近代の認識概念を過去へと持ち込んでしまう誤謬

ずーいぶんと昔に「未確認動物論史序説」を書いた覚えがあって、それからさっぱり放置したままでした。
「『未確認動物』とは何か」とは何か、という一種メタ的な視点から新たなUMAへのまなざしを考えてみようと思ったのですが、これが意外と厄介で。序説に書いたとおり、ざっと予想されるだけでも「動物」の概念、「種」の実在論、「未確認」の範疇といった動物学・動物学史における問題、探検家の系譜、それに関連する人類学などのフィールドワーク史、それらの研究発表の様式や方法論に野蛮/文明論(昨日のエントリのレヴィ=ブリュルのような)、「妖怪」や前近代における「動物」その他の意味といった博物学本草学史に民俗学や近世認識論、怪物論と反自然、「占有」や「発見」といったルネサンス以降のヨーロッパにおける世界認識の変化などにも手をつけねばならず、相手の大きさにびびったのが一つ。ユーヴェルマンが書いている「未確認動物学の歴史」という論文が国内で入手できなさそうだったのが一つ。
そんなわけですが、民俗学というか妖怪研究の立場からこのことに手を染めている人がいないわけではない。それはブルンヴァンから常光徹という日本都市伝説研究の流れが民俗学というディシプリンのなかで行なわれてきたことからも理解される必然的な帰結でした。
私がここで想定しているのは、伊藤龍平の「ツチノコの本地 妖怪から未確認動物へ」(『世間話研究』10、2000年)という論文です。……と、ここで伊藤さんの名前を検索したら、いきなり「2006年度生物学史分科会 シンポジウム UMA(未確認動物)のいる科学史」なるページを発見。行なわれたのが2007年12月9日とある。なんぞこれ。1ヶ月前のことじゃないか……まったく、つくづく運が悪い。私が勝手に問題提起して半年も経たないうちに専門家(?)たちが討論していたとは。
……とにかく伊藤さんの次の記述は、私の言いたいことを要約してくれています。

……未確認動物という概念が発生するには、世の中のすべての動物が確認されていることが前提となり、本草学はまさにそれを目指した学問だからである。森羅万象のすべてを把握しようとする人間の営みのなかで、把握しきれなかったものが、時に妖怪になり、また未確認動物になる。その意味で妖怪と未確認動物とは交換可能であり、ツチノコもその一例である。そして森羅万象すべてを把握しようとするのは、近代動物学の主題でもあった。鑑みれば、二〇世紀の初頭は世に未確認動物があふれていた。それらは発見され報告され、認知されるに至って事典の一項目に納まっていく。やがて、学問が進捗し、地球上の動物の存在が網羅されていくに連れて、未だ確認されざる動物の世間話が生じたのである。(p. 114)

