ヴィヴェイロス・デ・カストロ論文の翻訳について

エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ、丹羽充訳「内在と恐怖」『現代思想』2013年1月号、pp.108-126
原文はhttp://www.natureculture.sakura.ne.jp/pdf/07-deCastrosPaper.pdf

全体的コメント:がんばりましょう。水準点までは遠いです。また、哲学書であるドゥルーズと、ドゥルーズ=ガタリの共著については邦訳が参照されているのに、人類学書であるマリノフスキーとライヘル・ドルマトフの著作については邦訳についての言及なし。しかし訳者は人類学者である。その程度の配慮はしてもらいたいところ(そのせいで訳が意味不明になっているところもある)。
以下、最初の行は原文、次の行は丹羽訳(元訳)、次の行は私訳(試訳)、最後の行はコメント。誤訳については、特に目のついたものだけここに書いています。

p.108

  • Imagine yourself suddenly set down surrounded by all your gear, alone on a tropical beach close to a native village, while the launch or dinghy which has brought you sails away out of sight.
  • 原住民の村に近い熱帯の海岸に、突然、たった一人で降ろされたところを想像して欲しい。必需品に囲まれて。汽艇、もしくは小型ヨットの姿は、もう見えなくなってしまった。
  • あなたが突然、住民たちの集落に近い熱帯の浜辺に置き去りにされ、荷物のなかにただ一人立っているとご想像願いたい。あなたを乗せてきたランチか小舟はすでに去って影も見えない。
  • マリノフスキ『西太平洋の遠洋航海者』増田義郎訳、講談社学術文庫版、p.33より]

p.110

  • This profound definition of fear through its juxtaposed correlation with a literally ‘fundamental’ anatomical condition--or, more precisely, physiological; there is perhaps an allusion to the sudden contraction or relaxation of the anal sphincter in frightening situations―-this definition is, we should note, unmarked from the viewpoint of gender.
  • 字義通りに「原理的に」解剖学的で、より正確には生理的な様態との関係を通して打ち立てられた意味深い恐怖の定義である。そこには、ぞっとさせられる状況での、突然の肛門括約筋の収縮と弛緩の引喩も含まれているのだろう。この定義はジェンダーの観点から区分されない。
  • 文字通り「底部にある」解剖学的条件(より正確には生理学的条件。ぞっとさせられる状況での、突然の肛門括約筋の収縮と弛緩についてほのめかされてもいるだろう)と並べて関係づけることによる、この意味深い恐怖の定義であるが、これがジェンダーの観点から区分されないということは、述べておかなければならない。
  • [こわい状況でお尻の穴がキュッと締まる/ゆるむことについての「生理学的」説明。試訳は直訳っぽいのでもう少し文節の入れ替えをしたほうがいいだろう。]

p.111

  • Koch-Gr〓ünberg
  • コッホ-グルンバーグ
  • コッホ=グリュンベルク
  • [ドイツ人です]
  • Pu'iito
  • プイット(Pu'itto)
  • プイート(Pu'iito)
  • [単なる見間違い]
  • the collective investment of the organs
  • 器官の集団的な配給
  • 器官の集団的な備給
  • [『アンチ・オイディプス』の文脈なのだからinvestmentは「備給」だろう]

p.112

  • it narrates the moment when the organ in question leaves its intensive existence, as a part identical to its own (w)hole, and is extensified, collectively invested and distributed (shared) among the animal species....
  • この器官は、一つの凝集的な存在であることをやめ、外部へと拡がり、しかし全体もしくは穴(w)holeとしての自分の同一性を維持しながら、動物種全体に分配(共有)されていったのだ
  • 神話は、この器官が、部分と全体(穴 (w)hole)が同一的なものとしての内包的存在であることをやめ、外延化され、動物種全体に備給・分配(共有)されていった瞬間を物語っている
  • [いろいろあるが、内包と外延の対は訳出したほうがいいと思う。とはいえこの点については、元訳のほうが明らかに理解しやすいけど。その他抜け落ちが少々]
  • the Brazilian proverb with which I began refers to this socialized phase of the anus, its post-actualized and pre-privatized moment
  • 先に紹介したブラジルの諺は、肛門の社会化された位相、その後-現勢化と前-私有化の瞬間に言及している
  • 先に紹介したブラジルの諺は、肛門の社会化された段階、現勢化された後だが私有化される前の瞬間に言及している
  • [全体的にpost-を「後-」と訳しているがかなりヘンな感じがする]
  • We should note that the myth does not involve giving each individual an anus that is identical yet his/her own, in the sense of his/her private property
  • ここで注意したいのは、この神話が、個々に与えられた肛門が彼ら一人一人のもの、つまり私的な所有物でありながらも、同一のものでもあるということを物語っているのではないということである。
  • ここで注意したいのは、この神話が、いずれも同じ[機能・形態]だがそれでも個々のものとなる(個々の私的所有物という意味での)肛門が与えられたということを物語っているのではないということである。
  • [直後を読めばわかるが、肛門が付与されたのはすべての種のすべての個体ではなくすべての種の特定の代表的個体だということ。元訳だと神話において肛門がすべての個体に与えられたというふうに読めてしまう。というか日本語自体意味不明]

