カトブレパスの話

少し前に途中まで書いていたけど、書き終わりそうにないので、(最近こちらの更新も減ってしまったことだし)途中のきりのいいところまで公開します。

はじめに カトブレパスとゴルゴンが同一視されるという風潮

 古代ギリシア・ローマに、カトブレパスという怪物が伝えられていた。プリニウスの『博物誌』(VIII.32)を引用するホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』によると、カトブレパスはアフリカにいる動物の一種で、頭が重いためいつも地面にかがみこんでいる。「こういう状況でなかったならば、人類の壊滅になることだろう。というのは、その目をみた者はひとり残らずその場で死んでしまうのだ」(p. 48)。要するに最凶レベルの邪眼の持ち主なのである。
 ところで、カトブレパスは、同じ邪眼をもつゴルゴンと同一視されることがある、ということがいくつかの怪物本に書かれている。ゴルゴンといえば、普通は、ギリシア神話に登場する、蛇の髪の毛をもつメドゥーサを筆頭とした三姉妹の怪物のことである。しかし現代のゲームや創作などでは、この伝承にもとづいてゴルゴンという名の偶蹄類の怪物が登場することもあるようだ。

 不思議なことに、本によって、カトブレパスとゴルゴンが同一視されたという時期が大きく食い違っている。

 健部伸明&怪兵隊『幻想世界の住人たち』(初版1988、文庫版2011)は、カトブレパスをゴルゴンと同一視したのは「あまり著名ではない三世紀のギリシアの作家、ミュンドスのアレクサンドロス」であるとしている(文庫版p. 178)。「あまり著名ではない」という表現にやや引っかかりを覚えるものの、紀元後しばらく経つとはいえ、少なくとも古代ギリシア語の時代にこの同一視がおこなわれていたということはわかる。それにしても普通の怪物事典の類には、洋書も含めて、そのようなことは書かれていない。もしかすると、ときどきあることだが『幻想世界の住人たち』はボルヘス『幻獣辞典』の法螺吹きに騙されているのではないかと思い確認してみたが、「カトブレパス」の項目については、ボルヘスアレクサンドロスのことに言及していない。

 その一方で、松平俊久は『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』(2005)の「カトブレパス」の項目に次のように書いている(p. 156)。

ゲスナーの『動物誌』の英訳版といわれる、トプセルの『四足獣誌』(1607年)には、[カトブレパスが]ゴルゴンという名で扉絵にその図版が配され、……[トプセルによる「ゴルゴン」の抄訳がはいる]……指摘するまでもなく、トプセルは神話に登場するゴルゴンからその名をとったのである。

 彼によるとカトブレパスがゴルゴンと呼ばれるのは、どうやら17世紀初頭のトプセルによるものだという。3世紀のギリシア人作家ではなかったのか……?
しかしまた、松平はカトブレパスの項目で「三世紀のギリシアの作家である、ミュンドスのアレクサンドロス」に触れているにもかかわらず、この箇所ではゴルゴンだと呼ばれている、と書いていない。……よくわからなくなってきた。
 また、健部伸明監修(2008)『知っておきたい 伝説の魔族・妖族・神族』p. 47には次のようにある。

「ゴルゴン」の別名を持つ怪獣に「カトブレパス」がいる。エドワード・トプセルの著書によると、カトブレパス(ゴルゴン)は鱗に覆われたドラゴンで、長いたてがみに、血走った巨大な目がある。……このカトブレパスの描写は17世紀になってから大きく修正されたもので、大プリニウス……では、重い頭がだらりと垂れ下がった獣だ。……

この風潮の、日本語文献の出典

 さて、細かい出典を述べていないのではっきりとはいえないが、松平が参考にしたのはジョン・アシュトン『奇怪動物百科』の「ゴルゴン」のようである(たとえば「ヘスペリア」の注に「スペイン」と書くところなどが一致する。正しくは「エチオピア西部」)。私は2005年に文庫化されたものしか持っていないが、日本語訳ハードカバーは1992年に出ているので、『怪物文化誌事典』が参考にするには十分だろう。確かに、アシュトンは「ゴルゴン」の名で連想されるギリシア神話の邪眼蛇女ではなく、いきなりトプセルの解説から始めている。そして次に普通のギリシア神話の蛇女の話を続け、すぐに「プリニウスはこの怪獣をカトブレパス……と呼んでいる」と述べる。次の段落では、ローマの将軍マリウスの兵が「ゴルゴン」に出会ったときの話(ことごとく斃れた――この話は『幻想世界の住人たち』にもアレクサンドロスの紹介として書かれている)が述べられる。さらに、いきなり「プリニウスアテナイオス」の名前が出てくる。アテナイオスがゴルゴンについて何を語ったのかさっぱりわからない……(下のほうでわかります)。
 ただし、トプセル由来だという点については、おそらく松平や健部は、キャロル・ローズが『世界の怪物・神獣事典』(原著は2001年)の「カトブレパス」の項目に書いたことも参考にしているはずだ。ローズ曰く「しかし17世紀までに、この[プリニウスらの]描写は大きく修正される。エドワード・トプセルはこれをゴルゴンと呼び、……」(p. 110)。言うまでもなく(?)キャロル・ローズは信頼のおけない著者なので、まるっきり鵜呑みにするのではなく、少しくらい慎重になってもいいものだけどなあ……。
 というわけで、これで松平らの述べる「カトブレパス=ゴルゴンをいい出したのはトプセルである説」の出典と引用経路はあたりがついた。それではミュンドスのアレクサンドロスはどうなった? いったい彼は何者なのか? つーか、健部は自分が『幻想世界の住人たち』に書いたことを忘れてしまっているのか?

