クラーケンとミクロコスムス

これから書くことは、Googleブックスで見てみると、ベルナール・ユーヴェルマンスのThe Kraken and the colossal octopus (2003)にもちゃんと書かれているようだが、この本は無駄に高価なので自分で調べてみた。

「リンネはクラーケンに学名を与えた」

Wikipedia日本語版の「クラーケン」などでは分類学の父カルル・フォン・リンネが主著『自然の体系』初版(Systema Naturae, 1735)でクラーケンにミクロコスムス・マリヌス(microcosmus marinus)という学名を与えたことになっている。リンネはスウェーデン人で、クラーケンの主要伝承地が御隣のノルウェーだから、彼がこの怪物についての噂話を知っていた可能性は高く、エーリク・ポントピダンの言うように「自然に反するところのない」動物だから、確かに『自然の体系』にクラーケンが入っていてもおかしくはない。
しかし細かい話だが、ポントピダンよりも先にリンネがクラーケンを認知していたとすればもう少し話題になってもよかったはず。「クラーケンを有名にした」という形容はポントピダンのどマイナーな博物誌よりも明らかに現代も参照されるやつ(の初版)に授けられるべきだからだ。
というわけで具体的に調べてみた。

ミクロコスムスという名称はさらにさかのぼれる

Wikipedia英語版にもあるが、後年の『スウェーデンの動物相』(Fauna Suecica, 1746), p. 386にもミクロコスムス・マリヌスは掲載されていて、「ノルウェーの海にいるというが、私は見たことがない」というリンネのぼやきとともに、出典も載っていた。引用する。
Microcosmus.
1351 MICROCOSMUS.

  1. Bart. cent. 4 p. 284. Cete vigesimus secundus.
  2. Rhed. vivent. t.22. f. 1.4.5. Microcosmus marinus.
  3. Ephem. Nat. Cur. ann. 8. bbs. 51. Singulare monstrum.
  4. Act. lips. 1686. p. 48. t. 48. Microcosmus marinus.

番号は勝手につけた。ごらんのとおりクラーケンのクの字もないし、どういう動物かも書かれていない。そこで、出典をたどって、リンネがなにをもってミクロコスムス・マリヌスと言ったのかをチェックする必要がある。しかし、過去の文献によくあることだが、省略した文献の正式名称がどこにも載っていないので探すのが大変である。当時の博物学界隈では常識だったのだろうが……。

なんかキモいのが見つかった

探索過程を一切省略して、ミクロコスムス・マリヌスの出典である2番目のRhed. vivent.が何か?の答えを書くと、Osservazioni di Francesco Redi... intorno agli animali viventi, 1684である。フランチェスコ・レディの『生きている動物の観察』。リンネのものより半世紀ほどさかのぼる。そしてt.とf.は英語でいうtableとfigureだろうとあたりをつけ、探してみる……


なんだこれは

2ページ前の図の説明にはMicrocosmo Marinoとある(イタリア語)。さらに本文の60〜62ページにかけて、この謎の生き物?についての記述がある。イタリア語は不得手ながら辞書を引き引き読んでみると、これまで誰も報告していないが、海にすごい生き物がいる! 見た目とか触った感じだと、なんか石とかサンゴとかの塊みたいだけど、山とか丘とか谷とか平原みたいなのがあって、そこに草木が生えていて、本物の海藻も生えていて、ムカデとか小さな貝とかが棲み処のように出入りしている! これは(いわば)海の中の生きている小世界、Microcosmo marino animatoだ! 口みたいなのがあって、そこから水を吹きだすようだ!」(ここで力尽きた)と書かれている。
軟体動物には詳しくないのでこの生き物が現代でいう何かはわからない。ただ一つ言えるのは、人の手でさわれるこいつはクラーケンではないということだ。見たところサイズについては書かれていないが、海藻の大きさから考えて、数十センチから1〜2メートルといったとこか。

その他の引用文献の中身

もう一つのミクロコスムス・マリヌスの出典、Act. lips.とある4番目の文献はActa eruditorum publicata Lipsiae ... Anno 1686のことで、ラテン語で書かれているのでよくわからないが、pp. 48-52にかけてレディの本のミクロコスムス・マリヌスの記述のラテン語訳が掲載されているようである。
それでは残り二つにクラーケンはいるのか?
1番目のBart. cent.はデンマーク人トマス・バルトリンHistoriarum anatomicarum rariorum, centuria IV (1657)で、175〜176ページにかけてHafgufa(ハーヴグーヴァ)あるいはLyngbak(リングバック)というcetus(「海の巨獣」「クジラ」)が記述されている。この二つについては、Wikipedia英語版のKrakenに、北欧の伝説に登場する怪物として簡単な紹介がされている。バルトリンの記述では、Brandano(=聖ブレンダン)の単語があることからもわかるとおり、島のようにみえる超巨大な海の生き物ということになっていて、こちらはクラーケンの仲間とみなすことができる。
さて、リンネはこの本からCete vigesimus secundusという名称を取り出している。確かに説明の冒頭にVigesimum secundum Hafgufaとあってハーヴグーヴァをcetus (cete)とすればリンネの名称が引き出せる。しかしこのVegesimus secundumは「海の巨獣」セクションの掲載順のことで、「二十二番目(の巨獣)ハーヴグーヴァ」という程度の意味だ。なぜリンネがハーヴグーヴァではなく「(バルトリンの紹介する)二十二番目の海の巨獣」としたのか、よくわからない。ただ、リンネの本のほかのセクションは見ていないので、同じように記述されている生物種がいたとすれば、そういう記述(転載)方針があるのだと納得することもできるが、力尽きた。
とはいえ、とりあえず、Bart. cent.はクラーケンのような生き物を紹介しているといえる。
3番目のEphem. Nat. curはMiscellanea curiosa, sive Ephemeridum medico-physicarum Germanicarum Academiæ Naturæ CuriosorumのDe singulari monstro marino (1678)「特異な海の怪物について」という論文のことである。リンネはこのタイトルからSingulare monstrumという名称を採用したらしい。内容はラテン語だがよくわからないが、Google翻訳ラテン語辞書を駆使すると、だいたい「北欧の海に棲む非常に巨大な怪物がいる。真夏の日差しが強いときにゆっくり浮上、(日向ぼっこをして?)再び沈んでいく。云々」とある。これもクラーケンの仲間だといえるだろう。何よりも面白いのは、この論文での動物の名称がSeekrabbe「セークラッベ」だということ。これはポントピダンがクラーケンの別称として伝えるクラッベン(krabben)に「海」seeをつけたものに他ならない。こっちのほうでもリンネは現地名ではなくラテン語の表現を採っている。

こう見ていくと、ますますリンネがこいつらの仲間にレディのいうミクロコズモ・マリノを入れ、しかもそれを代表名にしたのかよくわからない。サイズを度外視すると、確かにクラーケンは島のように見えるから、ミクロコズモと近いかもしれない。それに名前も魅力的ではある。

まとめ〜ニアミス〜

要するに、リンネは「クラーケン」という名の動物に学名を与えたというわけではなかったが、それでも彼は、クラーケンに非常に近い動物がいることを認識したうえで、それに対して、何だかよくわからない海の動物の名を借りて、まとめて分類したということになる。
何だかよくわからない海の生き物を最初にミクロコスムス・マリヌスと(訳せる言葉で)表現したのはフランチェスコ・レディで、1684年のことだった(リンネの引用文献の2番目)。そのラテン語訳(?)が4番目(1686)。
また、それ以前に、北欧の巨大生物についてトマス・バルトリン(1657、1番目)とパウリーニ(1678、3番目)が記述しており、前者はハーヴグーヴァ、後者はセークラッベという名称を書き留めていた。いずれもクラーケンとよく似た特徴を持っている。
リンネはこれらを同一種と同定したのだった。

これらをさらにポントピダンのクラーケンと結び付けた最初の記述が何かはわからないが、公私を問わないならば、Peter Ascaniusというデンマークの博物学者が1755年4月7日の日付でリンネに送った手紙がそれかもしれない。彼は、ポントピダンの『ノルウェー博物誌』が英訳されたが、そこに「ミクロコスムス」が載っている、私は真偽を保留するが、と書いている。おそらくこのときリンネはクラーケンのことを知ったのだと思われる。
公にされた文章のなかでは、
Nova acta physico-medica ... ephemerides, tomus secundusのMicrocosmo, bellua marina omnium vastissima (1761)が古いほうだと思われる。これもラテン語なので適当に要約すると、ここで紹介したラテン語文献をどれも引用し、さらにレディのミクロコズモとハーヴグーヴァ・セークラッベが違うことをちゃんと指摘したうえで、ポントピダンのクラーケンの箇所を引用している(ようである)。

また、

おまけ:名前の初出

Oxford English Dictionaryなどにもあるが、krakenという英単語の初出は、ほぼ確実にポントピダン『ノルウェー博物誌』の英訳(1755)である。原書はデンマーク語らしいので、krakenという単語自体の初出も原書出版(1753)あたりということになるのだろう。ただしseekrabbeが1678年の文献に確認できるように、少し違う語形ならポントピダン以前にも確認できる。いちいち読んで内容を紹介していられないのでその箇所だけ書いておく。
1701年にイタリア人旅行家フランチェスコネグリ(Francesco Negri)が『北欧旅行』(Il viaggio settentrionale)のなかにSciu-Crakのことを記している。Sciu-はおそらく「シュ」という発音の転写で、セークラッベのセーと同じ「海」という意味だろう。ノルウェーで彼が聞いたのは、だいたいクラーケン伝承と同じようなもののようだ。ただし「魚」と表現されている。