p.113

  • Every being encountered by a human over the course of producing his or her own life may suddenly allow its ‘other side’ (...) to eclipse its usual non-human appearance, actualizing its backgrounded personhood and automatically placing at risk the life of the human interlocutor (...).
  • 自らの生を創出し続けてきた人間と出会った時、あらゆる存在は自らの(……)「他の側面」が、通常の非-人間としての現れを覆い隠すようにする。後景化されていた人格を現勢化し、であった人間の生を危険に陥れるのである(……)。
  • あらゆる存在は、自分の生を歩んでいくなかで人間と出会うとき、刹那に自らの「他の側面」を解放し、そうして通常の非人間的な外観を覆い隠す。後景化されていた人格性を現勢化し、出会った人間の生命を自動的に危機に陥れるのである。
  • [his or her own lifeはevery beingのことでは?(不確実)non-をつねにハイフン付で訳すのはあまりスマートに思えない。personもpersonhoodも区別せず「人格」と訳しているのもいい選択とは思えない。最後のlifeはふつうに「いのち」でいいと思う。その他、訳し忘れなど]
  • this cosmic background humanity is less a predicate of all beings than a constitutive uncertainty concerning the predicates of any being.
  • こうした宇宙の背景にある人間性は、全存在について説明するというよりは、ある存在についての説明における構成的な不確定性である。
  • こうした宇宙の背景にある人間性は、存在者すべての述語というよりは、どの存在者についてもありうる述語に関する構成的な不確定性である。
  • [predicateはふつうに「述語」と訳す。もうひとつはallとanyの訳し分け。意訳っぽくなってしまったが]
  • one-way active cannibal relation
  • 一方的で安定的な食人関係
  • 一方的で能動的な食人関係
  • [一方的なだけだと食べられるだけという読み方も出来てしまう。こちらが食べる、ということを強調する「能動的な」が必要]

p.114

  • transcendental conditions
  • 超越的な状況
  • 超越論的諸条件
  • [混同されていることもあるが本論文ではtranscendentとtranscendentalは明確に使い分けられている。論文タイトルに「内在」とあるのだから対義語の「超越」が出てきたかもと思ったら注意して訳さないといけない。conditionも「超越論的」と組み合わせるなら「条件」一択]
  • each species or type of being is endowed with a prosopomorphic or anthropomorphic apperception
  • それぞれの種や存在には活喩法的もしくは擬人法的な統覚作用が付与されており
  • それぞれの種や存在には人格的なかたちもしくは人間的なかたちの統覚作用が付与されており
  • [prosopopoeiaが「活喩法」なのでprosopoorphicにあてるのは誤訳。prosopo-は「顔の、人格の」という意味。また、この一節ではレトリックの用語が用いられているが、だからといって「法」までつけるとまるでレトリックそのものであるかのように読めてしまう。-morphicを試訳では「〜的なかたち」としたが無理があるかもしれない。]

