翻訳の続き。

方陣
 魔方陣は魔除けの制作者や魔術手引書の編纂者の語彙において重要なものとなっていった。とくに12世紀以降のことだ。最初期の魔方陣アラビア語でワフクwafq)は9つのマスがある3x3方陣に1から9までの文字/数字が入れられ、縦横斜めどの3つを足しても同じ数、15になるというものだった。古代の魔方陣(おそらく中国起源)には特別にブドゥーフ(budūḥ)という名称が与えられており、これは四隅の文字/数字に由来するものである(b=2, d=4, w/ū=6, ḥ=8)。この方陣の魔術的特性はかなり強いものとされたので、ブドゥーフという名称自体にもオカルト的な効力が付されていた。だから、金鳳花への呼びかけ(ヤー・カビーカジュ)と同じように、魔方陣を書きたくなかったり書き方を知らなかったりしたときは、腹痛や一時的な性的不能、あるいは透明になることさえも、「ヤー・ブドゥーフ」と書くことによって呼び出すことができたのだった*1。この魔方陣はたびたび四大天使の名と関連づけられ、また大きな魔除けデザイン内部に位置付けられることも多かった。
 今日までに研究されてきた魔術文献や工芸品からすると、13世紀に至るまで高次の魔方陣(つまり3x3より大きいもの)についての知識はなかったように思われる。どうもそうしたものを制作する知識は13世紀以前に発展していたようなのだが、魔術の語彙に入ってきたのは12世紀後半か13世前半だった。10世紀後半の数学文書、たとえばアブー・ル=ワファーッ・アル=ブーズジャーニー(997没)によるものには6x6までの魔方陣をつくる方法が述べられているが、およそ200年経つまで魔術の語彙には入り込まなかったというわけである*2
 魔術的なコンテクストにおいては、パッと見「魔方陣」のようだが実際のところ要件を満たしていない方陣というのもあった。以下の二つに分類できる。一つはいわゆるラテン方陣アラビア語でワフク・マジャージーwafq majāzī「偽魔方陣」)でもう一つは「詩節方陣」(verse square)である。前者においてはどの縦横列にも同じ象徴群が含まれているが(数字だったり文字だったり言葉、抽象的記号だったりする)、並び方は列ごとに異なっている。「詩節方陣」では、方陣のマスが言葉や語句で埋まっているが、ラテン方陣のように配列されているわけではない。むしろ、連続した列それぞれに一つの言葉が右側に入れられ、新しい言葉が左側に入れられ、それが、選ばれた詩節(普通はクルアーンから採られたもの)が出来上がるまで続く。
 真正の魔方陣についての文献は数多い。それは、数学やパズルの歴史家の注目を引いているからである。しかし、ほぼ全ての学術文献は高次の魔方陣をつくる数学的方法に目を向けており、魔術的意義や民衆文化における役割を見ていない。この件についての数学史的アプローチについては、ジャック・セシアーノによるものを参照*3。本書6章でヴェネティア・ポーターがこうした方陣の魔術的関連性を扱っており、筆者は魔術用の衣と図式のコンテクストにおける用法を論じている*4