追記:ミクロコスムスのその後

wikipedia日本語版では、リンネはクラーケンを頭足類の一種とみなし、『自然の体系』初版(1735)でMicrocosmusという学名を与えた、とされている。その後実在が否定され、軟体動物門の学名としては無効名になった、ともされている。しかし尾索動物の一種としてはこの学名が使われているともいう。どういうこと? ここでも原典に戻って調べてみよう。

一覧表がメインコンテンツになっている『自然の体系』初版では、ミクロコスムスは一番最後に載っている。日本語訳は千葉県立中央博物館(編)2008『リンネと博物学 自然誌科学の源流 増補改訂』に掲載されているが、英訳を参考にした者のようだ。いずれにせよ、当時のリンネの分類では、この生き物は動物界(Regnum animale)蠕虫綱(vermes)植虫目(zoophyta)ミクロコスムス属(microcosmus)に位置づけられている(日本語訳p. 35では「ホヤ」とされている)。この属にいる種はMicrocosm marin.の一つだけである。植虫目に属する他の動物種は、今と学名が違うのではっきりわからないが、メリベ(ウミウシの一種)、ヒトデ、クラゲ、イカなどである。

いずれにせよリンネが『自然の体系』初版でミクロコスムスを頭足類に分類したという事実はない。また、「門」とかそういう階層が確立する前の分類なので、現在は無効名だという言い方がどれだけ適切なのか、疑わしいところである。

初版以降は、第9版(1756)までは残っているが(testacea、貝類?に分類が変わっている。自著『スウェーデンの動物相』参照、ともある)、二名法による分類学を確立したとされる第10版(1758)からは消えてしまった。

さて、上に書いたように、リンネはミクロコスムスという名称をフランチェスコ・レディから採用した。その後、彼は『スウェーデンの動物相』のなかでレディのいう動物はクラーケン的な動物と同一種である、と考えて一つにまとめた。しかしクラーケン的な動物は、確かにその後実在が否定され、動物学から排除されていくことになる。……だからといってミクロコスムスそのものが排除されたというわけではない! レディのいうミクロコスモ・マリノについては何も疑われていないのだ。それではこの生き物の正体は何なのか。
答えは単純で、今この学名が使われている動物のことである。つまり脊索動物門・尾索動物亜門・ホヤ綱・壁性目・マボヤ科・ミクロコスムス属のことである。……要するに、ホヤの一種だ。
たとえばMicrocosmus sabatieriについてwikipedia英語版は「岩のような形をしている。地中海産」と言っている。ついでに「ミクロコスムス属はどれも食べられる」とも書いてある。さらにいくつか写真を見てみるとゴツゴツしていて何か草木みたいなのも生えていて、レディの表現にかなり一致する。これを「小世界」とみるのはレディ自身の盆栽的というか箱庭的な感覚によるものなのだろう。

リンネにより分類学が確立してから半世紀ほど経った1815年、ジョルジュ・キュヴィエはミクロコスムスに言及して「リンネがなぜレディのいう動物と北欧の巨大な生き物を同一視したのかさっぱり理解できない」としつつ、ホヤ(ascidies)の一種, ascidia microcosmusとして分類しているようである(Mémoires du Muséum d'histoire naturelle, tome 2, pp.10-39)。pl.1, f.1には、より現実的とおもわれるミクロコスムスのイラストが掲載されているが、レディのよりも多少ゴツゴツさがなくなり、草木もおとなしめに表現されている。おそらくこのあたりでミクロコスムス=ホヤの一種が動物分類学の一員として正式に取り入れられたのだろう。
さらに、ジュール・セザール・サヴィニーという動物学者がこれまでのホヤ類の報告を整理してcynthia属にmicrocosmus種を位置づけ、ロンドレその他の人々による別名での報告もあわせ、レディやキュヴィエのいうミクロコスムスと同定した(Mémoires sur les animaux sans vertèbres, 1816)。
以降、現在まで、ホヤの一種に対してミクロコスムスという学名は使われつづけている。


というわけで、二重にアナクロニックに言うならば、結論としては「リンネはクラーケンを巨大なホヤの一種だと考えていた」ということになる。

間違いを書いている本

 クラーケンについて以上のような調査をしなかったために勘違いしたことを書いてあるものは書籍ネットを問わずあちこちにあるが(おそらく一番まともなのは澁澤龍彦の『幻想博物誌』)、特に「やっちゃったな」と思うのを二つ。
 まず、山北篤2010『幻想生物 西洋編』。出版社の紹介には「英語文献はもちろん、フランス語ドイツ語ラテン語まで追いかけた著者渾身のモンスターカタログ」とあるので発売前は期待していた。実際に読んでみると、確かに、たとえば翻訳や版によって『幻獣辞典』のなかのア・バオ・ア・クゥーの説明が異なっているという指摘など、そうだったのかーと思うところもあったが、全体的に微妙で、とくにクラーケンのところはアウトだった。

 要約すると、このようなことが書いてある。クラーケンの初出はポントピダンの『ノルウェー博物誌』ではなく、リンネの『自然の体系』である。彼はこの本の初版にクラーケンを入れてしまったが、第2版以降は削除してしまった。……山北は「ラテン語まで追いかけた」と言い、さらに参考文献のところに、出版年も出版社も不明ながらSystema Naturaeというラテン語タイトルまで入れているのに、なぜか『自然の体系』初版にはクラーケンが載っており、第2版からは削除された、と堂々と書いているのだ。つまり彼は読んでいないのに、読んだふりをして、知ったかぶりをしてしまったのである。上に紹介したように、『自然の体系』初版については日本語訳も出ているのだから、それを参照することもできたはずだが、山北は、それもしなかった。


 次に、松平俊久2005『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』。中身は、怪物の概念に関する論文とモノグラフに、文字通りヨーロッパの怪物事典が挟まっているというもの。この本、以前も酷評したが、書いてあることはかなりダメダメながら、学術的な体裁をとっているぶんだけ信用されそうな感じがして(たとえばWikipediaの出典としては十分に認められてしまうだろう)、ファンタジー解説本よりもたちが悪い。
 さてクラーケンについては、最初のほうの著者の論文に「……ビュフォンは、著書『一般と個別の博物誌』のなかで、怪物をひとつだけ記録している。それは海に棲むと考えられていた怪物クラーケンである。彼は同書で、クラーケンがタコの怪物であることをはじめて図版によって明らかにした。図版については、本書第2章のクラーケンの項……を参照のこと」と書かれている。えっ!? ビュフォン!?
 そういうわけで「第2章のクラーケンの項」を見てみると、おなじみの図版があり、キャプションには「大ダコとして描かれた船を襲うクラーケン。ビュフォンによる『一般と個別の博物誌』の初版は、1749年からパリで刊行された……。ソンニーニ(1751-1812)による改訂版は、ビュフォンの弟子たちによる調査記録を収めたもので、ビュフォン博物学の集大成といわれている。1145枚の図版はすべて手彩色である。云々」と書かれている。しかしこの図版、荒俣宏の『怪物の友』では、デニス・ド・モンフォールの『軟体動物誌』掲載のもの、と紹介されている。どういうことか?
 ビュフォンの『博物誌』の図版部分については日本語訳があり(ベカエール直美訳、荒俣宏監修)、松平はそれを参考にしたのだと思われる。しかし未訳の文章部分には、彼は手をつけなかったようだ。実は、ド・モンフォールの『軟体動物誌』はビュフォンの死後、彼の『博物誌』を補完するものとして書かれたものであり、『博物誌』シリーズの一環なのである。だから、『博物誌』にこの図が載っているという指摘は、荒俣の紹介と矛盾するものではない。ただ、このことに気づかなかったせいか、松平はビュフォンがクラーケンに言及した文献の年代を特定できなかった。まぁそもそも言及していないんだから仕方ない。
 しかし、まだ問題はある。ツイッターで指摘したように、ド・モンフォールはこの絵を、クラーケン(poulpe kraken)とは別の生き物であるオオダコ(poulpe colossal)として紹介しているのだ。
 つまり松平は二重に勘違いしている。一つめは、この図について書いたのはド・モンフォールではなくビュフォンだという勘違い。二つめは、この図はオオダコではなくクラーケンであるという勘違い。
 ただ、後にこの図版がどういうわけかクラーケンとして流通するようになったのは事実なので、後者の勘違いについては「みんな勘違いしていた」ということで多少は情状酌量できるかもしれない。とはいえ、そのような勘違いを勘違いとして意識しなければ何の意味もない。松平はクラーケンの項のみならず、多くの項目で、ていねいに原典を探索し、読解するという、文献を扱う研究の基本的な作業を怠っているように思われる。(きつめに批判するのは、この本が、脚注・索引・文献を完備し、研究者である著者が自分の専門分野について書いたという学術書の体裁をとっているから)