p.115

  • Perspectivism is not a transpecific multiculturalism stating that each species possesses a particular subjective ‘point of view’ onto a real objective, unique and self-subsistent world
  • パースペクティヴィズムは、実在するある一つの対象に対してそれぞれの種が固有の主観的「視点」を持っており、したがって比類のない固有の世界を持っているのだという、種横断的な複数文化主義を主張しているのではない。
  • パースペクティヴィズムは、実在する客観的な唯一の自存的世界に対してそれぞれの種が固有の主観的「視点」を持っているのだと主張する、異種横断的な多文化主義ではない。
  • [元訳だとそれぞれの種がそれぞれに固有な世界を持っているのだという多自然主義になってしまい、まったく逆の意味になる。multiculturalismを「複数文化主義」と訳すのも驚き]
  • perspectivism does not presume a Thing-in-Itself partially apprehended by the categories of understanding proper to each species.
  • パースペクティヴィズムは、それぞれの種にとって妥当な理解の範疇によって部分的に把握されるような《物自体》を想定しないのだ。
  • パースペクティヴィズムは、それぞれの種に特有な悟性のカテゴリーによって部分的に把握されるような《物自体》を想定しないのだ。
  • [ここは明らかにカントの用語を参照しているので適切な訳語に直す。「妥当な」も誤訳]
  • We are not asked to imagine that the Indians imagine that ‘something equal to x’ exists (as if they were super-Kantians) which humans see as blood and jaguars see as beer.
  • 人間にとっての血がジャガーにとってはビールであるというように、インディアンが(あたかも超カント主義者のように)「xと同等の何か」が存在すると考えていると想像するように、われわれが誘われているわけではない。
  • 人間が血として見て、ジャガーがビールとして見るような「xに等しい何か」が存在するとインディアンが(あたかも超カント主義者のように)思い描いているのだとイメージするよう、言われているわけではない。
  • [元訳だけ読むと原文のように書かれていると想像できない]
  • What exists are not differently categorized self-identical substances,
  • 存在するのは、異なって把握された自己同一的な実体ではなく、
  • 存在するのは、別々にカテゴライズされた自己同一的な実体ではなく、
  • [訳語の問題]

p.116

  • Each species has to be capable of ‘not losing sight’of the fact that the others see themselves as people and, simultaneously, capable of forgetting this fact: that is, able to ‘not see it’.
  • それぞれの種は、他者が彼ら自身を人だと見做しているという事実を「見失って」はならないが、同時に次の事実を忘れてしまわなければならない。「それを見ない」ことができるという事実である。
  • それぞれの種は、他者も彼ら自身を人だと見做しているという事実を「見失わない」でいられるべきではあるが、同時にその事実を忘れることができるべきでもある。つまり、「それを見ない」ことができる、ということである。
  • [factの内容が何か分かっていない! 要するに、「他の動物が人である可能性」を(意図的に)忘れることによってはじめて殺し捕食できる、ということを言っている。元訳では逆の意味になってしまっている]
  • According to the informant, a jaguar of any species that devours a human being, firstly eats the eyes of its victim, and very often is content with this. In actuality, the eye here does not represent the organ of vision but a seminal principle which the jaguar thereby incorporates into itself.
  • インフォーマントによれば、人間を貪り食うあらゆる種にとってのジャガーは、まずは餌食の眼を食い、往々にしてそれで満足するのである。実質上、ここで眼というのは、視覚のための器官を表象しているのではない。ジャガーが自身を合体させる対象である種の、種子原理を表象しているのである。
  • インフォーマントによれば、ジャガー――右にあげたいずれもでもだが――が人を食うときは、まず最初に目を食べ、ときにはこれだけしか食べないこともある。ここで目は視覚器官のことではなしに、ジャガーが取り込む精液原理をあらわしている。
  • [ライヘル=ドルマトフ『デサナ』寺田和夫・友枝啓泰訳、pp.265-266より。まず既存の和訳を参照していないのがいけない。そのせいでof any speciesを誤訳して意味不明の内容になっている(ただ、文脈依存的な表現ではあるが、この抜粋だけでも「ジャガーには多くの種類があるんだな」と推測することは十分可能)。その他いろいろ。ただし和訳はポルトガル語からの訳出なので細かい表現に差異があるのはしかたない]

p.117

  • Ese Eja
  • エセ・エジャ
  • エセ・エハ
  • [人類学専攻なら民族名くらい標準的に表記してもらいたい]
  • An interesting permutation of the senses
  • 趣のある意味の並べ替えではなかろうか。
  • 趣のある感覚の入れ替えではなかろうか。
  • [オオカミと遭遇した時、先にオオカミに自分の姿を見られると、たとえ逃れることができても、一生唖者になってしまうということについてのコメント部分。視覚と聴覚との入れ替えがinterestingと言っている]
  • there is more in perspectivism than meets the eye
  • パースペクティヴィズムには、眼を合わせるということ以上のことがある
  • パースペクティヴィズムには、目に見える以上のものがある
  • [ごく一般的なイディオムなのだが……]

p.118

  • crucial comparison
  • 必然的な比較
  • 重要な比較
  • [この段落にはほかにも訳語選択に難があるところがある]
  • war of the worlds
  • 諸世界の戦争
  • (特になし)
  • [言うまでもなく『宇宙戦争』のことだが、直訳でも許されるか……]