実は根本的なところでかなり私と考えが異なるのですが、それは以下に書くとして、まずはこの一段には脚注が全くないということを指摘しておきます。ということは、おそらく伊藤さんの個人的な経験や記憶からくる叙述かと思われます。民俗学の論文ならそれは良いのでしょうが、私がやりたいのはできるだけ多様な脚注をつけることです。未確認動物学はもとより学際的、インターディシプリナリーな学問であることを目指しているのだから、そのほうが好ましいでしょう。
それと、とりあえず論理的におかしいところを指摘しますと、「未確認動物という概念が発生するには、世の中のすべての動物が確認されていることが前提となり」は違いますよね。矛盾してます。「確認可能」が前提となって未確認という概念が発生します。
また「二〇世紀の初頭は世に未確認動物があふれていた」も、以前指摘したように間違い。「十九世紀の初頭」と書き直すべきでしょう。さらに「未確認動物」という概念が発生していたかどうか怪しいと言うことも以前指摘していますので、二重に文章が間違っています。
そして、私がもっとも問題だと考えているのが「森羅万象のすべてを把握しようとする人間の営みのなかで、把握しきれなかったものが、時に妖怪になり、また未確認動物になる。その意味で妖怪と未確認動物とは交換可能であり、ツチノコもその一例である」というところ。最後のほうでも「我々にとっての未確認動物は、かつての時代の妖怪や狐狸狢と同じ位相にある存在と見做し得るのである」と書いています(p. 130)。妖怪と未確認動物の差異を「我々が伝承の只中にいるため、それを伝承として把握できないだけ」と言っていることも参考までにつけくわえておきます。最近の未確認動物界隈における動向(たとえば山口敏太郎)と一致する認識でもありますが、同時に河童や鬼をUMAと同列にしてしまう(これまた山口敏太郎あすかあきおなど)のようなオカルト業界の認識とも一致してしまう認識でもあります。
私が指摘したいのは単純な話、上記引用文(p. 114のほう)の直前に紹介されている本草学の書『和漢三才図会』に掲載されている「動物」たるツチノコが妖怪なのかということです。伊藤さんは妖怪を「不可知なるものへの解釈装置」と認識しているわけですが、では本草書に掲載された動物は不可知なるものへの解釈装置なのか。伊藤さんの態度は次のようなものです。「昔は世界が狭かったから、或いはこんな稀代な動物もいるやもしれぬ、いや幾ら何でもこれはあるまいと、想像を膨らませていたのであろう……ツチノコの未確認動物化は、……実際はかなり以前から始まっていたのである」(p. 114)。いくらなんでもそれはない。伊藤さんは、本草書に載っている記載のうち、現代では「虚」とわかっている記述に対して、江戸の人々も同じように「これは虚かもなあ」と接していたと言っているわけです。まずこの思い込みを疑うべきですが、さらにそれを「未確認動物化」だという。これを上に引用した「把握しきれなかったものが、時に妖怪になり、また未確認動物になる」とあわせてみると、伊藤さんによれば、本草書に書かれているのにもかかわらず、なぜかツチノコ本草学によっては把握しきれなかったもの、ということになっている。いったいこの「把握しきれなかった」とはどういう意味か。まさか「現代では未確認動物と呼ばれているから」とかいう理由ではないことを願いたいですが、どう考えてもそれに近い論理しか思い浮かびません*1
確かに民俗学でいう「妖怪」的なものはツチノコ伝承群のなかに確実に存在していたし、存在しているでしょう。しかしながら本草学におけるツチノコは、そのような「不可知なるものへの解釈装置」の一例ではない。
さらにまた、民間伝承における「妖怪」だって森羅万象の把握からもれたものではないでしょう。人々の集合表象(デュルケム)として「妖怪」が認識されている以上、それはそのように把握可能なものであり、そして事実「妖怪」として把握されたものです。把握されなかったから……というのは、「妖怪」という把握/認識が現代における世界認識の領域外にあるという、現代人からの視点であって、それを近世あるいは近代までの人々の視点とする理由は何もない。ここ数年の「怪異学」はそのことをちゃんと認識しています。京極夏彦が指摘しているように、妖怪とは一般的にいってコトからモノへの変化がおこるもので、つまりもともとは(怪異)「現象」でした*2。それは当然可知的なもので、不可知なものではありませんでした。
この問題は最初のほうに指摘した論理的なミスとも深く関連するもので、「世の中すべてが確認可能」という認識こそが無意識に遡及されて「妖怪」そして「未確認動物」という概念を生み出しています。その起源はおそらく「妖怪学」を世に生み出した井上圓了にあるでしょう。京極夏彦が指摘するように、彼のいう「妖怪」とは前近代的反近代的なことの総称でした*3。伊藤さんの論理はそれ自体が「妖怪学という伝承」の只中にあることを把握していない。

やはりここでは博物学(本草学)-動物学-未確認動物学の歴史的な関係、というか前二者における認識論的切断(フーコー)および未確認動物学における「回復」(マクルーハン)を探るべきなのです。つまり、論点とすべきはやはり実際の伝承以上にその伝承を俎上にのせる学問=言説それ自体である、ということです。

*1:「実際に観察されていなかったから」というのは最初から排除すべき選択肢ですが思いつきそうな人もいるので反論しておくと、『和漢三才図会』には国外の人々の様子も大量に描かれています。海外特有の動物も(ゾウとかね)。いずれも直接観察は不可能ですな。それに江戸の人や学者が読み込んだとしてどれほどの人が直接多様な日本の生物相を観察する機会があったのか。

*2:批判もあるので紹介しておきます。飯倉義之「『名付け』と『知識』の妖怪現象」『口承文芸研究』29(2006), pp. 133-34。

*3:京極夏彦通俗的『妖怪』概念の成立に関する一考察」『妖怪学大全』(小学館、2003)、p.560。