「妖怪の定義について」について

今回の、あちらこちらに拡散していった「妖怪の定義」問題(妖怪の定義について - Togetterにまとめあり)を、私toroiaの視点からまとめてみることにする。
念のため、以下の話はすべて日本限定であることを断っておく。

まず、以前から私は妖怪クラスタで使われる「画像妖怪」と「伝承妖怪」という区分について、わかりやすいとは思いつつ、根本的なところが納得できないでいた。それはこの二つを「妖怪」の下位カテゴリーにするときに浮上する「妖怪」概念のあやふやさである。
一般的には、二つの「妖怪」は次のようにまとめられるだろう。

  • 伝承妖怪は、俗信、史書、随筆、世間話、昔話に表現された妖怪。
  • 画像妖怪は、絵画、戯曲、物語、戯文、創作に表現された妖怪。
  • 佃承は略。

これは、以下の氷泉さんの書き込みに基づく。

この二つの「定義」では、「妖怪」という概念が前提とされている。では、「妖怪」という言葉を使わずに、この二つを定義できるだろうか?
以下は、あくまで私の個人的な試みである。

  • 伝承妖怪は、現在の正統的な科学知識からすると「人々の言い伝えの中にのみ存在する」と考えられている行為主体と、個別化されたその行為。神様と人間を除く。
  • 画像妖怪は、伝承妖怪をその一部に含む様々な民俗的カテゴリーに入る対象のうち、伝承妖怪(と佃承妖怪)ではないもの。

 「画像妖怪」については定義に「伝承妖怪」があるから不十分だと言われそうだが、「伝承妖怪」は上で定義してあるので、冗長になるがその定義を代入すれば「妖怪」という語を抹消することができる。
 それよりも、明らかに回りくどい説明になっているので具体例を挙げる。
 鳥山石燕の「百鬼」というカテゴリーには、伝承妖怪(天狗、犬神など)と、それ以外の存在(瀬戸大将、木魚達磨)が含まれている。この二つを石燕は一つのカテゴリーに入るものとみなした。そこで私たちもこのカテゴリー化を受け入れて、それを「妖怪」とする。その中から伝承妖怪を差し引いたものが、画像妖怪である。
 他にも、伝承妖怪がその一部を構成するかぎり、「妖怪」「化け物」「お化け」「怪物」「怪異」「都市伝説」などにカテゴライズされる(そのように呼ばれているか、呼ばれる可能性を持つ)ものは、伝承妖怪以外は画像妖怪である。「怪獣」「怪人」「クリーチャー」などであっても、その言葉が使われる具体的なコンテクストで、そのカテゴリーに伝承妖怪が入っている場合は、そのときに「怪獣」カテゴリーに入っている対象を画像妖怪とみなせる(これはちょっと……と思う人は多いかもしれない)。
 さらに、ここでいう民俗的カテゴリーには、たとえば妖怪図鑑や事典も入る。また、たとえば小松和彦が「妖怪」とみなした対象の集合も、「小松和彦の提唱する妖怪」というカテゴリーとみなすことは十分に可能である。一般人の妖怪マニアがぼんやりと思っている「妖怪」も、ここでいう「様々な民俗的カテゴリー」に入る。

 さて……この定義をひとまず受け入れてもらうならば、「伝承妖怪」と「画像妖怪」にどのような共通する属性があると言えるだろう。この属性は、他の、たとえば「動物」とか「人間」とか「キャラクター」とか「奇妙な姿のもの」といったカテゴリーと共有できないものでないといけない。なぜなら、ある属性をこの二つ以外のものとも共有できてしまうなら、それは「妖怪」を含んだより広いカテゴリーに収まるのであって、「妖怪」自体に限定するのは恣意的なことになってしまうからである。
 私の考えでは、ないように思える。少なくとも概念を単配列的にするなら、無理だ。だから、この二つは、「妖怪」という大きな(何らかの共通の属性をもつ)集合を区分したものではない。むしろ、この二つ(と佃承妖怪)が合わさって、すべての対象に共通するものは何もない、多配列的な集合である「妖怪」を構成している、と考えた方がいい。

……と、このような私自身の内的な前提があって、小山田浩史さんの次のような発言があったわけです(詳しい流れはtogetterで)。

小山田さん自身は、このツイートの意図を二日後に次のように説明している。

 とても納得のいく意図である。だが、私は、「そりゃあそうだろうけど」と思いつつ、小山田さんの「伝承妖怪」「画像妖怪」「オリジナル妖怪」という言葉に反応してしまった(小山田さんの意図については全面同意、当然のこと、と思っていたので、あえて賛意を示すツイートはしなかった)。小山田さんの一連のツイートを、私は次のように読んだ。

  • 画像・伝承・オリジナルという区分をしない「フラットな」妖怪受容者がいるが、そのままだと『妖怪図鑑』に載っていること自体が妖怪の定義だという「誤解」が生まれるだろう。妖怪という概念の定義についてもう少し意識するならば、(伝承妖怪の定義を基準にして※この部分はtoroiaによる想像)それらを区分して受容することになるだろう。

 しかし、私自身は上記のようにあれこれ思案したあげく、画像妖怪と伝承妖怪という区分を使った場合に限るならば、上位カテゴリーとして前提とされている妖怪という概念の「定義」自体が無理だろう、という結論を持っていた。だから、フラットに受容する以外に「画像・伝承・オリジナル」という区分を持つ段階はありえるだろうが、それは、それらを包括する「妖怪」というカテゴリーの妥当性を問いに付さない時点で「中途半端」(「知的怠慢」)に見えた。つまり、「画像・伝承・オリジナル」という区分をする/しないという点で自らや相手の「定義」に対する態度を判断するとき、その前提となる「(しつこいけどそれらの上位カテゴリーとしての)妖怪自体の定義について考える」ことが放棄されている、そのように私は思ったし、今でもそう思っている。
 私は、もしも誰かが、私とは違った視点で「妖怪」という言葉を使わずに「画像妖怪」と「伝承妖怪」を定義してくれたら、あるいはその上位カテゴリーとしての「妖怪」自体を定義してくれたら、それは大変刺激的なことなので、ひそかに期待してもいた(いる)。とくに小山田さんについては、以前から大学で人類学や民俗学の訓練を受けた妖怪関係者(?)として注目していたので、「もっと考えを進めてもいいのではないか」と、勝手に思っていたわけだ。

私自身の問題点は、この時点で、自分が(画像・伝承の区分の前提となる)「妖怪」という概念についてどのように考えていたかをつぶやかなかったことだと思う。しかし、それを140字の枠内でまとめるほど頭はよくなく文章力もなかった。
その後は、この問題点に直接触れることなく、「妖怪の定義」というお題から、小松和彦の学術的定義や京極夏彦のOED的定義がどのような特徴を持つのかをつぶやいたり、小松が、自身の定義に当てはまらない対象を妖怪として扱っていることを間接的にディスったり、概念の二つの区分について語ったりしていた。ぶっちゃけ、小山田さんの意図とは関係ないところに話を持っていった。
翌日、私は改めて画像・伝承の区分について文句をつけた。

要するに、私は画像・伝承妖怪というコンテクストの中で妖怪の定義を、それができるのかどうかも含めて考えてみたかったのだが、舌足らずだった、ということ……。
最終的には、小山田さん自身が私のひそかに思っていた疑いについてツイートしてくださったので、すっきり、暫定的には解決したものと考えています。

「そこが気になっていました」じゃないよ莫迦! お粗末さまでした。

古典アルメニア語文献に現れる妖怪

数日前にツイッターでいい加減に書いたもの。ガルニク・アサトリアンの論文*1より。彼によると古典アルメニア語文献では21の妖怪名が知られているという。その一覧が以下。ある程度の説明があるものについては「:」のあとに書いたが、多くは語源的考察だったので、あまり詳細な伝承は書かれていなかった。-k‘は複数形なので日本語表記では省略したが、それがついているやつは、要するに種族をなしているということ。
この論文では近現代の伝承妖怪も多く紹介されているので、近いうちにそちらについても軽い紹介記事を書く予定。

デヴ(devk‘)
カジ(kaǰk‘):アララト山に棲む精霊群。アルタワズド王を捕らえ、幽閉している。
チャル(čark‘):悪霊の総称。
フレシュ(hrēš)
サタナ(satana):サタンのこと。
アザゼル(Azazel)
ベールゼブル(Bēełzebuł)
ヴィシャプ(višap)
ドルジュ(druž):害なすデヴ。
アイス(aysk‘):風の悪魔。
パイ(payk‘):妖怪。
シダル(šidark‘)
チワル(čiwałk‘):怪物、悪霊。
シャハペト(šahapetk‘):農耕地や墓地の精霊。蛇の姿で現れる。
サダイェル(Sadayel):サタンのこと。
ベリアル(Belial, Beliar)
ハンバル(hambaru):ギリシア語セイレネスの訳語に使われている。廃墟に棲むデヴの一種。
パリク(parik)
ユシュカパリク(yuškaparik):ギリシア語オノケンタウロスの訳語に使われている。廃墟に棲む。
ヌハング(nhang):水棲の怪物。
ヘシュマク(hešmak):「ヘシュマクの崇拝者たち」(hešmakapaštk‘)という合成語に見られる。

ギリシア語の訳語」というのは、ギリシア語聖書がアルメニア語訳されたときに使われた単語ということ。

*1:Garnik Asatrian, 2013, "Armenian demonology: a critical overview", Iran and the Caucasus 17(2): 9-25.