典拠を追跡する 澁澤龍彦ロジェ・カイヨワからアテナイオス『食卓の賢人たち』へ

 いったい『幻想世界の住人たち』は何を参考にしたのだろうか。
 実は先ほどの引用では端折ったが、はっきりと書いてある。澁澤龍彦の『幻想博物誌』だ。『幻想世界の住人たち』は、「あまり著名ではない」という言い回しも含めて、全面的に澁澤の書いたことを繰り返しているのである。むむう? それでは松平が、アレクサンドロスがゴルゴンについて書いていることに触れなかったのはどうしてだ? 二次文献間の整合性を気にしてなのか?
 とにかく、澁澤はいったいどこからアレクサンドロスのことを知ったのだろうか。澁澤が手に取りそうな本のなかでアレクサンドロスカトブレパスについて書いているものとして、ロジェ・カイヨワの『メドゥーサと仲間たち』(原著1960、邦訳1975)がある。邦訳pp. 136-137には次のようにある。

三世紀ギリシャの作家、アテーネーによってその著『ソフィストたちの饗宴』に、ゴルゴの名で引証されている(Vの64)、ミュンドスのアレクサンドロスは、ペルセウスによって首をはねられた怪物ではなく、牝羊に似ていて、リビアに生息するある動物に邂逅している。……

 翻訳が壊滅的なのが残念である。ついでにいうと、松平もはっきりと「ゴルゴン」の項目で『メドゥーサと仲間たち』の議論を引用しているのだが、このあたりには触れていない。
 カイヨワは澁澤偏愛の作家だったから、澁澤がこの文章を目にしたのは間違いない。しかし、カイヨワは、ゴルゴンとカトブレパスが同一視されていることに触れていない。となると、澁澤はどこかでさらに詳細な情報を得たことになるが、それについては今のところはっきりしない。いずれにせよ、カイヨワの言っていることからわかるのは、ミュンドスのアレクサンドロスのこの部分はいわゆる断片として残っており、それが「アテーネー」の『ソフィストたちの饗宴』第5巻64節に引かれているということだ。
 この人物と文献が、現在の日本語でいうアテナイオスの『食卓の賢人たち』のことである、ということがわかるならば、あとは話が早い。『食卓の賢人たち』はすでに完訳が西洋古典叢書に入っているのだ。 そこに書かれていることは、澁澤が紹介し、『幻想世界の住人たち』が引用したこととほとんど同じである。
 とはいうものの澁澤の時代に日本語訳はなかった。フランス語訳だろうかと思い調べてみたが、18世紀の有名な(?)仏訳『食卓の賢人たち』を確認してみたところ、該当部分は「カトブレパス」(後で述べるように、厳密には「カトブレポン」)ではなく「うつむいて見る者」と訳されていた。「カトブレパス」を固有名詞ではないと解釈したらしい。そうなるとこの仏訳ではゴルゴンとカトブレパスが同一視されていることがわからない。となると別の翻訳か紹介を読んだことになるが、まだ特定できていない。澁澤龍彦の蔵書目録は公刊されているし、ほかの澁澤の著作にどれだけミュンドスのアレクサンドロスや『食卓の賢人たち』が引用されているのかを調べればもっと正確に特定できるのだろうけど、私は澁澤マニアではないので、これ以上は他人に任せる(関心をもった人がいるならね!)。

