体内のムシ
最近、『戦国時代のハラノムシ』という本を見つけて一読、衝撃を受け即座に購入し、さらに末尾の参考文献一覧にあった『ハラノムシ、笑う』を帰りの電車内で携帯からAmazon.co.jpにアクセスして買ってしまった。
なんでこんな面白い妖怪本が出ていたのに5ヶ月以上も見過ごしていたのか! 一生の不覚です。6月くらいからしばらく大型書店に行ってなかったからなあ。
- 作者: 田中聡
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1991/08
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- 作者: 長野仁,東昇
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2007/05/21
- メディア: 単行本
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もちろん人体には無数の人間以外の生命がうごめいており、一部が「ムシ」とか呼ばれ、医学的にも実在が確認されていることは知っている。しかしハラノムシはそれだけではない。あらゆる病気、というか異常と認識されたものがこのハラノムシに帰せられてしまっていたのである(明治初期に至るまで......)。いまだって「疳の虫」に関する行事は行なわれていて、怪しい人々がテレビで疳の虫を取り出し、そのおかげでそんな生き物が存在すると信じている人だっていまだに存在する。
そのくせ、妖怪本の類にはめったに疳の虫が取り上げられてない。これはおかしいと思い、私は前々から疳の虫を妖怪――幻想動物の仲間に入れてしまっているのだが、似たようなことをしている人を見たことがない。
疳の虫以外にもたとえば応声虫(これはどの妖怪本にも載っているが、ハラノムシとしては異端――病気自体がオカルトだから)、「つつがなきや……」で有名なツツガムシ(これは『桃山人夜話』にある)、上記ハラノムシ、そしてなんといっても三尸九虫(これは『幻想動物博物館』にもある)などは立派な幻想動物(……?)である。さらに私は仏教経典中(『正法念処経』)にも同様の「体内の虫」の羅列があるのを発見し、これも幻想動物の一覧に入れておいた。国訳版の注釈によればインド医学起源らしい。
どちらにせよ「彼ら」はこれまでほとんど医学史か東洋身体論でしか扱われてこなかった。というか、個別研究自体なかったらしい。田中聡が『ハラノムシ、笑う』で言っている。しかし江戸時代まではハラノムシの全盛期だったのである。
その手の本を読んでみると前近代の病因論として紹介されるのはおもに身体と自然のバランスが崩れた結果としての病気であるが(内因・外因という区別をことさら行なわない;現代のオルタナ医学もこの系統だ)、おそらく一般人レベルでは「悪さをするものがいる」という考えのほうが圧倒的だったに違いない。そしてそれをpersonificatedすることも多かったのだろう。全部が全部というわけではないにせよ、古代メソポタミアやユダヤ民間信仰では、病気の多くは悪霊や神々の罰であるとされたし、病気を起こす魔神伝承など世界中にいくらでもある。ヨーロッパ、とくに中東欧ではペストが如何様にも擬人化されていたし、日本でも疱瘡神や疱瘡婆のような存在が信じられていた。とんでもない姿をしているとも考えられていた(cf. http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Nakifudo_Engi_Abe_no_Seimei.jpg)。風邪がカゼと呼ばれるのも、リリスの起源がシュメールの風の精霊だったように、外から体内に吹き込んでくる「何か」が悪事を働くと考えられていたからである。病気専門でなくとも、妖怪や「悪い道」「土地」「山」「期間」によって人々はとかく体調が悪くなりがちだった。古代オリエント世界では病気を含めもろもろの不幸を避けるために多くの悪霊名が掲載された祓魔文書が書かれ(その一部は名称だけ数十も羅列していたりする)、現在の私たちの彼らの悪霊観を教えてくれる。メソポタミア、ヒッタイト、カナアン、ヘブライ、エジプト、イラン、インド、アルメニア、ギリシアと事例には事欠かない(ほとんどは日本語に紹介されていないが、数少ない紹介例のうち意外なものでいうと、『デメテル賛歌』225?-230行あたり[ちくま学芸文庫版p. 30]。でも大抵の現代語訳では固有名詞が無視されてしまっている!)。
以上は病因主体を外部に求めるものだが、三尸やハラノムシは、体内に発生するものとして病因主体に視線を投げかける。そして後者は、ほとんどのばあい「自然発生」するものと考えられているのだ。周知のとおりルイ・パストゥールが苦心して証明するに至るまで、小型の生命なら日常的な条件さえ整えば簡単に自然発生するという考えが常識としてまかり通っていた。洋の東西を問わない。だから今でも「ウジが湧く」という。日本においてこの手の(ハラノムシ)アイデアがどこに起源するのかについては一考の余地があるが、たぶん中国起源なのだろう。もとはおそらくインド語だった『正法念処経』にも(少なくとも2箇所に)「体内の虫」が掲載されているからもしかすると究極の起源はインド医学だったのかもしれないが、三尸についてはまだ何も調べていないから歴史的起源は分からない。そしてこうした虫たちは(英語で言うbugとwormの中間に当たると思われる。むしろ「蟲」か?)、先ほどの祓魔文書と同様に、その手の啓蒙書や本草書にリストアップされていた。『本草綱目』や『正法念処経』、『戦国時代のハラノムシ』に紹介されていた『針聞書』、『ハラノムシ、笑う』に紹介されていた『九虫図会』『五輪砕幷病形』などにあるのがそれだが、どうやらすべて(ときに微妙に、ときに完全に)違うようだ。田中聡は「いくつかの系譜があるのか、それぞれに独創なのか、今のところはよくわからない」と言っている。たぶん『本草綱目』のように影響力があったものはそれなりに一つの系譜をなしているのだろうが、おそらく他のものは著者による独創か、あるいはローカルな医術伝承によるものではないだろうか。田中聡はほかにも多くのハラノムシを見つけ出したらしいが、「衛生の図像学」という本題から外れてしまうとして、紹介してくれていない。私に探せというのか。
『戦国時代のハラノムシ』文献一覧を見ると、南山大学にそういう研究を始めている人々がいるらしい。cf. https://nzn.jim.nanzan-u.ac.jp/Magic9Scripts/mgrqispi93.dll?APPNAME=GYOSEKI&PRGNAME=Search011-1&ARGUMENTS=-A015230,-AFACULTY,-A2,-A1,-A131011512,-A もしかすると、この雑誌発表論文が2,3年後にまとめて単行本で出るかもしれない。それにとりあえずは期待してみたいが、思想背景や観念史(history of ideas)はともかくとして、リストのほうに興味がある私としては独自にこれからも機会を見つけて調べてみたいとは思う。
おわり