ヴィヴェイロス・デ・カストロ論文の翻訳について

エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、丹羽充訳「内在と恐怖」『現代思想』2013年1月号、pp.108-126
原文はhttp://www.natureculture.sakura.ne.jp/pdf/07-deCastrosPaper.pdf

全体的コメント:がんばりましょう。水準点までは遠いです。また、哲学書であるドゥルーズと、ドゥルーズ=ガタリの共著については邦訳が参照されているのに、人類学書であるマリノフスキーとライヘル・ドルマトフの著作については邦訳についての言及なし。しかし訳者は人類学者である。その程度の配慮はしてもらいたいところ(そのせいで訳が意味不明になっているところもある)。
以下、最初の行は原文、次の行は丹羽訳(元訳)、次の行は私訳(試訳)、最後の行はコメント。誤訳については、特に目のついたものだけここに書いています。

p.108

  • Imagine yourself suddenly set down surrounded by all your gear, alone on a tropical beach close to a native village, while the launch or dinghy which has brought you sails away out of sight.
  • 原住民の村に近い熱帯の海岸に、突然、たった一人で降ろされたところを想像して欲しい。必需品に囲まれて。汽艇、もしくは小型ヨットの姿は、もう見えなくなってしまった。
  • あなたが突然、住民たちの集落に近い熱帯の浜辺に置き去りにされ、荷物のなかにただ一人立っているとご想像願いたい。あなたを乗せてきたランチか小舟はすでに去って影も見えない。
  • マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』増田義郎訳、講談社学術文庫版、p.33より]

p.110

  • This profound definition of fear through its juxtaposed correlation with a literally ‘fundamental’ anatomical condition--or, more precisely, physiological; there is perhaps an allusion to the sudden contraction or relaxation of the anal sphincter in frightening situations―-this definition is, we should note, unmarked from the viewpoint of gender.
  • 字義通りに「原理的に」解剖学的で、より正確には生理的な様態との関係を通して打ち立てられた意味深い恐怖の定義である。そこには、ぞっとさせられる状況での、突然の肛門括約筋の収縮と弛緩の引喩も含まれているのだろう。この定義はジェンダーの観点から区分されない。
  • 文字通り「底部にある」解剖学的条件(より正確には生理学的条件。ぞっとさせられる状況での、突然の肛門括約筋の収縮と弛緩についてほのめかされてもいるだろう)と並べて関係づけることによる、この意味深い恐怖の定義であるが、これがジェンダーの観点から区分されないということは、述べておかなければならない。
  • [こわい状況でお尻の穴がキュッと締まる/ゆるむことについての「生理学的」説明。試訳は直訳っぽいのでもう少し文節の入れ替えをしたほうがいいだろう。]

p.111

  • Koch-Gr〓ünberg
  • コッホ-グルンバーグ
  • コッホ=グリュンベルク
  • [ドイツ人です]
  • Pu'iito
  • プイット(Pu'itto)
  • プイート(Pu'iito)
  • [単なる見間違い]
  • the collective investment of the organs
  • 器官の集団的な配給
  • 器官の集団的な備給
  • [『アンチ・オイディプス』の文脈なのだからinvestmentは「備給」だろう]

p.112

  • it narrates the moment when the organ in question leaves its intensive existence, as a part identical to its own (w)hole, and is extensified, collectively invested and distributed (shared) among the animal species....
  • この器官は、一つの凝集的な存在であることをやめ、外部へと拡がり、しかし全体もしくは穴(w)holeとしての自分の同一性を維持しながら、動物種全体に分配(共有)されていったのだ
  • 神話は、この器官が、部分と全体(穴 (w)hole)が同一的なものとしての内包的存在であることをやめ、外延化され、動物種全体に備給・分配(共有)されていった瞬間を物語っている
  • [いろいろあるが、内包と外延の対は訳出したほうがいいと思う。とはいえこの点については、元訳のほうが明らかに理解しやすいけど。その他抜け落ちが少々]
  • the Brazilian proverb with which I began refers to this socialized phase of the anus, its post-actualized and pre-privatized moment
  • 先に紹介したブラジルの諺は、肛門の社会化された位相、その後-現勢化と前-私有化の瞬間に言及している
  • 先に紹介したブラジルの諺は、肛門の社会化された段階、現勢化された後だが私有化される前の瞬間に言及している
  • [全体的にpost-を「後-」と訳しているがかなりヘンな感じがする]
  • We should note that the myth does not involve giving each individual an anus that is identical yet his/her own, in the sense of his/her private property
  • ここで注意したいのは、この神話が、個々に与えられた肛門が彼ら一人一人のもの、つまり私的な所有物でありながらも、同一のものでもあるということを物語っているのではないということである。
  • ここで注意したいのは、この神話が、いずれも同じ[機能・形態]だがそれでも個々のものとなる(個々の私的所有物という意味での)肛門が与えられたということを物語っているのではないということである。
  • [直後を読めばわかるが、肛門が付与されたのはすべての種のすべての個体ではなくすべての種の特定の代表的個体だということ。元訳だと神話において肛門がすべての個体に与えられたというふうに読めてしまう。というか日本語自体意味不明]

p.113

  • Every being encountered by a human over the course of producing his or her own life may suddenly allow its ‘other side’ (...) to eclipse its usual non-human appearance, actualizing its backgrounded personhood and automatically placing at risk the life of the human interlocutor (...).
  • 自らの生を創出し続けてきた人間と出会った時、あらゆる存在は自らの(……)「他の側面」が、通常の非-人間としての現れを覆い隠すようにする。後景化されていた人格を現勢化し、であった人間の生を危険に陥れるのである(……)。
  • あらゆる存在は、自分の生を歩んでいくなかで人間と出会うとき、刹那に自らの「他の側面」を解放し、そうして通常の非人間的な外観を覆い隠す。後景化されていた人格性を現勢化し、出会った人間の生命を自動的に危機に陥れるのである。
  • [his or her own lifeはevery beingのことでは?(不確実)non-をつねにハイフン付で訳すのはあまりスマートに思えない。personもpersonhoodも区別せず「人格」と訳しているのもいい選択とは思えない。最後のlifeはふつうに「いのち」でいいと思う。その他、訳し忘れなど]
  • this cosmic background humanity is less a predicate of all beings than a constitutive uncertainty concerning the predicates of any being.
  • こうした宇宙の背景にある人間性は、全存在について説明するというよりは、ある存在についての説明における構成的な不確定性である。
  • こうした宇宙の背景にある人間性は、存在者すべての述語というよりは、どの存在者についてもありうる述語に関する構成的な不確定性である。
  • [predicateはふつうに「述語」と訳す。もうひとつはallとanyの訳し分け。意訳っぽくなってしまったが]
  • one-way active cannibal relation
  • 一方的で安定的な食人関係
  • 一方的で能動的な食人関係
  • [一方的なだけだと食べられるだけという読み方も出来てしまう。こちらが食べる、ということを強調する「能動的な」が必要]

p.114

  • transcendental conditions
  • 超越的な状況
  • 超越論的諸条件
  • [混同されていることもあるが本論文ではtranscendentとtranscendentalは明確に使い分けられている。論文タイトルに「内在」とあるのだから対義語の「超越」が出てきたかもと思ったら注意して訳さないといけない。conditionも「超越論的」と組み合わせるなら「条件」一択]
  • each species or type of being is endowed with a prosopomorphic or anthropomorphic apperception
  • それぞれの種や存在には活喩法的もしくは擬人法的な統覚作用が付与されており
  • それぞれの種や存在には人格的なかたちもしくは人間的なかたちの統覚作用が付与されており
  • [prosopopoeiaが「活喩法」なのでprosopoorphicにあてるのは誤訳。prosopo-は「顔の、人格の」という意味。また、この一節ではレトリックの用語が用いられているが、だからといって「法」までつけるとまるでレトリックそのものであるかのように読めてしまう。-morphicを試訳では「〜的なかたち」としたが無理があるかもしれない。]

