翻訳の続き

イスラーム魔術全般
 しかしながら、古代末期の魔術実践と比べると多くのコントラストがある。もっとも分かりやすいのは、動物(時には人身)供犠が欠如しているということだ。これは古代末期ではよく行なわれていたものだった。イスラーム時代に入っても人形や類似品が敵対者の破壊を目的として使われ続けていたという証拠もほとんどない。魔術ボウルについて言うと、イスラーム文化においてそれが見出されるまでに非常に大きな変化が起こっていたので、先イスラーム時代のものに由来するというにはかなり根拠が乏しい。
 邪視の役割は、イスラーム初期の実践において、それ以前の諸文化よりもずっと明確なものになっている。イスラーム文化にかなり邪視の概念が埋め込まれていたことについて、イグナーツ・ゴルトツィーエルは、イスラーム美術における伝統的な驚きの表現、つまり右手の人差し指を口に当てるという仕草は、邪視や悪いもの一般に対する魔術的な防衛策だったと指摘している*1。かなりはっきりしているのは、先イスラーム期の中東全体で、人間の手が邪視から身を守るために重要な役割を持っていたということであり、同じことがイスラームの地でも引き続き行われていたのである。
 呪符(curse tablets、大抵の場合葦紙に書かれ、巻かれ、隠された)は相対的にはギリシア=ローマ文化ではよくある物だったが、イスラームの工芸品文化においてはほとんどその痕跡が残っていない。呪縛は古代末期と同じような役割を果たしていたが、それでも重要性は減少していたように思われる。
 イスラームの著述家たちは、魔術伝統や占いの伝統を偽史で粉飾することがままあった。預言者、中でもダニエルやエノク/イドリース、ソロモンなどは多彩な術の創始者であるとされ、墓や洞窟で発掘された遺物についての物語がついて回ることもあった*2北アフリカやインドに牽強付会することもあったが、それは両地域とも秘教的知識の場と見なされるようになっていったからだった。イブン・ハルドゥーンは14世紀に魔術的知識の「通史」を特に叙述している*3。彼にとっては、魔術や妖術について知られていること全てをまとめた決定版は、1004年ごろにまとめられたアラビア語の魔術=占星術論考である『ガヤート・アル=ハキーム』(ラテン語のピカトリクスで知られている)だった。この書は誤ってスペインの天文学者アル=マジュリーティー(1008年ごろ没)に帰せられている。このアラビア語文書は校訂されドイツ語訳が出ているが、新たな版と、ラテン語での伝承との全面的な比較研究が待ち望まれる*4。後の時代の著述家の大半にとって、広く認められた魔術の分野における権威といえば、エジプト人のアフマド・イブン・アリー・アル=ブーニーである(1224年没とされる)。多くの論考が彼によるものとされるが、最重要著作は『シャムス・アル-マアーリフ・アル=クブラー』で、何回も版を重ねたが、批判校訂版と翻訳はまだ出ていない*5。ドロシー・ピーロウはその主要な特徴と歴史的なルーツについての研究を公刊しており、ロリーのほうは文字魔術についての検討を行なっている*6
 魔術をそもそも何に使っていたかというと、大きな目的は、病気を払い、健康を保つことだった。マイケル・ドルズは治癒魔術理論について議論するなかで(本書第3章)、悪霊の召喚を行なう妖術師(サーヒルsāḥir、複数形サハラsaḥara)についても論じている。彼の章はエクソシスト(ムッアッジムーンmu‘azzimūn)に関わっている。彼らは神の援助もジンの援助も求め、癲癇や狂気といった病気を癒そうとしていた(本書には再録していないが、同書に繰り返し出てくる)。しかし議論は近世や近代の実践と中世の実践とを混同するか同一視しているため、損なわれている*7
 アッラー以外に活動する超自然的諸力を認識することは、いくぶん厳格なイスラーム一神教に反するところがあるが、神の全能性(介入への嘆願の大半は神に向けられる)と矛盾するものではなかった。宗教についての学者は神に訴えかける魔術形式だけを正当なものとし、ジンや悪霊を使うものを認められないものと見なしがちである*8。天使やムハンマド、アリーや預言者の家族、聖者に訴えかけることも受容できるものとされていた。彼らはみな、嘆願者のためにアッラーとの間を取り持つものと信じられていた*9。現実には、すべての学者は文字や数字についての神秘的・魔術的な解釈を認めていた。

