「妖怪の定義について」について

今回の、あちらこちらに拡散していった「妖怪の定義」問題(妖怪の定義について - Togetterにまとめあり)を、私toroiaの視点からまとめてみることにする。
念のため、以下の話はすべて日本限定であることを断っておく。

まず、以前から私は妖怪クラスタで使われる「画像妖怪」と「伝承妖怪」という区分について、わかりやすいとは思いつつ、根本的なところが納得できないでいた。それはこの二つを「妖怪」の下位カテゴリーにするときに浮上する「妖怪」概念のあやふやさである。
一般的には、二つの「妖怪」は次のようにまとめられるだろう。

  • 伝承妖怪は、俗信、史書、随筆、世間話、昔話に表現された妖怪。
  • 画像妖怪は、絵画、戯曲、物語、戯文、創作に表現された妖怪。
  • 佃承は略。

これは、以下の氷泉さんの書き込みに基づく。

この二つの「定義」では、「妖怪」という概念が前提とされている。では、「妖怪」という言葉を使わずに、この二つを定義できるだろうか?
以下は、あくまで私の個人的な試みである。

  • 伝承妖怪は、現在の正統的な科学知識からすると「人々の言い伝えの中にのみ存在する」と考えられている行為主体と、個別化されたその行為。神様と人間を除く。
  • 画像妖怪は、伝承妖怪をその一部に含む様々な民俗的カテゴリーに入る対象のうち、伝承妖怪(と佃承妖怪)ではないもの。

 「画像妖怪」については定義に「伝承妖怪」があるから不十分だと言われそうだが、「伝承妖怪」は上で定義してあるので、冗長になるがその定義を代入すれば「妖怪」という語を抹消することができる。
 それよりも、明らかに回りくどい説明になっているので具体例を挙げる。
 鳥山石燕の「百鬼」というカテゴリーには、伝承妖怪(天狗、犬神など)と、それ以外の存在(瀬戸大将、木魚達磨)が含まれている。この二つを石燕は一つのカテゴリーに入るものとみなした。そこで私たちもこのカテゴリー化を受け入れて、それを「妖怪」とする。その中から伝承妖怪を差し引いたものが、画像妖怪である。
 他にも、伝承妖怪がその一部を構成するかぎり、「妖怪」「化け物」「お化け」「怪物」「怪異」「都市伝説」などにカテゴライズされる(そのように呼ばれているか、呼ばれる可能性を持つ)ものは、伝承妖怪以外は画像妖怪である。「怪獣」「怪人」「クリーチャー」などであっても、その言葉が使われる具体的なコンテクストで、そのカテゴリーに伝承妖怪が入っている場合は、そのときに「怪獣」カテゴリーに入っている対象を画像妖怪とみなせる(これはちょっと……と思う人は多いかもしれない)。
 さらに、ここでいう民俗的カテゴリーには、たとえば妖怪図鑑や事典も入る。また、たとえば小松和彦が「妖怪」とみなした対象の集合も、「小松和彦の提唱する妖怪」というカテゴリーとみなすことは十分に可能である。一般人の妖怪マニアがぼんやりと思っている「妖怪」も、ここでいう「様々な民俗的カテゴリー」に入る。

 さて……この定義をひとまず受け入れてもらうならば、「伝承妖怪」と「画像妖怪」にどのような共通する属性があると言えるだろう。この属性は、他の、たとえば「動物」とか「人間」とか「キャラクター」とか「奇妙な姿のもの」といったカテゴリーと共有できないものでないといけない。なぜなら、ある属性をこの二つ以外のものとも共有できてしまうなら、それは「妖怪」を含んだより広いカテゴリーに収まるのであって、「妖怪」自体に限定するのは恣意的なことになってしまうからである。
 私の考えでは、ないように思える。少なくとも概念を単配列的にするなら、無理だ。だから、この二つは、「妖怪」という大きな(何らかの共通の属性をもつ)集合を区分したものではない。むしろ、この二つ(と佃承妖怪)が合わさって、すべての対象に共通するものは何もない、多配列的な集合である「妖怪」を構成している、と考えた方がいい。

……と、このような私自身の内的な前提があって、小山田浩史さんの次のような発言があったわけです(詳しい流れはtogetterで)。

小山田さん自身は、このツイートの意図を二日後に次のように説明している。

 とても納得のいく意図である。だが、私は、「そりゃあそうだろうけど」と思いつつ、小山田さんの「伝承妖怪」「画像妖怪」「オリジナル妖怪」という言葉に反応してしまった(小山田さんの意図については全面同意、当然のこと、と思っていたので、あえて賛意を示すツイートはしなかった)。小山田さんの一連のツイートを、私は次のように読んだ。

  • 画像・伝承・オリジナルという区分をしない「フラットな」妖怪受容者がいるが、そのままだと『妖怪図鑑』に載っていること自体が妖怪の定義だという「誤解」が生まれるだろう。妖怪という概念の定義についてもう少し意識するならば、(伝承妖怪の定義を基準にして※この部分はtoroiaによる想像)それらを区分して受容することになるだろう。

 しかし、私自身は上記のようにあれこれ思案したあげく、画像妖怪と伝承妖怪という区分を使った場合に限るならば、上位カテゴリーとして前提とされている妖怪という概念の「定義」自体が無理だろう、という結論を持っていた。だから、フラットに受容する以外に「画像・伝承・オリジナル」という区分を持つ段階はありえるだろうが、それは、それらを包括する「妖怪」というカテゴリーの妥当性を問いに付さない時点で「中途半端」(「知的怠慢」)に見えた。つまり、「画像・伝承・オリジナル」という区分をする/しないという点で自らや相手の「定義」に対する態度を判断するとき、その前提となる「(しつこいけどそれらの上位カテゴリーとしての)妖怪自体の定義について考える」ことが放棄されている、そのように私は思ったし、今でもそう思っている。
 私は、もしも誰かが、私とは違った視点で「妖怪」という言葉を使わずに「画像妖怪」と「伝承妖怪」を定義してくれたら、あるいはその上位カテゴリーとしての「妖怪」自体を定義してくれたら、それは大変刺激的なことなので、ひそかに期待してもいた(いる)。とくに小山田さんについては、以前から大学で人類学や民俗学の訓練を受けた妖怪関係者(?)として注目していたので、「もっと考えを進めてもいいのではないか」と、勝手に思っていたわけだ。

私自身の問題点は、この時点で、自分が(画像・伝承の区分の前提となる)「妖怪」という概念についてどのように考えていたかをつぶやかなかったことだと思う。しかし、それを140字の枠内でまとめるほど頭はよくなく文章力もなかった。
その後は、この問題点に直接触れることなく、「妖怪の定義」というお題から、小松和彦の学術的定義や京極夏彦のOED的定義がどのような特徴を持つのかをつぶやいたり、小松が、自身の定義に当てはまらない対象を妖怪として扱っていることを間接的にディスったり、概念の二つの区分について語ったりしていた。ぶっちゃけ、小山田さんの意図とは関係ないところに話を持っていった。
翌日、私は改めて画像・伝承の区分について文句をつけた。

要するに、私は画像・伝承妖怪というコンテクストの中で妖怪の定義を、それができるのかどうかも含めて考えてみたかったのだが、舌足らずだった、ということ……。
最終的には、小山田さん自身が私のひそかに思っていた疑いについてツイートしてくださったので、すっきり、暫定的には解決したものと考えています。

「そこが気になっていました」じゃないよ莫迦! お粗末さまでした。