p.115

  • Perspectivism is not a transpecific multiculturalism stating that each species possesses a particular subjective ‘point of view’ onto a real objective, unique and self-subsistent world
  • パースペクティヴィズムは、実在するある一つの対象に対してそれぞれの種が固有の主観的「視点」を持っており、したがって比類のない固有の世界を持っているのだという、種横断的な複数文化主義を主張しているのではない。
  • パースペクティヴィズムは、実在する客観的な唯一の自存的世界に対してそれぞれの種が固有の主観的「視点」を持っているのだと主張する、異種横断的な多文化主義ではない。
  • [元訳だとそれぞれの種がそれぞれに固有な世界を持っているのだという多自然主義になってしまい、まったく逆の意味になる。multiculturalismを「複数文化主義」と訳すのも驚き]
  • perspectivism does not presume a Thing-in-Itself partially apprehended by the categories of understanding proper to each species.
  • パースペクティヴィズムは、それぞれの種にとって妥当な理解の範疇によって部分的に把握されるような《物自体》を想定しないのだ。
  • パースペクティヴィズムは、それぞれの種に特有な悟性のカテゴリーによって部分的に把握されるような《物自体》を想定しないのだ。
  • [ここは明らかにカントの用語を参照しているので適切な訳語に直す。「妥当な」も誤訳]
  • We are not asked to imagine that the Indians imagine that ‘something equal to x’ exists (as if they were super-Kantians) which humans see as blood and jaguars see as beer.
  • 人間にとっての血がジャガーにとってはビールであるというように、インディアンが(あたかも超カント主義者のように)「xと同等の何か」が存在すると考えていると想像するように、われわれが誘われているわけではない。
  • 人間が血として見て、ジャガーがビールとして見るような「xに等しい何か」が存在するとインディアンが(あたかも超カント主義者のように)思い描いているのだとイメージするよう、言われているわけではない。
  • [元訳だけ読むと原文のように書かれていると想像できない]
  • What exists are not differently categorized self-identical substances,
  • 存在するのは、異なって把握された自己同一的な実体ではなく、
  • 存在するのは、別々にカテゴライズされた自己同一的な実体ではなく、
  • [訳語の問題]

p.116

  • Each species has to be capable of ‘not losing sight’of the fact that the others see themselves as people and, simultaneously, capable of forgetting this fact: that is, able to ‘not see it’.
  • それぞれの種は、他者が彼ら自身を人だと見做しているという事実を「見失って」はならないが、同時に次の事実を忘れてしまわなければならない。「それを見ない」ことができるという事実である。
  • それぞれの種は、他者も彼ら自身を人だと見做しているという事実を「見失わない」でいられるべきではあるが、同時にその事実を忘れることができるべきでもある。つまり、「それを見ない」ことができる、ということである。
  • [factの内容が何か分かっていない! 要するに、「他の動物が人である可能性」を(意図的に)忘れることによってはじめて殺し捕食できる、ということを言っている。元訳では逆の意味になってしまっている]
  • According to the informant, a jaguar of any species that devours a human being, firstly eats the eyes of its victim, and very often is content with this. In actuality, the eye here does not represent the organ of vision but a seminal principle which the jaguar thereby incorporates into itself.
  • インフォーマントによれば、人間を貪り食うあらゆる種にとってのジャガーは、まずは餌食の眼を食い、往々にしてそれで満足するのである。実質上、ここで眼というのは、視覚のための器官を表象しているのではない。ジャガーが自身を合体させる対象である種の、種子原理を表象しているのである。
  • インフォーマントによれば、ジャガー――右にあげたいずれもでもだが――が人を食うときは、まず最初に目を食べ、ときにはこれだけしか食べないこともある。ここで目は視覚器官のことではなしに、ジャガーが取り込む精液原理をあらわしている。
  • [ライヘル=ドルマトフ『デサナ』寺田和夫・友枝啓泰訳、pp.265-266より。まず既存の和訳を参照していないのがいけない。そのせいでof any speciesを誤訳して意味不明の内容になっている(ただ、文脈依存的な表現ではあるが、この抜粋だけでも「ジャガーには多くの種類があるんだな」と推測することは十分可能)。その他いろいろ。ただし和訳はポルトガル語からの訳出なので細かい表現に差異があるのはしかたない]

p.117

  • Ese Eja
  • エセ・エジャ
  • エセ・エハ
  • [人類学専攻なら民族名くらい標準的に表記してもらいたい]
  • An interesting permutation of the senses
  • 趣のある意味の並べ替えではなかろうか。
  • 趣のある感覚の入れ替えではなかろうか。
  • [オオカミと遭遇した時、先にオオカミに自分の姿を見られると、たとえ逃れることができても、一生唖者になってしまうということについてのコメント部分。視覚と聴覚との入れ替えがinterestingと言っている]
  • there is more in perspectivism than meets the eye
  • パースペクティヴィズムには、眼を合わせるということ以上のことがある
  • パースペクティヴィズムには、目に見える以上のものがある
  • [ごく一般的なイディオムなのだが……]

p.118

  • crucial comparison
  • 必然的な比較
  • 重要な比較
  • [この段落にはほかにも訳語選択に難があるところがある]
  • war of the worlds
  • 諸世界の戦争
  • (特になし)
  • [言うまでもなく『宇宙戦争』のことだが、直訳でも許されるか……]

p.119

  • In an earlier work,
  • 近年の仕事において
  • 以前の仕事において
  • [特に最近のだと特定されているわけではない]
  • Forces of Order
  • 《規律の権力》
  • 警察権力(?)
  • [不確定だがこの段落の冒頭で日本のことが言及されていて、で、日本の警察についてのForces of Orderという本があるらしいので、それを参照しているのかもしれない。なんにしても「規律」ではないだろう]

p.120

  • grotesque
  • 滑稽な
  • グロテスクな
  • [直訳にした]

p.121

  • To avoid being devoured by the jaguar, you need to know how to assume its point of view as the point of view of the Self.
  • ジャガーに貪り食われないためには、それが持つ視点を、《自己》に対する視点として手に入れる方法について知らなければならない。
  • ジャガーに貪り食われないためには、ジャガーの視点を、《自己》の視点として手に入れる方法について知らなければならない。
  • [自己に「対する」ではなく、自分自身の視点として入手するということ]

p.122

  • (through its own struggling, Hegel)
  • ヘーゲルによれば、困難を通して
  • ヘーゲルによれば、闘争を通して
  • [自己を所有するために何をすべきか、という文脈。文全体もへんな訳だが省略]
  • ...that functions as a transcendental lived condition?
  • 超越的な生の条件として機能している
  • 超越論的な生きられた条件として機能している
  • [超越的と超越論的の訳し分け。でもlivedって「生きられた」が定訳だと思うけど不確実]
  • A world where enmity is not a mere privative complement of “amity”, a simple negative facticity, but a de jure structure of thought, a positivity in its own right?
  • 「対立関係」が、「友愛関係」の単なる否定としての私的な補足物ではなく、正当な思考の構造であり、それ自体で陽に存在するとしたらどうだろうか。
  • 対立関係が「友愛関係」の単なる欠如的な補完物、否定的な事実性でしかないわけではなく、権利上、思考の構造であり、それ自体が肯定的なものだとしたらどうだろうか。
  • [試訳もかなり堅苦しいが、まずprivativeを「私的」とするのは誤訳。de jureはカントの文脈で「権利上」。positivityは当然negativeと対になるので「陽に」はないだろう。もしこれを生かすなら、もう一方は「単なる陰としての」となる]


p.123

  • The Other has another important incarnation in our intellectual tradition besides that of the Friend. It is consubstantial to a very special, actually, a very singular personage: God.
  • 《他者》は、《友》とともに、われわれの知的伝統に対するもう一つの重要な顕現である。それはある特別な同一存在であり単一人格、つまりは《神》である。
  • われわれの知的伝統においては、《他者》には、《友》とともに、重要な顕現がある。それは非常に特殊な、というか非常に単数的な存在と同本質的なもの、つまりは《神》である。
  • [他者の形式として友と神があるのに、訳文だと他者と友が並置されてしまっている。consubstantial toは神学の文脈だとどう訳されるか知らないのでちょっと微妙なままにしておいた]
  • interestingly, "the Other"--"the enemy"--is one of the euphemisms for the devil
  • 興味深いことに、《他者》はまた、《敵》でもあり悪魔の湾曲表現である
  • 興味深いことに、《他者》つまり《敵》は、悪魔に対する湾曲表現の一つである
  • [訳文だと日本語になっていない]
  • the solipsism of consciousness
  • 無意識の独我論
  • 意識の独我論
  • [この前後もかなり微妙だが、ここは明確な誤読・誤訳]
  • the intensive, intelligible form of the Subject
  • 《主体》という明瞭で凝集的な形態
  • 《主体》という可知的で内包的な形態
  • [前にもあったが、その直後でextensive外延と対比されているので内包とすべきだろう]
  • the form of a potential infinity of non-human subjects.
  • 非-人間的主体が持つ可能的な無限性という形式
  • 非人間的主体が持つ潜在的な無限性という形式
  • [possibleが可能的]
  • hosts of minuscule gods wander the earth
  • 神々の宿主たちがさまよう
  • 無数の小さな神々がさまよう
  • [hosts ofの誤訳、minusculeの脱落]
  • This is the world that has been called animist, ...
  • それはアニミストと呼ばれてきた世界であるが、
  • それはアニミズム的と呼ばれてきた世界であるが、

訳者氏は、同誌に寄稿している人類学教授と同じ大学の院生のようである。あまり言いたくはないが、コネで訳者に採用されたんじゃないだろうか。業績稼ぎとか。それならそれでいいけど、少なくとも他の人に(一人だけでもいいから)訳稿を読ませてコメントをもらうべきだったのではないだろうか。これもあまり言いたくはないが、こういう翻訳を発表してしまうと、今後、翻訳の仕事が回ってくることはなくなっちゃうんじゃないかと思います。