護符、魔除け、文字魔術
 彼らは魔術的象徴類(その図像は先イスラーム伝統にさかのぼりうる)を描写しているものの、ムスリムの使った護符や魔除けはおもにクルアーンの引用や祈祷を通したアラーへの敬虔な呼びかけというかたちを取っていた。この観点からすると、それらはビザンツやローマ、初期イランその他の先イスラーム魔術と大きく異なっていたと言える。
 魔除けと護符(英語のtalismanとamuletには、現実的には区別はない)は邪視や不幸を避けるためだけではなく、幸運を呼び込み、繁栄や能力、魅力を増やすためにも使われていた。それらには魔術的象徴だけではなく、ほとんど常にアッラーや仲介者への呼びかけや祈りも含まれていた。護符を意味するアラビア語のなかで最も普通に使われていたのはティルサーム(tilsām; ギリシア語のtelesmaで、「物事に能力を与える」という元の意味から派生)と、防衛を意味するヒルズ(ḥirz)だった*10。こうしたものに英語の“charm”を使うのは一般的に避けるべきだろう。というのは、この語には詠唱や呪文により低位の神格や悪霊を呼び出す意味が含まれているからである。イスラーム世界と(前キリスト教的・キリスト教的)ヨーロッパ世界における魔術的召喚の違いは、イスラームにおける召喚が悪霊ではなくアッラーに向けて行われるという点にある(ただし完全に排他的というわけではない)。だから、そうした工芸品には魔術的な書き込みや魔術的象徴があるかもしれないが、何よりも神への嘆願により助力や守護を得ることを目的としているものだった。マイケル・ドルズはイスラーム魔術のことを「過度に強められた祈り」と定義しており*11、工芸品はこれを裏付けるものなのである。この点で、イスラーム魔術は古代の魔術とも、ヨーロッパ中世やその後における魔術実践の大半とも異なるのだ。
 魔術的対象に適用される祈り、クルアーンの節、敬虔な語句、呼びかけといったものには、99の「神の御名」(al-asmā’ al-ḥusmā) *12や天使の名称が多く用いられたが、さらに嘆願を強くするための一連の象徴が付け加えられた。そうした象徴の多くは以前の文化から受け継がれた物であり、その起源や意義は、時の経過にともないよくわからなくなっていった。
 最初期の、現存する魔除けは先イスラーム的な魔術の象徴表現を映し出している。たとえば、長い角のシカやオリクスが、非常に初期の9世紀ごろのイランの護符に見出されるし、9世紀の10世紀の護符にはサソリと左後足立ちのライオンあるいは犬、星空、でたらめな文字列からなる、驚くほど静的だが複雑なデザインもある*13。どちらの意匠も、理由は不明だが、12、13世紀には魔除けのレパートリーから脱落して、別の魔除けデザインが主流になった。後者については、もっとも広まっていたのは七つの魔術的象徴が列をなしたもので、そのうちの一つが五芒星で、ときには俗に「ソロモンの印章」と呼ばれる六芒星のこともあった。七つの魔術的象徴はまとめて神の聖なる名称の記号を表していた。ただし歴史学者が誤って「ソロモンの七つの印章」と呼んでしまっていることもある。魔除けのデザインには古代末期から受け継がれてきた占星術的図像もあった。それらは、十二宮や七惑星の擬人化された表象であることが多く、イスラームの図像的慣例に採用されたのだった。
 数字や文字、そして他の記号類からなる魔術的記述は、また別の一般的な特徴である*14。すでに9世紀には、魔術アルファベットや秘密書法、前代文化の奇妙なアルファベットについての全体的な論考が見られる。たとえば、855年ごろイブン・ワフシーヤは『キターブ・シャウク・アル=ムスタハーム・フィー・マリファト・ルムーズ・アル=アクラーム』(『古代文字の謎について学ぶことを欲する熱狂的信者の書』)でイラスト付きの魔術文字を説明している*15。ジャファル・イブン・マンスール・アル=ヤマンが古代の象徴類を解読した10世紀の論考は、二回校訂され、初期の秘教的象徴の知識への有用なガイドとなっている*16。初期(およびその後の時代)のイスラームにおける魔術語彙には、古代末期の、短い直線と終わりの密なカールやループを組み合わせた象徴、いわゆる「ルネッテ・シグラ」(lunette sigla)もある*17。文字自体の魔術的特性を用いることにより(イルム・アル=フルーフ‘ilm al-ḥurūfやシーミヤーsīmiyā’と呼ばれた技術)、ジンをコントロールできると言われていた。
 イスラームの魔除けに見られる無数の象徴を解読する最善のガイドは、未だに、トゥフィク・カナアンによる長らく絶版の研究である(本書、第5章)。より近年では、ヴェネティア・ポーターが、裏側に護符デザインが彫り込まれ、判を押すのが意図されたイスラームの印章についての検討を発表している(本書、第6章)。その中で彼女は印章(khātam)と護符との曖昧さと、それぞれの「機能」について探究している。H・A・ヴィンクラーによる研究もなお参考にすべきだが、さらにジョルジュ・アナワティは、北アフリカの護符説明書を分析するなかで優れた文献一覧を提供してくれている*18。多くの現存する護符に解読できない偽アラビア語が見出されているということは歴史学者に興味深い問題を投げかける。そうした言葉は、書いた人間にとってナンセンスなものだったのか? 書いた人間が文盲だったのか、モデルとしたものを誤読したのか? そうだとすると、そうしたことが魔術的・召喚的な力を弱めたり無効にしたりすると考えられていたのか? 召喚を詠唱したり護符を身につけたりする人間が呪文を理解していないとしたら、これは魔術の効力の妥協の産物なのか?
 魔除けによる防御はほぼあらゆるものに求められた。たとえば写本は、ヤー・カビーカジ(yā kabīkaj「おお、金鳳花」)というフレーズを単に記すだけで「守られる」ことが多くあった。この魔除けの記銘には何の魔術的象徴も伴っておらず、むしろ猛毒のあるキンポウゲ科のこの花が虫食いを寄せ付けないという考え方を反映している。アラビア語写本を制作するとき魚膠やデンプン糊を使うので、あらゆる種類の虫が寄りついてきたのだ。本物の植物が手に入らないとき、「キンポウゲ」(カビカージ)の名を単純に書物の表と裏の呼びかけとして書くことが同じように虫除けに有効であると考えられていたのは明らかだ。こうした事例では、呼びかけはアッラーにもその仲介者にも低位の神格にもなされず、植物自体のオカルト的な力(ハワース)になされたわけだ。

