日本ではない日本 Boundary Transgressions

何年も前から妖怪系雑誌『KWAI』に連載がある人物のウェブサイトに、もう5年ほど前出入りしていたことがあった。その人は日本の妖怪・怪異譚の収集分類をしており、私も少しだけ協力しようと思った。その収集は徹底的なもので、いまだに私は彼の1/100程度の日本妖怪資料さえ持っていないのではないかと思う。しかしそのとき次のような疑問が生じたので、たずねてみることにした。
「日本ではなく海外の目撃談はどうなるのですか?」
その人の答えは、今は日本に専念するというものだった。将来は海外にも展開する含みを持たせてもいた。でも私が聞きたかったのはそんなことではない。もっと具体的にはこう書いたはずだった。
「日本人が海外で目撃した事例はどうなるのでしょうか。日本国籍以外の人が日本で体験した事例は。あるいは、過去日本の領土だったところの扱いは」。
同意するようなレスも返ってきた。四国伝説の調査で有名な彼は、確かこんな感じの返信をくれた。
「なるほど! 海外派遣されている自衛隊の艦船での怪談はどうなるのか! 津軽海峡は公海だが、そこで何かあった場合日本に含むのか!」
しかし主宰はそっけなかった。
「事例を持ってきてくれればその状況に応じて判断します」
そのとき私はこれといった事例を持っていなかったので、その話はそれで終わった。しかししばらく後、私の出入りがおろそかになったころ、その人は「以前、事例も持ってきていないのに云々する人がいたので」と、書き込んだ。よく思われていなかったらしい。

もちろん事例を持っていなかった私にも非はあるが、私としては「日本」という、自明でいるようでいて全く曖昧な枠組み――これは地域・文化・時代の分類全般に言えることだ――について疑問を突きつけるという意図もあってそういう書き込みをしたのである。境界事例は概念を揺り動かし、概念の再設定・再構築を迫る。漠然としたいい加減な概念認識、という事実を曝露する。あるいはそのまま概念を脱構築してしまう。そういう問題意識を持っていなかったこと、またはスルーしたことに私は失望を覚えた(だからその後出入りがおろそかになったのだ)。
実際のところ、もっとややこしい事例を私は後に多く発見している。松谷みよ子(編)『現代民話考2 軍隊』にある死霊や人魂、そして未知の怪物たちに関する「民話」だ。事例の多くは日本が太平洋戦争時に展開していた戦線で体験されたものである。国際法上の規定がどうなのかは知らないが、そこで、支那(中国)で、南方で、インドシナで収容所で彼らが体験した「怪談」はいったい「日本」の怪談なのだろうか? それとも現地のものなのだろうか? あるいは第三の?
国境を侵犯し敵国領土を自軍陣地にする過程、あるいは状態において私達は「それ」をなんと定義するか。そもそも「それ」を何というべきか。今でも頭を悩ませている。