巨鳥ヒルアス

図書館で手に取った『アイルランド文学はどこからきたか』という本に、初期アイルランド文学に「ヒルアス」(Hiruath)という幻鳥が出てくるというのを見て、ぐぐってみたらヒルアスに関する論文が少なくとも2つ書かれていることを知り、それを取り寄せてみたのが1年以上前のこと。
論文というのは
Peter Kitson. 1984. "The Jewels and Bird Hiruath of the 'Ever-New Tongue'". Ériu 35: 113-136.
Martin MCNamara. 1988. "The Bird Hiruath of the 'Ever-New Tongue' and Hirodius of Gloss on Ps. 103:17 in Vatican Codex Pal. Lat. 68". Ériu 39: 87-97.
の2つなのだけど、Ever-new Tongueというのがいったい何なのか微妙によく分からず、日本語にどう訳せばいいのかもわからないまま、あまり読まずに放置していた。

そんなある日古本屋で何気なしに『ケルトの聖書物語』という本を手にとってみた。この本の存在は前世紀から知ってはいたが、「どうせ聖書の装飾写本のことだろう」などと高をくくって、眇め読みさえしていなかったから、本当に何気なしの偶然である。
パラパラとめくってみたら……なんと、アイルランドにおける聖書外典の翻訳がたくさん入っているじゃないか!
「聖書外典」という語は正確ではないかもしれないが(著者あとがきにそのあたりの事情がある)、まず、旧約聖書の『創世記』だとか新約聖書福音書だとかに素っ気なく書かれているような天地創造だとかマリアの話だとかが、よくあることだが、とても色彩的にパラフレーズされている。動物は何種類とかいうところから、インドには小さな人々がいるだとかの中世ヨーロッパ特有の世界観のインポーズまで。私のような幻想動物好きからすれば『ケルトの聖書物語』は、神話伝説や妖精譚ばかり際立っているアイルランドにおいて、貴重な「東方の驚異」的資料(自分たちの世界の外には怪物たちが棲んでいるという考え)だったのだ。
常々感じていることなのだが、物語がある神話伝説は、多少、というか多々脚色が施されていることが多いものの、文学として日本語に紹介されることが多い。それに対して物語のない、今で言う動物図鑑にあたるが科学的に全然正確ではないから動物図鑑としては価値がないという理由で(おそらく)日本語に紹介されることの少ない幻想動物資料(中世ならセビリャのイシドルス、アルベルトゥス・マグヌス[一部邦訳あり]、ヴァンサン・ド・ボーヴェ、トマ・ド・カンタンプレ、アル=カズウィーニー、アル=ジャヒーズなど)というのはなかなか入手しにくいし見つけづらいものなのだ。
しかし『常新舌』――Ever-New Tongue――なる文献、つまりヒルアスについて書かれた文献は、ちゃんと『ケルトの聖書物語』に訳出されていた。それどころか著者はきちんと上記2論文も巻末で紹介している。専門家なら当たり前なのだろうけど、やっぱりすごい。ちなみに『常新舌』というのは、とある聖人が、舌を何度切断されても新しい舌が生えてきたという伝説によるらしい。そういうことを念頭に置くと、なんか気持ち悪いタイトルである。
ほかにも『アダムナーンの幻想』やブレンダン航海譚など、神話宗教関係ではよく知られているタイトルが所収されている。ケルトアイルランドといっても私たちが文献的に知っているのはキリスト教以後の時代でしかないわけで、ならばそのような影響を排除して理想的な(しかし現実のどこにも存在しない脳内設定)神話伝説を創作してしまうよりも、キリスト教と土着信仰のミックスそれ自体を見ていくほうが、ずっと当時の人々の目線に近くなるし、そして、新鮮味があって面白いのだ。
もちろん買いました。

ケルトの聖書物語

ケルトの聖書物語

ヒルアスもそうだが、海外も含めて幻想動物関係の本には名前さえ見られないのにもかかわらず、それについての論文が出ていたり、場合によっては本になるくらいの研究や資料が存在していることがよくある。そういうのを探してきて、こういうところで「業界初」ってな感じで紹介できるのは結構楽しかったりするのです。