*1:Ignaz Goldziher, “Zauberelemente im islamischen Gebet”, in Orientalische Studien Theodor Nöldeke zum siebzigsten Geburtstag gewidmet, ed. Carl Bezold (Giessen, 1906), I, 320-321.

*2:前置きとなる「権威づけのための道具」の役割については、Alexander Fodor, “The Origins of the Arabic Legends of the Pyramids”, Acta Orientalia Academiae Scientiarum Hungaricae 23 (1970), 335-363参照。

*3:Ibn Khaldūn, Muqaddima, III, 156-170.

*4:Kitāb ghāyat al-ḥakīm, ed. Helmut Ritter (Leipzig and Berlin, 1933); trans. Helmut Ritter and Martin Plessner, Picatrix. Das Ziel des Weisen von Pseudo-Maǧrīṭī (London, 1962). David Pingree, ed., Picatrix: the Latin Version of the Ghāyat al-Ḥākim (London, 1986)も参照。

*5:Aḥmad ibn ‘Alī al-Būnī, Kitāb shams al-ma‘ārif al-kubrā wa-laṭā’if al-‘awārif (Cairo, [ca. 1945]).

*6:Pielow, Die Quellen der Weisheit; Pierre Lory, “La magie des lettres dans le Shams al-ma‘ārif d’al-Būnī”, Bulletin d’études orientales 39-40 (1987-1988), 97-111.

*7:Michael W. Dols, Majnūn: the Madman in Medieval Islamic Society, ed. Diana E. Immisch, (Oxford, 1992), Chapter 9 “The Practice of Magic in Healing”; 「預言者の医術」(al-ṭibb al-nabawī)について243-260も参照。これには多くの民間伝承的・魔術的要素があるが、本シリーズの医術についての巻で論じられることになろう。

*8:Toufic Fahd “La connaissance de l’inconnaissable et l’obtention de l’impossible dans la pensée mantique et magique de l’Islam”, Bulletin d’études orientales 44 (1992), 33-44.

*9:イスラームにおける治癒モスクについてはDols, Majnūn, 243-260; Josef W. Meri, The cult of Saints among Muslims and Jews in Medieval Syria (Oxford, 2002)参照

*10:Julius Ruska, Bernard Carra de Vaux, and C.E. Bosworth, “Tilsām”, in EI2, X, 500-502参照。優れた項目ではあるが、“charm”という語を多用しすぎ、魔除けと護符の違いを強調しすぎてはいる。

*11:本書第3章、p. 216参照。

*12:Louis Gardet, “al-Asmā’ al-Ḥusnā”, in EI2, I, 714-717.

*13:Savage-Smith, “Magic and Islam”, 135-137.

*14:Toufic Fahd, “Ḥurūf (‘ilm al-)”, in EI2, III, 395-396; McDonald and Fahd, “Sīmiyā’”, 612-613参照。

*15:Ed. and trans. Joseph Hammer, Ancient Alphabets and Hieroglyphic Characters Explained; with an account of the Egyptian Priests, their Classes, Initiation and Sacrifices (London: 1806).

*16:Ja‘far ibn Manṣūr al-Yaman, Kitāb al-kashf, ed. Rudolf Strothmann (Oxford, 1952); ed. Muṣṭafā Ghālib (Beirut, 1984). 魔術的アルファベットは、通信を暗号化するのにも用いられ得た。C. E. Bosworth, “Mu‘ammā”, in EI2, VIII, 257-258参照。

*17:ルネッテ・シグラについては本書第5章のpp. 141-143; Doutté, Magie et religion dans l’Afrique du Nord, 158-159, 244-248, 288参照。

*18:H. A. Winker, Siegel und Charaktere in der muhammedanischen Zauberei (Berlin, 1930); Georges C. Anawati, “Trois talismans musulmans en arabe provenant du Mali (Marché de Mopti)”, Annales islamologiques 11 (1972), 287-339. Savage-Smith, “Magic and Islam”, 61-62も参照。護符に現れるコーランの節の相対的頻度の一覧を載せている。