先史世界の初期絵画表現

先史世界の初期絵画表現っていう副題の本が出ているようです。メインタイトルは『太古の光景』。

皆さんは自然史博物館やテレビ番組で「太古の光景」(たいていは恐竜たちが闊歩している)をご覧になったことがあるでしょう。本書はその「太古の光景」の19世紀における誕生と初期の発展の過程を叙述したもので、「光景」の変遷を示す105枚の図版と、「光景」制作者による86篇の解説の文章と、著者ラドウィックによる時代背景の説明からなっています。

http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=978-4-7948-0805-9

だそうです。
前の新刊情報エントリでせっかくyulicoがヘッケルについてコメントくれたのを華麗にスルーしてしまっていたんですが、私がヘッケルなんてのを紹介したのは、いわゆる未確認動物(ネッシー、雪男、ツチノコなど)を考えるにあたって、もしかしたらその前史として19世紀から20世紀前半にかけての古生物学が存在するのではないか、と思ってるからです。
で、おそらくこの『太古の光景』というのもそのことを考えるにあたって結構参考になるのではないかと。
たとえばネッシーを恐竜とか首長竜とかの生き残りだとする説は昔からあるわけですが、ではその「昔」の時点で言う「恐竜」ってのは、現代の古生物学でいういわゆる「恐竜」とはかなり違ってると思うし、世俗的なイメージでいう現代的な「恐竜」ともまた違っているわけで、要するに、「恐竜」というイメージで人々がネッシーについてどのような眼差しを投げかけていたということを均一に理解することはできないと思うのです。学説がかわれば旧来の学説でイメージされてきた恐竜ってのは間違ったイメージだってことになる。となるとそれまでイメージされていた恐竜ってどこにいったのか。イメージはイメージ? かもしれません。でもここでドナルド・デイヴィッドソン(言語哲学者)風にいうと、そこには言語で組織される単なる認識論や概念枠以上のもの、存在論的な前提があるのかもしれないのです。
いわば、この痕跡的な(化石的な)存在がどこかで未確認動物の存在論に結節してるのではないか。
そんな感じでいろんなこと思ってます。