ここまでの感想

 というわけで、世紀をまたいで15年ほどの間隔のある『幻想世界の住人たち』と『図説 ヨーロッパ怪物文化誌事典』の違い――これって、結局は澁澤龍彦とキャロル・ローズの違いでもあるのだが、さらにいうと、澁澤や荒俣宏ボルヘスといった本物の博識家が幻想動物について書いたものが書店に並んでいた時代と、それらをもとに書かれた本(たとえば『幻想世界の住人たち』)をさらに薄めた萌え萌えモンスター本が書店にあふれかえり、ネット上で適当に「それらしい」情報を集められるようになった時代との違いなのではないかとも思った(『怪物文化誌事典』は萌え萌え本ブーム以前だけどね)。
 どっちが良いとか悪いとかいう話ではないが……いや、やっぱり前者のほうがいいに決まってる!
 ついでにいうと「三世紀」の人は、アレクサンドロスを引用しているアテナイオスのほうであって、アレクサンドロスのほうは一世紀の人である。

ギリシア・ローマの伝承者たちはカトブレパスについて何と語っていたのか

 さて、ギリシア語原文までたどりつけるところまで出典探しができたのだから、そこまで行ってみよう。ごちゃまぜになっているカトブレパスの解説をきれいに整理する意味でも、著者ごとに何を言っているのかを区切ってみると、長くはなるが、わかりやすくなるだろう。
 実は(というほどでもないが)カトブレパスCatoblepasという表記はラテン語プリニウス『博物誌』にあるものだ。しかし言葉自体はギリシア語をラテン語化したものである(スキアポデスなどと同様)。つまりプリニウス以前にギリシア人たちがこの獣について語っていたことになるが、今のところ『博物誌』に先行するギリシア語文献は見つかっていないようである。この言葉が書かれている古代のギリシア語文献としては、今のところ私はアエリアヌスの『動物の本性について』とアテナイオス『食卓の賢人たち』だけしか知らない。そして、いずれも「カトブレパス」ではなく「カトブレポン」Κατωβλεπονになっていた。LSJギリシア語辞典の見出し語もΚατωβλεπονで、「カトブレプス」Κατωβλεψとも書く、とあった。

ゴルゴン=カトブレパス説(アレクサンドロスアテナイオス)

 綴りや表記のことはいいとして、カトブレパスをゴルゴンと同一視しているのはやはりアテナイオスの引用するアレクサンドロスだけだった。せっかく日本語訳があるので、全体を引用してみよう。
これがゴルゴン=カトブレパス説の正体だ!

ゴルゴンといえば、ミュンドスのアレクサンドロスの『鳥類誌』の第二巻によると、人間を石にしてしまう動物が本当にいるそうだ。こう言っている、『ゴルゴンとは、リビュアのヌミディア人が、そこに棲んでいる動物を「うつむき」と呼んでいる、それのことである。ほとんどの人々は、その皮に注目して、これは野生の羊に似ていると言うが、なかには牛のようだと言う人もある。これも人の言うところでは、この動物は非常に強烈に息を吐くので、これに出遭う者は皆死んでしまうという。額からたてがみが下がって目を隠しているが、物を見るときはそれを揺する、ところがかなり重いので簡単にはいかない。そして、そのたてがみの下[の目]で見られた者は、息を吹きかけられてではなく、目から発する何か特別なものの力によって、死体となる。こういうことがわかったのは以下のごとき事情であった。――マリウスの率いる軍がヌミディア王ユグルタに対して出征した折、兵士たちがゴルゴンを見たのだがそれを羊だと思った。何となれば、その獣はうつむきかげんであったし、動きがのろかったがゆえである。そこで彼らは、それに向かって突進した。身に帯びていた剣をもって殺しうるであろうと考えたのである。するとそやつは恐れをなし、目の上に垂れておったたてがみをぶるぶるっと振るうた。たちまち、突進し来たった兵どもは死体と化した。かかることが二度三度起こり、そのつど兵が死ぬに及び、そやつに打ちかかる者は必ず死ぬのであるがゆえに、何人かの者が土着の者にこの獣の本性を問いただした。また、マリウスの命を受けて何人かのヌミディアの騎兵が、遠くからそやつを待ち受け、弓を射かけた。そしてその獣を将軍の所へ運んだ』。こうしてこの獣が上に述べられたごときものであったことは、その皮、およびマリウスの軍の兵士らによって明らかにされたわけだ。しかしながらこの著者[アレクサンドロス]が述べているほかの事柄は信頼できないよ。だって、リビュアには『後ずさり牛』という牛がいるなんて言ってるからだ。この牛は草を食うとき、前に進まず、後ずさりしながら草を食うというのさ。なんでもこの牛の角は、ほかの獣のように上向きに曲がっていないで下向きになっていて、それが目の上に影をなしてしまう。それでこの牛どもは自然なやり方では草が食えないというのだ。こんなのを信じるわけにはいかないね。ほかの著者は誰でも、それを裏づけるような証言をしていないもの」。
ウルピアヌスがこういう話をすると、ラレンシスがその通りだと言い、賛意を表して言うには、マリウスはこの獣の皮をローマへ送ったが、見たところはまったく見当もつかないので、それが何の皮なのかはだれにもわからなかったそうだ。で、その皮はヘラクレスの社に奉納されて、そこで将軍たちは勝利を祝って、市民を招いて宴を開いたという。このことはわがローマの多くの詩人や著述家が語っている通りだ。