翻訳の続き。

方陣
 魔方陣は魔除けの制作者や魔術手引書の編纂者の語彙において重要なものとなっていった。とくに12世紀以降のことだ。最初期の魔方陣アラビア語でワフクwafq)は9つのマスがある3x3方陣に1から9までの文字/数字が入れられ、縦横斜めどの3つを足しても同じ数、15になるというものだった。古代の魔方陣(おそらく中国起源)には特別にブドゥーフ(budūḥ)という名称が与えられており、これは四隅の文字/数字に由来するものである(b=2, d=4, w/ū=6, ḥ=8)。この方陣の魔術的特性はかなり強いものとされたので、ブドゥーフという名称自体にもオカルト的な効力が付されていた。だから、金鳳花への呼びかけ(ヤー・カビーカジュ)と同じように、魔方陣を書きたくなかったり書き方を知らなかったりしたときは、腹痛や一時的な性的不能、あるいは透明になることさえも、「ヤー・ブドゥーフ」と書くことによって呼び出すことができたのだった*1。この魔方陣はたびたび四大天使の名と関連づけられ、また大きな魔除けデザイン内部に位置付けられることも多かった。
 今日までに研究されてきた魔術文献や工芸品からすると、13世紀に至るまで高次の魔方陣(つまり3x3より大きいもの)についての知識はなかったように思われる。どうもそうしたものを制作する知識は13世紀以前に発展していたようなのだが、魔術の語彙に入ってきたのは12世紀後半か13世前半だった。10世紀後半の数学文書、たとえばアブー・ル=ワファーッ・アル=ブーズジャーニー(997没)によるものには6x6までの魔方陣をつくる方法が述べられているが、およそ200年経つまで魔術の語彙には入り込まなかったというわけである*2
 魔術的なコンテクストにおいては、パッと見「魔方陣」のようだが実際のところ要件を満たしていない方陣というのもあった。以下の二つに分類できる。一つはいわゆるラテン方陣アラビア語でワフク・マジャージーwafq majāzī「偽魔方陣」)でもう一つは「詩節方陣」(verse square)である。前者においてはどの縦横列にも同じ象徴群が含まれているが(数字だったり文字だったり言葉、抽象的記号だったりする)、並び方は列ごとに異なっている。「詩節方陣」では、方陣のマスが言葉や語句で埋まっているが、ラテン方陣のように配列されているわけではない。むしろ、連続した列それぞれに一つの言葉が右側に入れられ、新しい言葉が左側に入れられ、それが、選ばれた詩節(普通はクルアーンから採られたもの)が出来上がるまで続く。
 真正の魔方陣についての文献は数多い。それは、数学やパズルの歴史家の注目を引いているからである。しかし、ほぼ全ての学術文献は高次の魔方陣をつくる数学的方法に目を向けており、魔術的意義や民衆文化における役割を見ていない。この件についての数学史的アプローチについては、ジャック・セシアーノによるものを参照*3。本書6章でヴェネティア・ポーターがこうした方陣の魔術的関連性を扱っており、筆者は魔術用の衣と図式のコンテクストにおける用法を論じている*4

魔除け用の道具
 12世紀、理由はなんであれ、魔術への関心が顕著に増大したことがはっきりしている。現状の証拠類から読み取れるのは、この時期に魔術=医術用ボウル[お椀]が最初に生産され(知られているなかで最初期の例は、シリアの支配者ヌール・アッ=ディーン・イブン・ザンギーのために1167年に制作されたもの)、そして(誤って)ソロモンの七つの印章として知られている護符デザインが考案され、さらに高次の魔方陣の魔術的使用が始まり、魔術文書の制作数が激増した、ということである。
 魔術による治癒用ボウルは少なくとも12世紀以降、際立った量が作られたが、文字になった魔術文書には言及されていない。その起源は、ある程度は先イスラーム期のアラム語ボウルと関係があったのだろうが、しかし実際にはデザインにも機能にも大きな差異が見られる*5アラム語のものは粘土製で悪霊を呼び出す渦巻き状の文字が書き込まれていたが、イスラームのものは金属製で、ジンや悪霊とは驚くほど何の関係もない。イスラームの魔術=医術ボウルはいくつかの理由により魔術工芸品のなかでも独特である。A、害を被っている人が持っていたわけでも身につけていたわけでもない(だから護符ではない)。B、家庭内の護符とは違い、継続して機能しない。C、必要時だけ用いられたが、長持ちする素材で作られていた。D、初期の事例は他の魔術工芸品よりもはるかにその使用意図についての情報が多いが、それは初期の(12〜14世紀の)ものに特定の治癒的目的を述べる彫り込みがなされていたからである。クルアーンの詩節や魔術的記述に加え、初期のボウルには、人間や動物をかたどった図式的な表現による装飾がほどこされていた。ある下位分類群にはつねにサソリや蛇、犬と思しき動物(ライオンと言う人もいる)、絡み合う二頭のドラゴン――9〜10世紀のイランの護符を思い起こさせる図像――が表現されていた。この下位分類群を「独の器」と呼ぶ研究者もいるが、実際のところ毒や動物による咬みつきは、この器の外側に描きこまれた多くの用法のうちの一部にすぎない。
 別の、文献に対応するものがない魔術用の道具といえば、魔術的象徴やクルアーンの詩節で彩られた布からなる魔術用の布である。現存する事例は15世紀かそれ以降のものだけで、オスマントルコサファヴィー朝イラン、ムガール朝インドで制作されていた。しかし、9世紀にまでたどれる、風邪の治癒や出産補助のための特別な衣服を着るという伝統があった*6。近ごろラヤ・シャニが詳細を出版した、特筆すべきユダヤ系ペルシアの護符の織物は、近年のものであるにしても、メソポタミアからユダヤムスリムコミュニティを経由して伝わる古代以来の魔術伝統を映し出している*7
 鏡には魔術的特性と関連付けられてきた長い歴史がある*8。数多くの中世の鏡が現存しており、多くは12世紀後半か13世紀のもので、輝く表面に魔除けデザインが彫り込まれている*9
 聖なる場所や聖者の墓地に錠を置き、誓いを示すという古い伝統がある。多くの錠前には護符デザインがあり、パオラ・トッレはこの種の護符についての優れた研究を公刊している*10。最後に、護符のいろいろなコレクションのなかには、護符の巻物、さらにクルアーン全体を描きこんだもののための護符ケースが多数ある。
 こうした工芸品が私たちがテキストを理解するときの助けになることもあるし、文献のほうが現存する工芸品を理解するのに役立つこともあり、驚くほど、あるいは説明ができないくらいの食い違いがあることもある。しかし物質文化と書かれたテクストの双方を研究するという方法論により、読み書きできる者やできない者、金持ちや貧乏、双方の日常的実践や関心事をよりよく理解することができるようになるはずである。

*1:Duncan Black Macdonald, “Budūḥ”, in EI2, Suppl., 153-154参照。

*2:高次の連続同心魔方陣についても、10世紀の数学者により制作されていた。Jacques Sesiano, “Le traité d’Abū’l-Wafā’ sur les carrés magiques”, Zeitschrift für Geschichte der arabisch-islamischen Wissenschaften 12 (1998), 121-244参照。

*3:Jacques Sesiano, “Wafḳ”, in EI2, XI, 28-31; idem, Un traité medieval sur les carrés magiques: De l’arrangement harmonieux des nombres (Lausanne, 1996); idem, “Quadratus mirabilis”. In Jan P. Hogendijk and Abdelhamid I. Sabra, eds., The Enterprise of Science in Islam: New Perspectives, (Cambridge MA, 2003), 199-233; Schuyler Cammann, “Islamic and Indian Magic Squares”, History of Religions 8 (1969), 181-209, 271-99.

*4:Savage-Smith, “Talismanic Charts and Shirts”, in Science, Tools & Magic, I, 106-123参照

*5:イスラーム期のボウルについてはNaveh and Shakedの業績を参照(上述)。

*6:Savage-Smith, “Talismanic Charts and Shirts”, 106-123参照。

*7:Raya Shani, “A Judeo-Persian Talismanic Textile”, in Irano-Judaica IV, ed. Shaul Shaked and Amnon Netzer (Jersalem, 1999), 251-273.

*8:Manfred Ullmann, Das Motiv des Spiegels in der arabischen Literatur des mittelalters (Göttingen, 1992), 55-61.

