西洋竜と東洋龍
少し前に知ったのだが西洋のドラゴンは西洋竜と書き、東洋の竜は東洋龍と書き分ける作法があるらしい(……いや、こんなことを、こういう内容のブログをやっているくせに知らなかったのは「恥」だと思うのですけど)。
竜と龍は字体の違いなので意味内容に違いはない。どの漢和辞典を見ても同じと書いてある。しかし西洋竜は「竜」なのに、東洋龍は「龍」なのだ! 確かに、いったいどこが起源かはわからないけど、私にもおぼろげながら「龍といえば中国とかの蛇みたいなの」「竜といえばヨーロッパとかの恐竜みたいなの」と思っていた記憶がある(かもしれない)。
そのことが最近2ちゃんねるのドラゴンと龍スレッドで話題になって、以下のような書き込みがされた。
845 :天之御名無主:2008/01/28(月) 14:34:43
>>841-843
1980年代後半〜1990年代初め頃、ワイアームの和訳に「龍」の漢字を宛てて
「竜」と和訳してたドラゴンと区別したのが、日本のファンタジーやRPGにおける意味の区別の始まりらしいドラゴンの意味以外で使い分けた例だと、1960年代の司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は
実在の坂本龍馬とは異なる架空の坂本竜馬として漢字を使い分けたらしい
もしこれが事実だとするなら、龍と竜の区別は元来東洋と西洋によるものではなく、現在でいう「竜」内部の分類のための便宜上のものだったということになる。それがいつしか、境界がずらされ拡張されていって、東洋と西洋を分ける分水嶺、ということになってしまったらしい。
らに、こういうふうに言葉の上で使い分けがなされると竜と龍が二項対立化し、その他さまざまな局面で「対立」の粗捜しが行われるようになる。私が見つけた限りで多かったのは、上記の姿のほかには、善:悪=龍:竜、水:火=龍:竜、神:悪魔=龍:竜などである。いずれも全く疑わしい限りの二項対立だ。
そもそもいつごろ竜が英語やフランス語などにおけるdragonの訳語として当てられたのかはわからないが(明確な形で立証できるとすれば中国に来た宣教師あたりが端緒だろうか? これについては調べてみる価値はありそう*1)、双方の起源は――いまどき森雅子や井本英一みたいに伝播説をとるならともかく――おそらく違う。違うというか、ヨーロッパとアジアが海を介して邂逅するまでは、ほとんど交流もなかっただろう(でもヨーロッパの東にあるイスラーム世界の竜は基本的には中国龍だ。そのあたりはどうなっているんだろう)。それに実在しない。ヴァルター・ベンヤミンのいう「純粋言語」のなかには、たぶん存在しない語彙だ。とはいえ、わからないものこそ訳語をつけるべきではあったのだろう、龍はdragonとなった。そのほかおそらく麒麟はunicornになったし鳳凰はphoenixとかfire birdとかになったのだろうが、どういうわけか 【龍】 dragon. だけ現在もまかり通っているというのは、謎といえば謎である。それがエジプトのスフィンクスやスキタイのグリフィンのように元来の名称が散逸して待っているだけならまだわかる。しかし龍の場合は違う。やはり幻想世界で大きな位置を占めている、誰でも知っている、よく見たら似ていないこともない、などが要素としてあったのだろうか。おそらく最初にdragonと翻訳した人は、龍の、なによりも形態を重視したに違いないのだ。――いや、もしかしたら表象としての言語表現のほうを重視したのかもしれない。なにせ、言語上はドラゴンも龍も蛇の一種で、しかも巨大で空を飛び、超自然的な能力を持つ、ということは完全に一致しているのだから。
「ドラゴンと龍は違う」論者は西洋と東洋では善悪が逆だとかいうに違いない。でも、「現実に龍はドラゴンと翻訳されてしまっている」という唯一無比の反証を封印しておくとしても、当時の中国やヨーロッパでこいつらがどういう存在論的布置にあったのかを認識しておく必要はあるだろう。それはまず「当時」がいつのことかはっきりさせねばならないわけだが、少なくともルネサンス以降、ミシェル・フーコーのいう古典主義時代くらいには既に訳されていたようだ(たとえばキルヒャーの『シナ図説』)。ヨーロッパにおけるドラゴンは悪魔であると同時に純然たる動物の一種でもあったということは何度か書いてきたが(だから善悪の価値観はあまり問題にならない場合がある!)、中国のほうでも、張競が調べているところによると、かなり古い時代から龍は馬鹿にされ低俗であり貶められる傾向にあったようで(最たるものが『西遊記』『封神演義』における竜王の扱い)、こちらも必ずしも「善」、というかポジティヴなかたちで見られるばかりであったわけではない、ということも念頭においておく必要がある。もちろん当時も昔もその先も龍は皇帝の象徴だったが、可能性として当然考えられるのは翻訳者が象徴と同じレベルに龍をおかなかった場合である。
私が何を言いたいかというと「龍がdragonに訳されているのは現実なのだから、それに文句ばかり言うよりも(そんなことは誰だってできる)、なぜそうなったのか、頭をめぐらせてみたほうが建設的だ」ということだ。上に書いたようなことは私の単なる思い付きで実はなんの根拠もない。だからもっと建設的なのは、証拠を集めてみるということだ(私はこれを実証できるほどの材料を今持ち合わせていない。いつもながら自らの無知蒙昧不明痴愚に深く失望……)。
ところで龍と竜の「違い」はひいては東洋文明と西洋文明の「違い」にも連なってくる。連なってくる、というかそういう感じのことを書いているウェブページが多い。そういう文明論に対して、概していい加減な彼らの事実の使い方以上に緻密な記述によって反論をしていってみようというのが私の「竜とドラゴン」のひとつの目標だったりするからこの点について拙速なことを書くつもりはない。
ただ、本当の意味で全体的に考えてみると、そもそも龍とドラゴンの二項対立を、上記のような安直な図式でもって扱う(つまり頭を使わなくていい)ページさえほとんどないという事実がある。あったとしても軽い思いつき程度であることばかり。まあそんなもんなのだ*2)。人文系のなかでも、とくにこれといった専門を持たない幻想動物(よくいえば学際的)系は院生とか大学の先生が、ほかの分野ではありがちなアカデミックブログやウェブサイトを開設することもないわけで、いろんな意味で「井の中の蛙」とか「コップの中の嵐」にならざるを得ない状況にあるのは、さびしい(いやー、それでも某氏や某氏、某氏などのやっておられる幻想武器に比べれば……幻想武器と幻想動物では、それらを対象にした本の数も学術論文の数もぜんぜん違うだろう[もちろん後者のほうが多い])。