幻想資料系ウェブサイトが次の段階へ進むには

仰々しいタイトルですが。
あれこれ幻想系の本やウェブサイトを見てきて、明らかに欠けているなと思うところに気づいたのでとりまとめ。「幻想資料」と銘打ったけど、いちおう私のサイトが「幻想動物」系なので、それに絞って考えることにする。
率直に言って、キャロル・ローズの数千クラスの辞典みたいな感じのものでもないかぎり、本にしてもウェブサイトにしても既存のものの書き写し以上のものにはなっていないと思う。もちろんローズの辞典はそれ自体が孫引きの孫引きだから、原典資料にあたって正確なところを確認して、それを本やウェブサイトの項目・ページにフィードバックさせることはできる。とはいえ、そういうものは出典をさかのぼっていけば必ずたどりつくものであって、悪い言い方をすれば作られた道をたどり直してるだけだ。だから水木しげるのように出典が明記されていない妖怪について調べるのはそれ自体面白いことだったりするのだが、それはこの際置いといて。

欠けているのにもいくつか種類がある。一つは、たとえば今話題のアブハズやオセット、グルジアなんかの知名度があまり高くない民族や文化について欠けているということ。アフリカやニューギニア南北アメリカの大半の民族はここにはいるだろう。言語別に見ても千や二千の言語でいうところの妖怪や怪物たちは、おそらくいまだに本やウェブサイトに掲載されたことはないだろうし、文字化さえされてないこともあるだろう。でも、ひとたび民族誌(エスノグラフィー)や神話伝説コーパスが見つかれば、追加していくのは比較的楽だ。
それともう一つは、時代の流れの中でぽっかり抜け落ちていたり、全体のなかである要素だけなかったりすること。これは、その地の幻想的存在のうち、百年以上昔から特定の存在やグループだけフィーチャーされて、それが有名なあまりに、他の部分がすっかり身を潜めてしまっているという状況。今回はそこを少し詳しく見てみる。


まずは対照的であるだろう日本の扱いを考えてみる。
ヤマタノオロチ、ヤトノカミ、ヨモツシコメのような怪物や悪霊たちは、「妖怪事典」の類から漏れることが多いとはいえ、和風ファンタジー系には欠かせない。これらは古代神話から知られている存在だ。
餓鬼、阿修羅、羅刹、鬼子母神竜王。必ずしも原典まで丹念に探索した結果として本やウェブページになっているわけではないものの、やはり知られている。仏教の、いわば外来宗教の存在である。
酒呑童子付喪神、鬼など。古代末期以降の、文学作品に登場するもの。
河童、山姥、見越し入道、一つ目小僧。いわゆる「妖怪」。民間伝承系で、おもに近代以降、民俗学者郷土史家らによって採集された。
麒麟鳳凰、野槌など。こういうのは近世までの動物図鑑に載っているもの。
ツチノコヒバゴン、クッシー。近代以降の、未確認動物。
こんな感じで、日本語を母語とする人がこのブログを書いているから当然だけど、ほぼ全時代が網羅され、幻想的存在があると思われるほとんどのジャンル(神話、民間伝承、古典文学、動物誌など)から採集されている。

このように網羅的なところがあるのに対し、著しくバランスが悪いところもある。


まずはギリシア。いわゆる古典神話が圧倒的に巨大な位置を占めているのであえて日陰の部分を見ることはないとは思うけど。たとえばケルベロスキュクロプス、ペガサス、ヘカトンケイルなどについてはいくらでも知識を得ることができる。誰でも(?)知っている。しかしそれも古代オンリー、そして神話オンリーである。
では、古代の民間伝承は? さすがに資料が膨大なだけあって、ある程度は幻想動物系ウェブサイトや本にも載っている。それでもラミア、エンプーサ、ゲローくらい。ではモルモ、アルピト、アッコ、シュバリス、カルコは? ギリシア語魔術パピルスに見つかる悪霊たち、たとえばアホロスやアケパロスの名前は? ギリシア人だって妖怪を信じていたはずなのだが、そしてある程度古典文学にも名前があるのだが、偉大なる神話の影に隠れてすっかり欠けてしまっているみたい。
動物誌関係……アリストテレスやアイリアノス、クテシアス、ニカンドロスらを十分に渉猟しているとは思えない。それでも古代の民間伝承や次の時代よりはずっとまともか。
次が問題。では、中世以降のギリシアの幻想的存在は? 中世のギリシアとなるとビザンツ帝国の範囲内になる。しかし当地で広く知られていたアクリタスのドラゴン退治さえ、ドラゴン関係のものを見てみても載っていない(あるかもしれないけど)。数十の悪魔が並べられている紀元前後成立の偽典『ソロモンの契約』はこの時代も知られていたが、そのことを記したものはあるだろうか。中世ギリシアの幻想動物といって何か一つでも思いつきますか?
近世以降、近代にもなると民話集のなかに散見されるようになるが、吸血鬼関係で知名度があるのもいくつか。それでもイギリスやフランス、ドイツなどヨーロッパ諸国と比較して圧倒的に少ない。
UMA。言わずもがな。
つーわけで、ギリシアに関しては「古代・神話」以外が致命的に欠けているということがわかると思います。