*9:Savage-Smith, “Talismanic Mirrors and Plaques”, 124-131参照。

*10:Paola Torre, Lucchetti Orientali: Funzione, simbolo, magia. Roma, Palazzo Brancaccio, 5 luglio-30 novembre 1989 [展覧会図録] (Rome, 1989). Tim Stanley, “Locks, Padlocks, and Tools”, in Science, Tools & Magic, II, 356-90も参照。

ゾロアスター教文献、邦訳

ちくま学芸文庫から伊藤義教訳『原典訳 アヴェスター』が出ました。ガーサーやウィーデーウダードの一部などが訳出されています。ゾロアスター教文献の和訳を普通に入手できる一冊の本にしたものは、もしかしたらこれが初めてでしょうか? そうでないにしても、ゾロアスター教文献の和訳の数は、他の神話群と比較してかなり少ないままです。

原典訳 アヴェスター (ちくま学芸文庫)

原典訳 アヴェスター (ちくま学芸文庫)

そこで、今回はそれにかこつけて、書籍ではないが大学紀要の類に論文として発表された翻訳文献を紹介してみようと思います。だいたい原文つきなので、かなりマニアックな知識を得ることも可能かと思われます。
なんと、大半はネット上でpdfとして読むことができます! なので見られるやつにはリンクをはっています。

故・伊藤義教氏転写&翻訳 ゾロアスター教書籍パフラヴィー語文献『デーンカルド』第3巻訳注」その1〜6 青木健(編) 『東洋文化研究所紀要』146(2004): 72-41; 147(2005): 192-141; 148(2005): 236-178; 149(2006): 204-157; 150(2007): 150-123; 151(2007): 270-220

(上記翻訳は『伊藤義教氏転写・翻訳『デーンカルド』第3巻』青木健(編)、東京大学東洋文化研究所附属東洋学研究情報センターとしてまとめて刊行されている。)

ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究1 『ウラマー・イェ・イスラーム』の写本蒐集と校訂翻訳」 青木健 『東洋文化研究所紀要』158(2010): 166-78

初期イスラーム神学ムゥタズィラ派研究2 『ウラマー・イェ・イスラーム』の写本蒐集と校訂翻訳」 青木健 『東洋文化研究所紀要』159(2011): 122-66

ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究3 『ウラマー・イェ・イスラーム』の写本蒐集と校訂翻訳」 青木健 『東洋文化研究所紀要』160(2011): 127-224

ゾロアスター教ズルヴァーン主義研究4 『ウラマー・イェ・イスラーム』の写本蒐集と校訂翻訳」 青木健 『東洋文化研究所紀要』161(2012): 118-144

「第五ヤシュト(I)」 佐藤進訳 『立正大学大学院年報』14(1998): 41-65

「第五ヤシュト(II)」 佐藤進訳 『立正大学大学院年報』15(1999): 31-59

『アヴェスタ』第五ヤシュト(アルドウィー・スール・バーノー・ヤシュト) テクストと翻訳(III)」 佐藤進訳 『立正大学人文科学研究所年報』37(2000): 14-27

ヨーイシュト・イー・フリヤーンの書」 野田恵剛訳 『名古屋大学文学部研究論集』94(1986): 1-18

ザンド・イー・ワフマン・ヤスン」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』21(1998): 109-135

ザンド・イー・ワフマン=ヤスン(II)」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』23(1999): 121-126

パフラヴィー・リヴァーヤト」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』26(2001): 87-122

ティシュタル・ヤシュト」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』28(2002): 159-204

メーノーグ・イー・フラド パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓)書」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』32(2004): 91-104

メーノーグ・イー・フラド(II) パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓)書」 野田恵剛訳 『中部大学国際関係学部紀要』34(2005): 25-42

メーノーグ・イー・フラド(III) パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓)書」 野田恵剛訳 『貿易風』1(2006): 289-299

メーノーグ・イー・フラド(IV) パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓)書」 野田恵剛訳 『貿易風』2(2007): 286-300

メーノーグ・イー・フラド(V) パフラヴィー文学のハンダルズ(教訓)書」 野田恵剛訳 『貿易風』3(2008): 258-266

ブンダヒシュン(1)」 野田恵剛訳 『貿易風』4(2009): 149-186

ブンダヒシュン(2)」 野田恵剛訳 『貿易風』5(2010): 120-171

ブンダヒシュン(3)」 野田恵剛訳 『貿易風』6(2011): 165-232

翻訳の続き

イスラーム魔術全般
 しかしながら、古代末期の魔術実践と比べると多くのコントラストがある。もっとも分かりやすいのは、動物(時には人身)供犠が欠如しているということだ。これは古代末期ではよく行なわれていたものだった。イスラーム時代に入っても人形や類似品が敵対者の破壊を目的として使われ続けていたという証拠もほとんどない。魔術ボウルについて言うと、イスラーム文化においてそれが見出されるまでに非常に大きな変化が起こっていたので、先イスラーム時代のものに由来するというにはかなり根拠が乏しい。
 邪視の役割は、イスラーム初期の実践において、それ以前の諸文化よりもずっと明確なものになっている。イスラーム文化にかなり邪視の概念が埋め込まれていたことについて、イグナーツ・ゴルトツィーエルは、イスラーム美術における伝統的な驚きの表現、つまり右手の人差し指を口に当てるという仕草は、邪視や悪いもの一般に対する魔術的な防衛策だったと指摘している*1。かなりはっきりしているのは、先イスラーム期の中東全体で、人間の手が邪視から身を守るために重要な役割を持っていたということであり、同じことがイスラームの地でも引き続き行われていたのである。
 呪符(curse tablets、大抵の場合葦紙に書かれ、巻かれ、隠された)は相対的にはギリシア=ローマ文化ではよくある物だったが、イスラームの工芸品文化においてはほとんどその痕跡が残っていない。呪縛は古代末期と同じような役割を果たしていたが、それでも重要性は減少していたように思われる。
 イスラームの著述家たちは、魔術伝統や占いの伝統を偽史で粉飾することがままあった。預言者、中でもダニエルやエノク/イドリース、ソロモンなどは多彩な術の創始者であるとされ、墓や洞窟で発掘された遺物についての物語がついて回ることもあった*2北アフリカやインドに牽強付会することもあったが、それは両地域とも秘教的知識の場と見なされるようになっていったからだった。イブン・ハルドゥーンは14世紀に魔術的知識の「通史」を特に叙述している*3。彼にとっては、魔術や妖術について知られていること全てをまとめた決定版は、1004年ごろにまとめられたアラビア語の魔術=占星術論考である『ガヤート・アル=ハキーム』(ラテン語のピカトリクスで知られている)だった。この書は誤ってスペインの天文学者アル=マジュリーティー(1008年ごろ没)に帰せられている。このアラビア語文書は校訂されドイツ語訳が出ているが、新たな版と、ラテン語での伝承との全面的な比較研究が待ち望まれる*4。後の時代の著述家の大半にとって、広く認められた魔術の分野における権威といえば、エジプト人のアフマド・イブン・アリー・アル=ブーニーである(1224年没とされる)。多くの論考が彼によるものとされるが、最重要著作は『シャムス・アル-マアーリフ・アル=クブラー』で、何回も版を重ねたが、批判校訂版と翻訳はまだ出ていない*5。ドロシー・ピーロウはその主要な特徴と歴史的なルーツについての研究を公刊しており、ロリーのほうは文字魔術についての検討を行なっている*6
 魔術をそもそも何に使っていたかというと、大きな目的は、病気を払い、健康を保つことだった。マイケル・ドルズは治癒魔術理論について議論するなかで(本書第3章)、悪霊の召喚を行なう妖術師(サーヒルsāḥir、複数形サハラsaḥara)についても論じている。彼の章はエクソシスト(ムッアッジムーンmu‘azzimūn)に関わっている。彼らは神の援助もジンの援助も求め、癲癇や狂気といった病気を癒そうとしていた(本書には再録していないが、同書に繰り返し出てくる)。しかし議論は近世や近代の実践と中世の実践とを混同するか同一視しているため、損なわれている*7
 アッラー以外に活動する超自然的諸力を認識することは、いくぶん厳格なイスラーム一神教に反するところがあるが、神の全能性(介入への嘆願の大半は神に向けられる)と矛盾するものではなかった。宗教についての学者は神に訴えかける魔術形式だけを正当なものとし、ジンや悪霊を使うものを認められないものと見なしがちである*8。天使やムハンマド、アリーや預言者の家族、聖者に訴えかけることも受容できるものとされていた。彼らはみな、嘆願者のためにアッラーとの間を取り持つものと信じられていた*9。現実には、すべての学者は文字や数字についての神秘的・魔術的な解釈を認めていた。