第5巻221b-222a(『食卓の賢人たち』2, pp. 285-287)。
 要約すると、神話に伝わるゴルゴンと同じ性質を持った動物がいて、目から発する何かによって相手を殺すことがある。この動物は、ヌミディア人が(おそらく彼らの言葉で)「うつむき」と呼んでいるもので(ここはギリシア語原文で「カトブレポン」)、それをミュンドスのアレクサンドロスは神話上の「ゴルゴン」と同一視し、「ゴルゴン」という名を与えて語っている。その攻撃は息によるものとも言われる。また、彼によると、マリウス麾下の兵士が(軍務とは別に)それとは知らずこの動物を殺そうと思い、次々と犠牲になっていったので、動物の本性を現地人から聞いて遠距離から射殺した。
 それに続いて「後ずさり牛」という動物も語られているが、今から見るとこの動物の習性のほうがずっとありうるのに、こちらについては「信じるわけにはいかないね」と言われているのが興味深い。

その他の古代人の語ったこと(プリニウス、ポンポニウス・メラ、アエリアヌス、ソリヌス)

 プリニウスは次のように書いている。

エティオピア西部には、ナイル川の源流と信じられているニグリスという泉がある。……この近くにカトブレパスという獣が棲んでいる。中くらいの大きさで、ほとんど動かない。頭部が非常に重いため、移動するのに大変な苦労をともなうのである。いつも地面に突っ伏しているのだ。しかし、そうでもなければ人間にとって致命的であろう。なぜならカトブレパスの眼を見たものはあっという間に死んでしまうからである。

第8巻第77節, LCL pp.56-57。彼は続けて「バシリスクという蛇にも同じ能力がある」と述べるが、ここでは省略する。

 また、ポンポニウス・メラの『地誌』には次のようにある。

スペリオン族[西エチオピア]の地方にはカトブレパス牛が生まれ、この牛は大型ではないが、頭が大きくてひじょうに重いのをやっとのことで支え、このためほとんどの間その顔を地面へ向けている。また、格別その力が強いのでそれだけ余計に[本書で]ふれがいがあり、それというのも、これが突進して来て噛みつきながら暴れることはまったくないものの、誰でもその眼を見ただけで死んでしまうほどの力を持つからである。

(第3巻第98節、飯尾都人訳、p. 569。

 アエリアヌスは『動物の本性について』で次のように述べる。

リビュアは多種多様な野生動物の産地であり、さらに、この地はカトブレポンという動物を産出する。外見は牡牛ほどの大きさだが、より薄気味悪い。長いまつ毛が密に生えており、その下にある両眼は牡牛ほど大きくはなく、細目で充血しているのである。カトブレポンは眼差しを真っ直ぐではなく地面に向ける。そのため「カトブレポン=下を見る」と呼ばれるのだ。頭頂部あたりから生えているタテガミは馬のそれに似ていて、だらりと垂れて顔をおおいつくしている。そのため、遭遇したとき、より恐ろしさを感じることになる。毒性の根をかじる。カトブレポンが雄牛のように睨みつけるときは、すぐに体を震わせてタテガミを逆立てる。立ち上がって口を開き、喉から激烈で汚い気息を吐き出す。そのため周囲の空気全体が汚染され、近づいてその空気を吸った動物は、非常に苦しんで、声を失い、痙攣をおこして死ぬ。カトブレポンは自分の能力を知っている。他の動物もこのことを知っているので、できるだけ速く遠くに逃げようとする。

第7巻第5節、LCL, pp. 98-100。
 プリニウスやメラと違ってアエリアヌスはその毒性を邪眼ではなく吐息にあるとみている。いくぶん「自然化」されているようにも思われるが、アレクサンドロスのほうは吐息説を却下しているので、現実には、当時、なにが「自然な説明」だったのかは、はっきりとは言えない。

 さらに、中世・近世を通じて西欧で頻繁に参照された作家のソリヌスは、『奇異事物集成』第30章第22〜23節で

[エティオピアの]ニゲル川の近くにカトブレパスが棲んでいる。中くらいのサイズの鈍重な獣である。頭は非常に重く、その視線は有害である。なぜなら、その視界に入ってしまったものは死ぬからである。

と書いている(Momsen ed., 1895, Collectanea rerum memorabilium, p. 134, Arthur Golding (tr.), The excellent and pleasant worke of Iulius solinus Polyhistor, 1955 [1587], T5)。