次。エジプト。
エジプトはそもそもメソポタミアギリシアに比べて幻想動物の割合がかなり少ない。アポフィスやレレクなど冥界の存在を除くと、ほとんど幻想動物系ウェブサイトや本には紹介されていない。とはいえ冥界の存在も先述のもの+αでとても限定されていて、同じ解説が繰り返されている。幻想動物系ウェブサイトや本は、ここでもギリシアと同じく「古代・神話」内の存在しか見出していない。しかしエジプトにも悪霊ぐらいいるのだ。特に冥界の悪霊たちは数十リストアップできる(こういう存在との遭遇は死者が出るたびに繰り返されているわけだから「神話」というより「伝承」といったほうがいい;でもそれはアポフィスも一緒か……)。
現世の悪霊たちも、冥界の悪霊ほど多くはないものの、調べれば見つかる。しかし、幻想動物系ウェブサイトや本には、おそらく一つも掲載されていない。
動物関係でいくと、壁画に書かれた、神話や伝説の付属していない、名前あるいは形態だけ知られている怪物たちの一群がある。こいつらは十指に満たない数ではあるが、それでも独特のものがいる。幻想動物系ウェブサイトや本には、これまた、一つも載ってない。
ローマ帝国時代以降はますます減ってくる。というか、実質的に、ゼロ。でもコプト語関係の資料を漁っていると見つかるんだなあ。それを「エジプト」のカテゴリーに入れるかどうかはともかくとして。
イスラーム以降はアラブ化したため、アラビアとひとまとまりになっていることが多い。当然民間伝承は連綿と続いていただろうが、「アラビア」のカテゴリーにくくられていて、正直私はよくわからない。
近代以降もエジプトの農民は妖怪を信じていた。しかしそのあたりの存在も幻想動物系ウェブサイトや本には決定的に欠けている。
以上からして、エジプトに関してもギリシアと同じく、というかギリシア以上に幻想動物系ウェブサイトや本には欠けているものが多い、と思います。


次。アラビア。
イスラーム化以前は資料が少ないのでここでは省略。
神話に関しては、そこそこ幻想動物系ウェブサイトや本にも載っていると思う。
民間伝承も、『クルアーン』の時代から近代に至るまで、ある程度網羅されているように見える。ジンとかイフリートとかデーウとかペリとか。ただこれはアラビア内の他のジャンルと相対的に見ての話で、他の地域と絶対的に見ると中国日本やヨーロッパよりも少ない。
問題は動物関係。イスラームの、狭い意味での「幻想動物」は? つまり精霊や悪魔を除いたもの。ルフ鳥、ワクワクの樹、アンカ、ある程度詳細なのだったら兎のミラージュ……くらい。しかしアリストテレスの『動物誌』を引き継いだイスラーム文化には、当然のごとくユニコーンマンティコアサラマンドラが入り込んでいるのです。つまりヨーロッパと同じく中世アラビアにも動物(ハヤワーン)や驚異(アジャーイブ)関係の書物が大量に存在していて、そこには大量の幻想的存在が掲載されている。しかし幻想動物系ウェブサイトや本には、ほとんど反映されていない。
そんなわけで、アラビアは、全体的に薄いけど、とくに(本当は濃いのに)薄いのが動物関係だというのがわかる、と思います。


こういう感じで、古代神話だけやたら知られていたり、精霊譚は多いのに遠隔地の動物譚が少ないように思われる地域や文化は、そこが穴だったりします。他には、たとえば東南アジアの仏教神話だとか、インドの動物誌、メキシコの民間伝承、東ヨーロッパの中世文学とか……。

穴があるということは、でも、まだ(量や質以外に)拡大するところがあるということです。
他の幻想資料系(それに限らないけど)ウェブサイトや本と差異をつけて新たな情報を盛り込みたい!と思ってる人は、こういう「穴」を埋める資料を探すところからはじめてみてはどうでしょう……。