魔除け用の道具
 12世紀、理由はなんであれ、魔術への関心が顕著に増大したことがはっきりしている。現状の証拠類から読み取れるのは、この時期に魔術=医術用ボウル[お椀]が最初に生産され(知られているなかで最初期の例は、シリアの支配者ヌール・アッ=ディーン・イブン・ザンギーのために1167年に制作されたもの)、そして(誤って)ソロモンの七つの印章として知られている護符デザインが考案され、さらに高次の魔方陣の魔術的使用が始まり、魔術文書の制作数が激増した、ということである。
 魔術による治癒用ボウルは少なくとも12世紀以降、際立った量が作られたが、文字になった魔術文書には言及されていない。その起源は、ある程度は先イスラーム期のアラム語ボウルと関係があったのだろうが、しかし実際にはデザインにも機能にも大きな差異が見られる*5アラム語のものは粘土製で悪霊を呼び出す渦巻き状の文字が書き込まれていたが、イスラームのものは金属製で、ジンや悪霊とは驚くほど何の関係もない。イスラームの魔術=医術ボウルはいくつかの理由により魔術工芸品のなかでも独特である。A、害を被っている人が持っていたわけでも身につけていたわけでもない(だから護符ではない)。B、家庭内の護符とは違い、継続して機能しない。C、必要時だけ用いられたが、長持ちする素材で作られていた。D、初期の事例は他の魔術工芸品よりもはるかにその使用意図についての情報が多いが、それは初期の(12〜14世紀の)ものに特定の治癒的目的を述べる彫り込みがなされていたからである。クルアーンの詩節や魔術的記述に加え、初期のボウルには、人間や動物をかたどった図式的な表現による装飾がほどこされていた。ある下位分類群にはつねにサソリや蛇、犬と思しき動物(ライオンと言う人もいる)、絡み合う二頭のドラゴン――9〜10世紀のイランの護符を思い起こさせる図像――が表現されていた。この下位分類群を「独の器」と呼ぶ研究者もいるが、実際のところ毒や動物による咬みつきは、この器の外側に描きこまれた多くの用法のうちの一部にすぎない。
 別の、文献に対応するものがない魔術用の道具といえば、魔術的象徴やクルアーンの詩節で彩られた布からなる魔術用の布である。現存する事例は15世紀かそれ以降のものだけで、オスマントルコサファヴィー朝イラン、ムガール朝インドで制作されていた。しかし、9世紀にまでたどれる、風邪の治癒や出産補助のための特別な衣服を着るという伝統があった*6。近ごろラヤ・シャニが詳細を出版した、特筆すべきユダヤ系ペルシアの護符の織物は、近年のものであるにしても、メソポタミアからユダヤムスリムコミュニティを経由して伝わる古代以来の魔術伝統を映し出している*7
 鏡には魔術的特性と関連付けられてきた長い歴史がある*8。数多くの中世の鏡が現存しており、多くは12世紀後半か13世紀のもので、輝く表面に魔除けデザインが彫り込まれている*9
 聖なる場所や聖者の墓地に錠を置き、誓いを示すという古い伝統がある。多くの錠前には護符デザインがあり、パオラ・トッレはこの種の護符についての優れた研究を公刊している*10。最後に、護符のいろいろなコレクションのなかには、護符の巻物、さらにクルアーン全体を描きこんだもののための護符ケースが多数ある。
 こうした工芸品が私たちがテキストを理解するときの助けになることもあるし、文献のほうが現存する工芸品を理解するのに役立つこともあり、驚くほど、あるいは説明ができないくらいの食い違いがあることもある。しかし物質文化と書かれたテクストの双方を研究するという方法論により、読み書きできる者やできない者、金持ちや貧乏、双方の日常的実践や関心事をよりよく理解することができるようになるはずである。

*1:Duncan Black Macdonald, “Budūḥ”, in EI2, Suppl., 153-154参照。

*2:高次の連続同心魔方陣についても、10世紀の数学者により制作されていた。Jacques Sesiano, “Le traité d’Abū’l-Wafā’ sur les carrés magiques”, Zeitschrift für Geschichte der arabisch-islamischen Wissenschaften 12 (1998), 121-244参照。

*3:Jacques Sesiano, “Wafḳ”, in EI2, XI, 28-31; idem, Un traité medieval sur les carrés magiques: De l’arrangement harmonieux des nombres (Lausanne, 1996); idem, “Quadratus mirabilis”. In Jan P. Hogendijk and Abdelhamid I. Sabra, eds., The Enterprise of Science in Islam: New Perspectives, (Cambridge MA, 2003), 199-233; Schuyler Cammann, “Islamic and Indian Magic Squares”, History of Religions 8 (1969), 181-209, 271-99.

*4:Savage-Smith, “Talismanic Charts and Shirts”, in Science, Tools & Magic, I, 106-123参照

*5:イスラーム期のボウルについてはNaveh and Shakedの業績を参照(上述)。

*6:Savage-Smith, “Talismanic Charts and Shirts”, 106-123参照。

*7:Raya Shani, “A Judeo-Persian Talismanic Textile”, in Irano-Judaica IV, ed. Shaul Shaked and Amnon Netzer (Jersalem, 1999), 251-273.

*8:Manfred Ullmann, Das Motiv des Spiegels in der arabischen Literatur des mittelalters (Göttingen, 1992), 55-61.

*9:Savage-Smith, “Talismanic Mirrors and Plaques”, 124-131参照。

*10:Paola Torre, Lucchetti Orientali: Funzione, simbolo, magia. Roma, Palazzo Brancaccio, 5 luglio-30 novembre 1989 [展覧会図録] (Rome, 1989). Tim Stanley, “Locks, Padlocks, and Tools”, in Science, Tools & Magic, II, 356-90も参照。