ギリシア神話の怪物たちの出典

 ギリシアローマ神話といえば神話の花形です。最近北欧神話に押されつつありますが、基本的な教養、文化の基盤としては依然としてこれら古典神話が圧倒的な位置をしめています。

そんなわけで古典神話の資料は基本的に文字資料で、それが西洋文明のまさに古典というわけでその研究の歴史はソフィストの合理的解釈から現代の先端科学を取り込んだ研究成果まで、実に25世紀以上に及んでます。だから当然古典神話に登場する怪物・妖怪(精霊)たちの資料も北欧神話その他に比べて圧倒的に豊富に揃っているわけです。逆に言えば多すぎて、すべてを調べるのはかなり面倒な作業になってきます。古典神話を主要な趣味にしている人とか(ラテン語オタクのような人)、それこそ生業にしている人は別として、toroiaのようにあくまで世界中の中の一つの地域として古典神話を眺める立場からすると、何か便利なインデックスはないのかなーなんて思ってしまいます。高津春繁さんの『ギリシアローマ神話辞典』はとても優れた辞典ですが(toroiaは図書館のを利用してますけど。絶版だし……)、一般向けと言うことで出典が省略されてしまっています。その他の類書も同様です。古典神話の概説書というのは、その神話の現在の性質上どうしても専門家向けではなく教養の一部として、というものになりがちなので、煩雑な出典引用は出来るだけ避けたいという意向が働くのでしょう。ドイツ語のパウリ・ヴィッソヴァ古典百科事典には出典が明記されているそうですが、(1)ドイツ語、(2)入手困難、(3)80巻以上の大部、(4)当然超高価、というわけでミーハーなtoroiaとは縁の遠いものになっています。

 しかし世の中には不思議な人がいるもので、そのような貴重なインデックス情報をインターネット上に無料で流してくれている人がいたりするわけです。THEOI PROJECTというのがそれです。英語です。

Here you will find individual entries the various divinities & monsters containing quotes sourced from a wide and growing variety of Classical Texts.
 ここであなたは様々な神格や怪物の,幅広く増えつつある古典文献からの引用を含んだ個々の項目をみつけることができるでしょう.

 つまり、名前ごとにエントリーがあって、(簡単な概説があって)、それぞれに時代順に古典からの抜粋(英訳)が掲載されています。名前はアクセント記号こそないものの、ギリシア文字表記、それのローマ字転写(cは使われずkに統一されている)、ラテン語表記、英語表記、英訳表記までついていて、どんなキーワードでも検索でたどり着けるようになっています。
 例えばキマイラの項目の場合、まずShort descriptionがあり、両親と子孫が誰かということとその出典があり、そしてヘシオドスの『神統記』319節以下のキマイラの記述があるところの英文翻訳があり、それ以降ホメロスの『イリアス』、アポロドーロスの『ギリシア神話(ビブリオテーケー)』、ストラボンの『地誌』、パウサニアスの『ギリシア記』、アエリアヌスの『動物の本性について』、オウィディウスの『変身物語』、ウェルギリウスの『アエネイス』、キケロの『神々の本性について』などからの引用が続いています。キマイラの名前が出てさえいれば載せてるって感じです。逆に言えばどんな細かいところも逃していないと言うわけで、個人?でこのようなページを作成しているところに感服してしまいます。
 個人的に嬉しいのはプリニウスなどの記録した幻想的な動物や人々たちなど神話とはあまり関係ないような存在も載っているところですね。

 toroiaも勿論この素晴らしいデータベースを使わせてもらっています。最近Bestiary(怪物・精霊たちの項目がある)からすべての引用部分(イリアスの1-30とかそういうの)を再編集し終えました。これらを参考に今後ギリシアローマ神話についての項目を正確にしていけたらいいなとか思っていたりします。

 ちなみにまあ当然のことではありますが日本では文学的にも高い評価を得ているものの翻訳ばっかり行われていてなかなかその他の翻訳が行われていない状況だったりするようです。ざっと挙げてみますと、ヒュギヌスの著作、ウァレリウス・フラックスの『アルゴナウティカ』、フィロストラトスの『テュアナのアポロニウスの生涯』、アエリアヌスの『動物の本性について』、ノンノスの『ディオニュソス譚』、ビザンチン時代の百科辞書『スーダ』などなど。他にも翻訳されていても数千数万円するような原典資料がいくつかあります(ディオドロスの神代地誌、ストラボンの地誌、パウサニアスの完訳、プリニウスの博物誌、オウィディウスの祭暦などなど)。岩波文庫で、1500円のイリアスや変身物語が手に入るのに慣れてしまうと「(・3・)アルェー 高いYO」と、訳者さんの苦労も考えずに呟いてしまったりするのです。

 一日目ということで今日だけ三件もあります。

 ちなみに、ギリシア神話の原典というと岩波のばかり有名なのですけど、他の文庫からも少しずつ出てたりします。プルタルコスの対比列伝は岩波が絶版な今ちくま学芸文庫版がお手軽に手に入ります。アポロニオスのアルゴナウティカは講談社学芸文庫に訳があります。他の文庫も探せばいろいろありそうです。
 そういえば今年は大作映画『トロイ』が公開されるのですが(予告編の無数の船団には笑った……)、トロイア戦争を描写した叙事詩として有名なイリアスは、実は、というか当然ながら10年間にわたる戦争の一部分しか切り取られていません。続編に近いオデュッセイアも、肝心のトロイア陥落の続きのお話です。創作された歴史たるアエネイスもトロイア陥落後のお話です。その穴を埋めるには様々な当時の歴史書などの断片から物語を再構成するという方法もあるのですが、スミュルナのコイントスの書いたトロイア陥落までのお話を読むという手も有ります。講談社学術文庫で出ている『トロイア戦記』がそれです。著者はギリシア人だからコイントスなのですが、訳者はそう断りを入れつつも敢えて通りのラテン語のクイントス名で出版しています。ギリシア神話の再話ではなく原典を読みたいでもギリシア語もラテン語も読めないというtoroiaのような人にはぴったりの一冊だったりします。
 まーこれでもイリアス以前、パリスの林檎の話を埋めることは出来ないんですが、これはアポロドーロスの『ギリシア神話』しかないのでしょうか? 他にありそうな気もするんですが。