフラインにせよ同好の人との交流が必要なんだと思う。

*1:マニアという言い方は古い気がするけど、かといってヲタじゃない、と思う……のは古い価値観の現われか。