護符、魔除け、文字魔術
 彼らは魔術的象徴類(その図像は先イスラーム伝統にさかのぼりうる)を描写しているものの、ムスリムの使った護符や魔除けはおもにクルアーンの引用や祈祷を通したアラーへの敬虔な呼びかけというかたちを取っていた。この観点からすると、それらはビザンツやローマ、初期イランその他の先イスラーム魔術と大きく異なっていたと言える。
 魔除けと護符(英語のtalismanとamuletには、現実的には区別はない)は邪視や不幸を避けるためだけではなく、幸運を呼び込み、繁栄や能力、魅力を増やすためにも使われていた。それらには魔術的象徴だけではなく、ほとんど常にアッラーや仲介者への呼びかけや祈りも含まれていた。護符を意味するアラビア語のなかで最も普通に使われていたのはティルサーム(tilsām; ギリシア語のtelesmaで、「物事に能力を与える」という元の意味から派生)と、防衛を意味するヒルズ(ḥirz)だった*10。こうしたものに英語の“charm”を使うのは一般的に避けるべきだろう。というのは、この語には詠唱や呪文により低位の神格や悪霊を呼び出す意味が含まれているからである。イスラーム世界と(前キリスト教的・キリスト教的)ヨーロッパ世界における魔術的召喚の違いは、イスラームにおける召喚が悪霊ではなくアッラーに向けて行われるという点にある(ただし完全に排他的というわけではない)。だから、そうした工芸品には魔術的な書き込みや魔術的象徴があるかもしれないが、何よりも神への嘆願により助力や守護を得ることを目的としているものだった。マイケル・ドルズはイスラーム魔術のことを「過度に強められた祈り」と定義しており*11、工芸品はこれを裏付けるものなのである。この点で、イスラーム魔術は古代の魔術とも、ヨーロッパ中世やその後における魔術実践の大半とも異なるのだ。
 魔術的対象に適用される祈り、クルアーンの節、敬虔な語句、呼びかけといったものには、99の「神の御名」(al-asmā’ al-ḥusmā) *12や天使の名称が多く用いられたが、さらに嘆願を強くするための一連の象徴が付け加えられた。そうした象徴の多くは以前の文化から受け継がれた物であり、その起源や意義は、時の経過にともないよくわからなくなっていった。
 最初期の、現存する魔除けは先イスラーム的な魔術の象徴表現を映し出している。たとえば、長い角のシカやオリクスが、非常に初期の9世紀ごろのイランの護符に見出されるし、9世紀の10世紀の護符にはサソリと左後足立ちのライオンあるいは犬、星空、でたらめな文字列からなる、驚くほど静的だが複雑なデザインもある*13。どちらの意匠も、理由は不明だが、12、13世紀には魔除けのレパートリーから脱落して、別の魔除けデザインが主流になった。後者については、もっとも広まっていたのは七つの魔術的象徴が列をなしたもので、そのうちの一つが五芒星で、ときには俗に「ソロモンの印章」と呼ばれる六芒星のこともあった。七つの魔術的象徴はまとめて神の聖なる名称の記号を表していた。ただし歴史学者が誤って「ソロモンの七つの印章」と呼んでしまっていることもある。魔除けのデザインには古代末期から受け継がれてきた占星術的図像もあった。それらは、十二宮や七惑星の擬人化された表象であることが多く、イスラームの図像的慣例に採用されたのだった。
 数字や文字、そして他の記号類からなる魔術的記述は、また別の一般的な特徴である*14。すでに9世紀には、魔術アルファベットや秘密書法、前代文化の奇妙なアルファベットについての全体的な論考が見られる。たとえば、855年ごろイブン・ワフシーヤは『キターブ・シャウク・アル=ムスタハーム・フィー・マリファト・ルムーズ・アル=アクラーム』(『古代文字の謎について学ぶことを欲する熱狂的信者の書』)でイラスト付きの魔術文字を説明している*15。ジャファル・イブン・マンスール・アル=ヤマンが古代の象徴類を解読した10世紀の論考は、二回校訂され、初期の秘教的象徴の知識への有用なガイドとなっている*16。初期(およびその後の時代)のイスラームにおける魔術語彙には、古代末期の、短い直線と終わりの密なカールやループを組み合わせた象徴、いわゆる「ルネッテ・シグラ」(lunette sigla)もある*17。文字自体の魔術的特性を用いることにより(イルム・アル=フルーフ‘ilm al-ḥurūfやシーミヤーsīmiyā’と呼ばれた技術)、ジンをコントロールできると言われていた。
 イスラームの魔除けに見られる無数の象徴を解読する最善のガイドは、未だに、トゥフィク・カナアンによる長らく絶版の研究である(本書、第5章)。より近年では、ヴェネティア・ポーターが、裏側に護符デザインが彫り込まれ、判を押すのが意図されたイスラームの印章についての検討を発表している(本書、第6章)。その中で彼女は印章(khātam)と護符との曖昧さと、それぞれの「機能」について探究している。H・A・ヴィンクラーによる研究もなお参考にすべきだが、さらにジョルジュ・アナワティは、北アフリカの護符説明書を分析するなかで優れた文献一覧を提供してくれている*18。多くの現存する護符に解読できない偽アラビア語が見出されているということは歴史学者に興味深い問題を投げかける。そうした言葉は、書いた人間にとってナンセンスなものだったのか? 書いた人間が文盲だったのか、モデルとしたものを誤読したのか? そうだとすると、そうしたことが魔術的・召喚的な力を弱めたり無効にしたりすると考えられていたのか? 召喚を詠唱したり護符を身につけたりする人間が呪文を理解していないとしたら、これは魔術の効力の妥協の産物なのか?
 魔除けによる防御はほぼあらゆるものに求められた。たとえば写本は、ヤー・カビーカジ(yā kabīkaj「おお、金鳳花」)というフレーズを単に記すだけで「守られる」ことが多くあった。この魔除けの記銘には何の魔術的象徴も伴っておらず、むしろ猛毒のあるキンポウゲ科のこの花が虫食いを寄せ付けないという考え方を反映している。アラビア語写本を制作するとき魚膠やデンプン糊を使うので、あらゆる種類の虫が寄りついてきたのだ。本物の植物が手に入らないとき、「キンポウゲ」(カビカージ)の名を単純に書物の表と裏の呼びかけとして書くことが同じように虫除けに有効であると考えられていたのは明らかだ。こうした事例では、呼びかけはアッラーにもその仲介者にも低位の神格にもなされず、植物自体のオカルト的な力(ハワース)になされたわけだ。

*1:Ignaz Goldziher, “Zauberelemente im islamischen Gebet”, in Orientalische Studien Theodor Nöldeke zum siebzigsten Geburtstag gewidmet, ed. Carl Bezold (Giessen, 1906), I, 320-321.

*2:前置きとなる「権威づけのための道具」の役割については、Alexander Fodor, “The Origins of the Arabic Legends of the Pyramids”, Acta Orientalia Academiae Scientiarum Hungaricae 23 (1970), 335-363参照。

*3:Ibn Khaldūn, Muqaddima, III, 156-170.

*4:Kitāb ghāyat al-ḥakīm, ed. Helmut Ritter (Leipzig and Berlin, 1933); trans. Helmut Ritter and Martin Plessner, Picatrix. Das Ziel des Weisen von Pseudo-Maǧrīṭī (London, 1962). David Pingree, ed., Picatrix: the Latin Version of the Ghāyat al-Ḥākim (London, 1986)も参照。

*5:Aḥmad ibn ‘Alī al-Būnī, Kitāb shams al-ma‘ārif al-kubrā wa-laṭā’if al-‘awārif (Cairo, [ca. 1945]).

*6:Pielow, Die Quellen der Weisheit; Pierre Lory, “La magie des lettres dans le Shams al-ma‘ārif d’al-Būnī”, Bulletin d’études orientales 39-40 (1987-1988), 97-111.

*7:Michael W. Dols, Majnūn: the Madman in Medieval Islamic Society, ed. Diana E. Immisch, (Oxford, 1992), Chapter 9 “The Practice of Magic in Healing”; 「預言者の医術」(al-ṭibb al-nabawī)について243-260も参照。これには多くの民間伝承的・魔術的要素があるが、本シリーズの医術についての巻で論じられることになろう。

*8:Toufic Fahd “La connaissance de l’inconnaissable et l’obtention de l’impossible dans la pensée mantique et magique de l’Islam”, Bulletin d’études orientales 44 (1992), 33-44.

*9:イスラームにおける治癒モスクについてはDols, Majnūn, 243-260; Josef W. Meri, The cult of Saints among Muslims and Jews in Medieval Syria (Oxford, 2002)参照

*10:Julius Ruska, Bernard Carra de Vaux, and C.E. Bosworth, “Tilsām”, in EI2, X, 500-502参照。優れた項目ではあるが、“charm”という語を多用しすぎ、魔除けと護符の違いを強調しすぎてはいる。

*11:本書第3章、p. 216参照。

*12:Louis Gardet, “al-Asmā’ al-Ḥusnā”, in EI2, I, 714-717.

*13:Savage-Smith, “Magic and Islam”, 135-137.

*14:Toufic Fahd, “Ḥurūf (‘ilm al-)”, in EI2, III, 395-396; McDonald and Fahd, “Sīmiyā’”, 612-613参照。

*15:Ed. and trans. Joseph Hammer, Ancient Alphabets and Hieroglyphic Characters Explained; with an account of the Egyptian Priests, their Classes, Initiation and Sacrifices (London: 1806).

*16:Ja‘far ibn Manṣūr al-Yaman, Kitāb al-kashf, ed. Rudolf Strothmann (Oxford, 1952); ed. Muṣṭafā Ghālib (Beirut, 1984). 魔術的アルファベットは、通信を暗号化するのにも用いられ得た。C. E. Bosworth, “Mu‘ammā”, in EI2, VIII, 257-258参照。

*17:ルネッテ・シグラについては本書第5章のpp. 141-143; Doutté, Magie et religion dans l’Afrique du Nord, 158-159, 244-248, 288参照。

*18:H. A. Winker, Siegel und Charaktere in der muhammedanischen Zauberei (Berlin, 1930); Georges C. Anawati, “Trois talismans musulmans en arabe provenant du Mali (Marché de Mopti)”, Annales islamologiques 11 (1972), 287-339. Savage-Smith, “Magic and Islam”, 61-62も参照。護符に現れるコーランの節の相対的頻度の一覧を載せている。