デュメジルという名前で検索してたらレンフルーという人が批判しているというので、
その人の本(たぶん)「ことばの考古学」を読んでみました。
読んでみると、レンフルーが批判しているのは「メタ構造の創出」というよりは、もっと科学的・考古学的事実に基づいたもののようです。すなわち、彼の最新の説では、先インド・ヨーロッパ語族の年代は従来より数千年さかのぼる。
それに対し、デュメジルの構造解釈では、「祭司=王、戦士、牧畜民」という階層社会が前提になっている。階層社会で暴力的な侵略をする遊牧民、というのが従来の印欧語族観であって、マリヤ・ギンブタスのクルガン説などで補強された。
しかしこのような社会はレンフルーの確定した年代の考古学的資料から判断すると、いまだ存在しなかったものと思われる。レンフルーによれば、分裂前の印欧語族は平等な農耕社会だった。印欧語族諸派において階級社会、なかば国家的な集団が成立したのは分散から十数世紀以上経ってからのものであり、ならば三機能的階層社会というものは各地で独立して発達したということになる。
では神話がなぜにているかと言えば、どこも社会の発達は似ているからであって、偶然である。デュメジルの解釈によって旧約聖書に三機能を発見したと主張する人もいるし、日本にそれがあるとするデュメジル派の学者もいる。構造的解釈はどうとでもなるのである。
というのが要点。聖書の三機能はデュメジルに詳細に批判され無効ですし日本のそれは吉田敦彦やスコット・リトルトンがやっているものの、デュメジル大好き日本人の私から見ても無理があるのが多く、吉田が拠って立つ騎馬民族説が全然根拠がないことから(レンフルーは「門外漢なのでわからないが日本に韓国人が来たことはありえないというのが最近の説である」としてますが、訳者さん、韓国人じゃなくて朝鮮半島の人、としないと不正確じゃないですか?)、あまり支持されていないように思います(要するにメタ構造創出の具体的反例はどっちも説得力に欠ける)。
レンフルーの仮説は、農耕はアナトリアで始まったが、それは前7000年ごろで、それを担っていた人がインドヨーロッパ語族であるというもの。去年、Natureという雑誌に、遺伝子学の手法で言語分岐を測定したところ、やっぱりアナトリアが原住場所で、レンフルーよりも少し古いとの結果が出たらしい。とはいえ、言語は生命であるとはいえ、獲得形質をものすごい勢いで遺伝するし、一世代の間でさえ変化するもの。どこまでこの統計的手法が正しいのかはすぐにはわからない。あんど、アナトリア起源説はNatureのこの論文が出るまではほとんど証拠がなかったらしい(これも証拠じゃないといえばそうだ)。微妙に「農耕を始めたのはわれわれヨーロッパ人(の祖先)だ」というイデオロギーみたいなのが匂わなくもない。なので、年代から三機能社会階層を退けるには、まだまだ時期が早い(それはレンフルー自体この著書の中で認めてることだが)。
比較言語学は、確立されている場合(印欧語族、セム語族、ウラル語族)は、文科系学問の中でも最も科学的だともいわれる。だからNatureのような手法もかなり事実に近い可能性がある。しかし、同じラテン語から派生したはずのスペイン語、フランス語、イタリア語、ルーマニア語などのロマンス諸語から厳密な音法則や文法変化などを考慮してロマンス祖語(=ラテン語)を再建してみたところ、それはラテン語とは全然違うものになった、という。言語とはそういうものだ。
そういえば階層社会が出来たのは農耕が来てからだって、学校の日本史で習いました〜先生(このベースとなる理論はマルクス主義史学・・・ではあるが、必ずしも否定できないのでは?)。
また、比較神話についても、それが必ずしも社会的現実を必要とするものでもないということはスコット・リトルトンが指摘している。
少し引用みたいなことをすると、デュメジルのベースにはエミール・デュルケムの、「社会的事実は超自然的事実を生み出す、つまり、社会は必然的に宗教に先行する」というもの。しかしそうでもないということはデュメジル自身が気づき、
「私は1950年ごろ、三区分イデオロギーは社会生活においてその社会の現実的な三分割をかならずしも伴うものではないということを、インドの事例から再確認した……むしろ逆に、……一つの理想であるにすぎず、それと同時に、世界の流れと人々の生活を保障する諸力を分析し、解釈するための一方法に過ぎない」
と言っている。これをリトルトンは
デュルケム:社会的現実→超自然的現実
デュメジル:社会的現実←超自然的現実
↑ ↑
イデオロギー的原理
とまとめている。
Amazon.comの書評を読んでみても、レンフルーが比較神話学を理解してない、といった指摘がちらほら見られます。
個別地域研究者やマニアからのデュメジルへの批判は多いのですが、このような根本からの批判は、しかも一見かなり説得力のある説はかなり珍しいです。
まだレンフルーに対して反論ができてるとは思えないし、これからも考古学や歴史学の趨勢を見守っていく必要があるだろうし、ほかの根本的な批判も自分のためにも探す必要はあるでしょう。
なんだかんだいって刺激的な一冊でした。おしまい