神話伝説系のウェブサイトについて(微修正)

前回の続き。「土日にでも」と書いたけど、書くのを思い立ってから数日もすると、書きたいという情熱が薄れてきてしまったので、要約みたいに短く書いておく。

  • この2つのウェブサイト*1はまとめる能力に優れているだろう*2
  • だから、読者にとって親切
  • その反面、「まとめ」の性質上、限られた知識の一般化への傾向が見られる
  • これはあくまで表現上の話であり、「そういうふうに読めてしまう」ということである
  • しかしどちらにしても読むのは執筆者ではない
  • なので私のウェブサイトは「まとめ」というように読まれないようにしたい
  • しかしその方針は執筆者の独善であり、読者にとってきわめて不親切であろう
  • Wikipediaのごとく「編集途上」を明記するのが次善の策か

という感じ。

それともうひとつ、私のウェブサイトを含めた人文学系アマチュア情報サイトに共通するものとして(とくに「神話伝説」という取り扱いの難しい題材について)「限られた知識」という問題を提起しようかとも思ったのだけど、これは天に唾することにもなりかねず、いささか躊躇しているところ。
具体的に言うと、たとえばきよ氏による幻想アイテムの拾遺匣など日本語になっていなかった情報が次々と紹介されていき、みている分には興味深いのだが、ソースがオンライン資料やその周辺に偏ってしまっている。何が問題かというと著作権が切れたものやもともと存在しないものはオンラインで多く入手できるが、では、たとえば古典文献の最新の校訂版はどうかというと限られたものしか存在しない。さまざまな研究対象の最新の知見も、ごく近年のうちのしかも一部を除いて(ということは、つまり研究者自身が公開している場合、ということだが)、ソースから除外されてしまっているのだな。こういう点は水槌氏(幻想の武器博物館)のように学術機関に在籍していて最新の文献がファーストハンドに入手できる場合、アマチュアレベルでならあまり問題はないのだけど、古い情報をメインにそこから考察を進めてしまうと何かとんでもない方向にいってしまう可能性も十分あるわけで。
情報や其分析は豊富でも、たとえば首都大学東京で教授をやってる高山宏が在野の研究者による大著を持ち上げつつも

ここまでゲリラ戦に出た相手にだから言ってもよいと思うのだが、あまりにもひと昔前の参考書ばかりなのに喫驚。そりゃ偉大な人とは思うが今さら下村寅太郎でもあるまいに、と感じた。今、『磁力と重力の発見』を書くに、Hélène Tuzet, "Le cosmos et L'imagination"(1965)もなく、Fernand Hallyn, "La structure poétique du monde : Copernic, Kepler"(1987)なくてどうする?『十六世紀文化革命』綴るに、Michel Jeanneret, "Perpetuum mobile"(1997)なく、Jessica Wolfe, "Humanism, Machinery, and Renaissance Literature"(2004)なくてどうする?結構不可欠な本ばかり。

という感想を漏らしてしまうように(高山宏の読んで生き、書いて死ぬ 『一六世紀文化革命』)。その道の専門家が偶然にでもあるいは何らかのオンラインコミュニティを通してでもいいから見つけてくれると非常にありがたいのだけどね。
それともうひとつは方法論や理論の問題なのだろうが、人文学のプロというのは(学問のプロというのは)講義なりゼミなりでそういったディシプリン(物語論、神話学、文献学、人類学などなど)の方法や批判というものを身につける。しかしアマチュアにはそういう機会はなかなか巡ってこない。もちろん独学でもそれ相応のことはできるはずなのだけど(←自分に言い聞かせる)。それに分析や考察に色目を使おうと思わなければ、あるいは同人に徹するならば、それはそれでいいと思う。ただ私はできればそういうところから抜け出したいと思っている。
でも、どうやって?

*1:http://homepage3.nifty.com/onion/monster/m-index.htmも銜えよう

*2:ちなみに、私にはそのような能力は少ない。だから嫉妬しているともいえる……