p.119

  • In an earlier work,
  • 近年の仕事において
  • 以前の仕事において
  • [特に最近のだと特定されているわけではない]
  • Forces of Order
  • 《規律の権力》
  • 警察権力(?)
  • [不確定だがこの段落の冒頭で日本のことが言及されていて、で、日本の警察についてのForces of Orderという本があるらしいので、それを参照しているのかもしれない。なんにしても「規律」ではないだろう]

p.120

  • grotesque
  • 滑稽な
  • グロテスクな
  • [直訳にした]

p.121

  • To avoid being devoured by the jaguar, you need to know how to assume its point of view as the point of view of the Self.
  • ジャガーに貪り食われないためには、それが持つ視点を、《自己》に対する視点として手に入れる方法について知らなければならない。
  • ジャガーに貪り食われないためには、ジャガーの視点を、《自己》の視点として手に入れる方法について知らなければならない。
  • [自己に「対する」ではなく、自分自身の視点として入手するということ]

p.122

  • (through its own struggling, Hegel)
  • ヘーゲルによれば、困難を通して
  • ヘーゲルによれば、闘争を通して
  • [自己を所有するために何をすべきか、という文脈。文全体もへんな訳だが省略]
  • ...that functions as a transcendental lived condition?
  • 超越的な生の条件として機能している
  • 超越論的な生きられた条件として機能している
  • [超越的と超越論的の訳し分け。でもlivedって「生きられた」が定訳だと思うけど不確実]
  • A world where enmity is not a mere privative complement of “amity”, a simple negative facticity, but a de jure structure of thought, a positivity in its own right?
  • 「対立関係」が、「友愛関係」の単なる否定としての私的な補足物ではなく、正当な思考の構造であり、それ自体で陽に存在するとしたらどうだろうか。
  • 対立関係が「友愛関係」の単なる欠如的な補完物、否定的な事実性でしかないわけではなく、権利上、思考の構造であり、それ自体が肯定的なものだとしたらどうだろうか。
  • [試訳もかなり堅苦しいが、まずprivativeを「私的」とするのは誤訳。de jureはカントの文脈で「権利上」。positivityは当然negativeと対になるので「陽に」はないだろう。もしこれを生かすなら、もう一方は「単なる陰としての」となる]


p.123

  • The Other has another important incarnation in our intellectual tradition besides that of the Friend. It is consubstantial to a very special, actually, a very singular personage: God.
  • 《他者》は、《友》とともに、われわれの知的伝統に対するもう一つの重要な顕現である。それはある特別な同一存在であり単一人格、つまりは《神》である。
  • われわれの知的伝統においては、《他者》には、《友》とともに、重要な顕現がある。それは非常に特殊な、というか非常に単数的な存在と同本質的なもの、つまりは《神》である。
  • [他者の形式として友と神があるのに、訳文だと他者と友が並置されてしまっている。consubstantial toは神学の文脈だとどう訳されるか知らないのでちょっと微妙なままにしておいた]
  • interestingly, "the Other"--"the enemy"--is one of the euphemisms for the devil
  • 興味深いことに、《他者》はまた、《敵》でもあり悪魔の湾曲表現である
  • 興味深いことに、《他者》つまり《敵》は、悪魔に対する湾曲表現の一つである
  • [訳文だと日本語になっていない]
  • the solipsism of consciousness
  • 無意識の独我論
  • 意識の独我論
  • [この前後もかなり微妙だが、ここは明確な誤読・誤訳]
  • the intensive, intelligible form of the Subject
  • 《主体》という明瞭で凝集的な形態
  • 《主体》という可知的で内包的な形態
  • [前にもあったが、その直後でextensive外延と対比されているので内包とすべきだろう]
  • the form of a potential infinity of non-human subjects.
  • 非-人間的主体が持つ可能的な無限性という形式
  • 非人間的主体が持つ潜在的な無限性という形式
  • [possibleが可能的]
  • hosts of minuscule gods wander the earth
  • 神々の宿主たちがさまよう
  • 無数の小さな神々がさまよう
  • [hosts ofの誤訳、minusculeの脱落]
  • This is the world that has been called animist, ...
  • それはアニミストと呼ばれてきた世界であるが、
  • それはアニミズム的と呼ばれてきた世界であるが、

訳者氏は、同誌に寄稿している人類学教授と同じ大学の院生のようである。あまり言いたくはないが、コネで訳者に採用されたんじゃないだろうか。業績稼ぎとか。それならそれでいいけど、少なくとも他の人に(一人だけでもいいから)訳稿を読ませてコメントをもらうべきだったのではないだろうか。これもあまり言いたくはないが、こういう翻訳を発表してしまうと、今後、翻訳の仕事が回ってくることはなくなっちゃうんじゃないかと思います。