レヴィ=ストロースの神話論理

私の手元には、今ディディエ・エリボンというフランスのジャーナリストさんがジョルジュ・デュメジルおよびクロード・レヴィストロースと対談した二冊の本がおいてあります。かたほうは『デュメジルとの対話』、かたほうは『遠近の回想』というタイトルになっていて、前者は平凡社から、後者はみすず書房から出ています。
 普通のところだと『遠近の回想』は図書館や大きな書店ならどこにでもおいてあり『デュメジルとの対話』はなかなか置いてないものなのですが、今私の手元にある『デュメジルとの対話』は私が金を払って購入したもので『遠近の回想』は図書館から借りてきたものです。要するに価値が逆になっているのですが、それはどうでもよろしい。

 『デュメジルとの対話』のほうは、私もいくらかデュメジルの本を読んでその理論というか考え方の大筋を知っているので、むしろ興味を引かれたのは彼が30ヶ国語を勉強して「中国語はケチュア語のように簡単にはいかない」など常人とはレベルの違う発言をしているところや有名な学者さんたちとの交流などでした。それに対して『遠近の回想』のほうは私がまだあんまりレヴィストロースの考え方とか、とくに現代思想に与えた影響と言うものを知らなかったので、そっちのほうにむしろ興味が行ってます。どちらにも両方の名前が出てきて、お互い影響を与え合っているというか、デュメジル→レヴィストロースの流れのほうが大きいのですが、そういうことが本人たちの口から出てきて面白いですね。ところでレヴィストロースの大作『神話論理』(フランス語原版。読めないので読んでない)はもうかれこれ20年か30年くらいまえかすず書房の本に「近刊」と書いてあり去年12月に出た『文化人類学文献事典』にも「2004年に出る予定である」とか書かれているにもかかわらずいまだ音沙汰がない、非常にじれったい本なのですが、この『回想』やその他の紹介本によれば、基本的には南北アメリカの神話に限定したもので、「地理的限界を定め、その地域内での精神的構造の類似を見出すことを目指す」(回想のp.236)ものらしいです。この文章はエリボンのほうの言葉なのですが、確かにこれはデュメジルの方法に似ています。
 レヴィストロース自身は構造主義の元祖と言われますが、よくあることで、その用語を自分で言ったのでない限り、たいていの場合本人はその後の用法におけるその用語の元祖であることを否定しています。これはレヴィストロースも同じで、彼は自分がバルトやラカンフーコーのような人と同じくくりで「構造主義」として呼ばれるのは不愉快であって、何の共通点があるのか分からなかった、またはそれは見せかけでしかなかったと言ってます(p.137)。そして次に、自分はバンヴェニストデュメジル、ついでにヤーコブソンの知的系譜に連なるものだと言ってます。私はバルトやラカンフーコーはあまり読んだことがないのでわからないですが、そういえばバルトのほうは高校の国語の教科書に載っていて、現代語の教師から「今の大学受験のトレンドは記号論だ」と言われた覚えがあります。そんなのはどうでもいいですが、要するに彼は言語学、なかんずくヤーコブソンバンヴェニストのような構造主義言語学からその手法を自覚させられた、というようなことを回想のなかで言ってます。ただし自身は語学は大の苦手だ、とも。英語の論文は間違いが多いし話すと訛りだらけになる、100ページの対訳本を読んだだけでその言語を理解できるデュメジルのような化け物とは自分は違うのだ、と(もし本当だとしたら、デュメジルは確かに化け物ですな…笑)。なおレヴィストロースは日本に深い愛着を持っていて、『回想』の前の10年ほど勉強してみたのですが、耳の右から左へ抜けていく状態だったそうで……残念です(って、まだ死んでませんけど。あと3年で100歳か)。少し前に紹介した『仮面の道』にもありましたが、『神話論理』をオペラとした場合その中の小曲、バレエにあたると本人が言っていた『やきもち焼きの土器作り』には、書記のなかの神武天皇が土器を作った神話がアメリカ大陸の類似神話として挙げられています。よく読んでいますね。まあフランス語訳でしょうが。日本人の文化人類学者のなかでも山口昌男川田順造のようにレヴィストロースの薫陶を受けた高名な人類学者がいるのを考えると、もっとがんばってくれレヴィストロース!と思わず言ってしまいます。話がそれてしまいましたが、ではデュメジルとレヴィストロースとの違いはと言うと、まずデュメジルが前1400年にまでさかのぼり現代にまで継続している歴史を対象にできるのに対し、アメリカ先住民の場合は、たかだか400年の歴史しか知られていない(歴史と言う言葉に問題がないわけではないですが、ここでは一般的な用法としてとってください)。それともう一つ、レヴィストロースはこんなことを言っています。「彼(デュメジル)が論証しようとしたのは、アジアとヨーロッパのいくつかの地点で存在が確かめられていた表象システムが同じ共通の起源を持つということでした。一方、私にとっては、歴史的にも地理的にも同一性は出発点において存在していました(中略)大ざっぱに言って、彼らは全て同じところから来たのです(中略)したがって、私の研究目標はデュメジルとは違って、まず、歴史がその同一性を保障してくれている神話体系相互間の違いを説明すること、次に、一特殊事例から出発して神話的思考の仕組みを理解すること、というところにあったのです」。よくわかりませんが、要するにデュメジルが歴史的な同一性を証明したのに対してレヴィストロースはもともと同じだったのは歴史的に証明されている、では神話の違いと思考の仕組みは何か、を証明しようとしているのだ、ということにでもなるんでしょう。またエリボンが「旧石器時代の共通神話の可能性」はと水を向けると、ギリシアと中国と北米に「鳥と戦う小人族」の神話があるのは偶然とは考えられないが、それが旧石器の遺産であるのかそれともほんの数世紀前の交渉によるものなのかは個別に検証してみないと分からない、と慎重を期しています。
 まあ、こんな感じでこの本まだ途中までしか読んでないですが面白いです。図書館に返すまでに、いくつか興味を引いたところをここに書き写してみようかと思ってます。なにせ20世紀最大の神話学者ですからね。

 なお遠近はオチコチと読みます。