日本神話と比較神話学のウェブサイトが……

記紀を中心とした日本神話について詳細な解説と読解がなされている日本神話の御殿さんのページの「神話形式・類似神話」が試験的に復活・公開されているのに気づきました(試験公開中なので、リンクはしません)。なかなか伝統的な日本でいうと大林太良系の民族学(Ethnologie)をベースにした比較神話学のまとまった概説ページなんで、見ていてとても興味深いし、参考になります。

ここでいう民族学はレオ・フロベニウスやヘルマン・バウマンら、戦前の研究者たちがドイツ語圏で盛んに行なっていた文化圏論を中心とする理論です。その周辺には人類学者ジェイムズ・フレイザーや多くの19世紀末〜20世紀前半の古典学者たちがいました。そんな文化圏論ですが、戦後ドイツ民族学とともに省みられなくなり、現在でも、主流傍流を問わず「文化人類学」ではまったく相手にされていません。竹沢尚一郎の『文化人類学的思考の歴史』でもあまりにもサラッとスルーされていて気づけないほど扱いが小さいです。日本では前述の大林太良が唯一最後までがんばっていましたが、彼の死とともに文化圏論的な比較神話学は終焉したようです。
このような状況になったのは、別に理論に根本的な間違いがあったとかではなく、結局文化圏論では解明できないことが多すぎたというのがおもな理由です。また民族学(ドイツ語圏以外でいう「社会/文化人類学」socio-cultural anthropology)自体が「民族や文化の起源」という関心からむしろフィールドワークによる「現在」の研究に、あるいは共時的な研究に以降していった、というのがあるのかもしれません。
とはいえデュメジルレヴィ=ストロースエリアーデのような、やたら難解な理論を理解してからでないと手のつけようがない20世紀中盤の比較神話学よりはずっと門外漢にもわかりやすいので、私としては、けっこう好きだったりします。
現在の比較神話学は、よく名前を聞くフィリップ・ヴァルテールやミヒャエル・ヴィッツェルなどを見てると正直大言壮語極まれりって感じで(どちらもユーラシア神話の再構築を目指している)、デュメジルの精緻な文献学的比較やレヴィ=ストロースのとんでもない構造主義的思考と比較すると、神話学外への影響力がないというか、要するに魅力がないというか、残念というか、……。