レヴィストロースとリーヴァイス

少し前に紹介したレヴィストロースとの対話本から面白いと思ったところを抜粋してみます。

エリボン その「無信仰」は、あなたのその後の知的生活において、なんらかの役割を演じたのでしょうか?
レヴィストロース わかりません。(中略)今でも宗教の与える解答を聞く耳は持ち合わせていませんが、宇宙とか、宇宙の中での人間の位置はあわれわれ人間の理解を超えたものであり、これからもそれは変わらないだろう、という気持ちはますます深くなっています。(中略)しかし、科学的認識の道筋を辿ること、それも非宗教的人間としてそうすること以上に、精神にとって刺激的な、またためになることも、私は知りません。

エリボン どうしてもあなたは人並はずれた体力にめぐまれているという印象を受けるのですが。
レヴィストロース それは違います。しかし病気をなかったというのは本当です。私にはよくあることなのですが、想像力の欠如に守られたという側面が大きいのですよ。


第二次大戦でアメリカで教えていたときの話
レヴィストロース ずっと後になって知ったことですが、サイバネティックス創始者であるクロード・シャノンが同じ建物に住んでいたそうですよ。(中略)ベルギーから逃げてきた若い女性が、(中略)ここには「人工頭脳を作ってる人」が住んでいるのよという話しをしていまあいたっけ。(中略)私はまずニュー・スクールに出頭したのですあ、そこでいきなりこう言われました。「名前がLévi-Straussじゃだめです。これからはClaude L. Straussということにしましょう。」(中略)ブルージーンズの商標と同じ名前ですからね。(中略)それからというもの、このジーンズ会社の名前は私につきまとってます。(中略)数年前、カリフォルニア大学のバークレー校に招聘教授ということで滞在したことがあります。そのバークレーで、ある日、妻と一緒にレストランで夕食を取ろうということになったのですが、あいにく予約をしていなかった。客の列ができていて、ボーイが番が来たら呼びますといって、私も名前を聞かれたのです。我々の名前を聞くととっさに彼はこう聞いてきました。"The pants or the books?" その簡潔な言い方にはとても妙味があって、他の言語に訳す気はしません。(中略)パリで私の妻がどこかの店で何か注文するとき、ああ、あの有名なレヴィ=ストロースですね、というのは決まってズボンの方で、本であったためしはありませんからね……

レヴィストロース (マックス・)エルンストとの友情はニューヨークの後も続いていますし、何か問題がおきたということもありません。(中略)民族学に対するエルンストの態度は(アンドレ・)ブルトンとちょうど正反対でした。ブルトン民族学を信用していませんでした。

エリボン (フランツ・)ボアズのような人と出会ったということは、あなたにとっては感動的なことだったでしょうね。
レヴィストロース いくつかの基本的な考えはボアズによって与えられたものです。(中略)人種差別に対する批判はボアズに始まるのです。(中略)人間の科学にとっては基本的な事実、つまり言語行為に関する法則は無意識レベルにおいて、すなわち話す主体の意図の外で働いているのであって、そうであればこそ他の社会的事象を形象化する客観的な現象として、言語法則を考察することができるという事実、それをはじめて主張したのもボアズでした。(中略)ほとんど、あるいはまったく未知の文化を研究するときには、一見したところ無意味な事実が事の真相をもっともよく表しているというのはよくあることなのです。(中略)クワキウトル(ボアズが記録した北米先住民族)の料理法は、私が神話に関するいくつかの問題を解く場合、その鍵を提供してくれたのです。なぜなら、それによって、二つの食物の、同時に用いてよいかいけないかという関係、それは単に好みの問題に帰することのできない関係なのですが、それが明らかになったからです。

エリボン (ローマン・)ヤーコブソンとの出会いはあなたにとって決定的でしたか?
レヴィストロース 決定的ですって? それどころではありません。当時の私は、言ってみれば素朴構造主義者でした。(中略)ヤーコブソンは、ある学問領域、つまり私が今まで勉強したことのない言語学には、すでにでき上がった一つのしっかりした学説が存在するのだということを教えてくれたのです。

エリボン あなたのご本のタイトル(『構造人類学』)は、はためく戦旗のような響きを持っていました。(中略)
レヴィストロース このタイトルは当然そうあるべきものだと思っていました。言語学者が行なっている構造分析に私は自分の姿を認めていたのですから。しかし構造主義と言っても、あとで流行するようなものではまだなかったことを忘れないでください。私が言いたかったことは、ただ一つ、私はソシュールやトルベツコイ、ヤーコブソンバンヴェニストたちと同じ知的風土の住人である、ということだけだったのです。
(中略)
エリボン あなたに対する批判はお読みになりますか?
レヴィストロース 偶然に読むことはあります。(中略)それが私を攻撃しているときは、腹が立ちますね。(中略)しかしそれも一瞬のことで、すぐ平静になります。たとえそうしても彼らにわかって貰えないことはわかっていますから。
(中略)
エリボン 60年代、70年代にかけて、人々はまるでそれが全体的な現象であるかのようにカッコつきの「構造主義」というものを語り、レヴィ=ストロースフーコーラカン、バルト、というような名前を挙げつらっていました……
レヴィストロース 私にはそれは不愉快でした。なぜなら、その「構造主義」というものは一つのアマルガムであって、何の根拠も持たないものでしたっから。(中略)私は彼らとは別の知的系譜に属していると感じていました。バンヴェニストデュメジルが顕揚した系譜です。またジャン=ピエール・ヴェルナンと彼と一緒に仕事をしている人たちにも親近感を持っていました。フーコーがそのような同一視を拒絶したのは全く当然のことです。(中略)彼(フーコー)の著作は文体がすぐれているので感心しています。(中略)その一方で、いろいろな言い方で同じことを繰り返す彼のやりかたには感心できません。(中略)彼の黒を白で言い、白を黒で言うそのやり方なのです。(中略)写真のネガとポジは情報量としては同じですからね。またフーコーは時代の前後関係を無視するという――これは単なる印象で、調べてみたわけではないから、具体的に論証はできないのですが――感じがしてなりません。どうも彼には証明すべきことが先にわかっていて、その後でその論証のための材料を集める、というところがあるような気がするのです。(中略)これは私が間違っているのかもしれません。

レヴィストロース 私は語学の才能はまったくありません。英語で論文は書きますが間違いだらけです。英語で講演もしますが、ひどい訛の英語です。(中略)
エリボン デュメジルのように外国語を習得するという強い意志を持たれたことはないのですか? 外国語に対する飽くことなき情熱といいましょうか?
レヴィストロース デュメジルにとっては、それは意志でも情熱でも何でもありませんよ。単に才能の問題です。デュメジルの場合には、翻訳が横に付いているテクストを見つけて、それを百頁ばかり読めば、もうその言語がわかるというのですから、私は唖然とするばかりです。
(toroia長注 レヴィストロースは少なくとも英語、ドイツ語、ポルトガル語スペイン語ギリシア語、ラテン語が読める)
(中略)
エリボン それから、日本語は? 最近では、とくに日本に関心をお持ちのようですから。
レヴィストロース ここ十年ばかりかなり努力はしてみたのですが、もう年を取り過ぎました。右の耳から入っても左の耳に素通りですよ。
(toroia長注 『やきもち焼きの土器つくり』には日本語の表記体系や日本語辞書を引かなければわからないことが書かれている)
(中略)
エリボン 日本のどういう点に惹かれるのですか?
レヴィストロース 古い文化を持っているということですよね。それがフランスと驚くほどに対照的なのです。対照と言っても、まるで反対の対照なのですよ。日本がユーラシア大陸の東の端であるということ、フランスがその西の端であるということを忘れないでください。(中略)自然も私の重大関心事です。とくに日本の自然は――日本は国土の四分の三が人の住んでいない土地ですので、よく人はそのことを忘れるのですが、すばらしく美しい自然の光景を見せてくれるのです。(中略)ヨーロッパやアメリカでは、風景のある一つの構成要素、というのはつまり植物相のことですが、それ自身が多様なのです。ところが日本では、風景の多様さは、杉の木、竹、茶畑、水田というようないくつかの規則的な構成要素から生み出されているのです。その形態からいっても色彩からいっても、日本の風景はヨーロッパのものよりも濃密で、あくまでも豪奢なのです。(中略)日本が私にとって魅力ある国である理由の一つは、そこでは高度に発展した文学・芸術・技術からなる文化が、ずっと古いかこの時代に直接つながっているということが感じられるという事実にあるのだと思います。古い時代ということになれば、民族学者にはなじみの世界ですからね。

参考:
デュメジル (中国学者マルセル・グラネの授業に出席して)やがて私は中国語が好きになったのです。何箇月も毎日、五時間あるいは六時間もノートの上の小さく愛らしい文字を眺めていると、これこそ人類の偉大な成功例の一つだと思えてきますよ。(中略)中国語を話すには長い間真剣に勉強しなければならないのですよ。ペルーのケチュア語のようには簡単にマスターできない代物なのです。
エリボン 全部でいくつの言語を勉強されたのですか。
デュメジル 正確には分かりません。三十ほどでしょうか。
エリボン そのうち完璧に話せるのはいくつありますか。
デュメジル 一つもありませんね。外国語はどれも正確には話せないのです。(中略)
エリボン 英語もですか。
デュメジル だめです。英語で原稿を書き、それを自分で発表しなければならない機会がありましたがね。数学者である私の孫が博士論文を直接英語で書いたと知った時、私は大変に感銘を受け、しかし少しばかり嫉妬しました。(中略)言葉というものは、学習することも忘れることもできるのです。何十年か前に、本を頼りにハンガリー語を独習しました。六箇月で小説や国民的詩人のペテーフィ・シャーンドルの作品を読めるようになりました。しかし今ではすっかり忘れてしまっています。