幻獣警察が森瀬繚『ファンタジー資料集成 幻獣&武装事典』を読む

森瀬繚氏の近著『ファンタジー資料集成 幻獣&武装事典』。著者は日頃からツイッターなどで博覧強記を披露しておられ、特にファンタジー・ホラー関係に造詣の深いところから、幻獣警察(他称を横領)としては読んでみなければと思い、内容の評価はさておき、いくつかのミスを指摘してみたのがこのエントリです。
著者はツイッターで「他社事典本のおおざっぱな解説では満足できない方(僕はダメ、むり)に是非オススメ」https://twitter.com/Molice/status/132507107000975360と自信を持っており、また発売直後に出たこの紹介ページ(「ファンタジー好きなら知って損はない!? 編集部驚愕の「幻想トリビア」5選」)でも「こういった概説書にはあるまじきほど詳しく、原典での記述や後世での変遷までまとめられています」と高評価だったので、期待しつつ読もうと思ったところ、そのページでドラコーンが「鯨や大蛇、ワニなど水辺の大型生物を示す言葉」と書いてあり、ちょっと怪しくなったため、ようやく最近読んでみたところ。結果として、全体としてはよくまとめられており、近現代の創作についてはひたすら勉強になることばかりで貴重な内容の本だということがわかった。
ただ、やはり気になるところは多かった。総論的に言うと、文化史や宗教史、言語史の大陸レベルでの流れに誤解が多いこと、また、「何々は何世紀が最初である」という記述について、いくつかはさらに数世紀はさかのぼれること、などである。内容が良いだけに、少し変なところがあると気になってしまうし、こっちでも確認して調べたくなってしまう。以下はそんな自分のためのメモ書きです。

8ページ「妖精Elfの語源は、古代ノルウェーのAlfer、Alfから派生したと考えられている」
「古代ノルウェー語」ではなく「古ノルド語」。古ノルド語文献は中世後期のアイスランドおよびノルウェーの言語なので、古代とは言わない。『幻想世界の住人たち』にこの表記があるので、それを参考にしたか。

10ページ[ドワーフのことを]「北欧の神話・伝説ではドヴェルク(古ノルド語)という」
ここではちゃんと古ノルド語と書かれているが、「ドヴェルク」ではなく「ドヴェルグ」。ドイツ語ではないのだから語尾のgはgのまま。

18ページ「とくに15世紀から18世紀の中世末期、狂乱の魔女狩りの中で教会が作り上げ、悪魔と契約した邪悪な存在として異端とされた西洋の魔女のイメージ」
15世紀から18世紀は、ふつうは「中世末期〜近世」である。魔女狩りを指すならむしろ「近世」と呼んだ方がふさわしい。

同ページ「18世紀から19世紀にかけてキリスト教以前の多神教の残滓が欧州の伝統の中に姿や形を変えて生き残っているとするネオペイガニズムが勃興している。」
ネオペイガニズムは20世紀に入ってからの伝統だろう。18世紀から19世紀にかけて、異教時代の再評価をおこなうロマン主義が勃興したが、それとは分けて考えるべき。

20ページ「紀元前1世紀の共和制ローマ軍人ガイウス・ユリウス・カエサル
よくあるミスだが「共和政」。

26ページ「ドラゴンのルーツを辿ると、メソポタミアバビロニアといったオリエント地方の神話に登場する大蛇の神々に到達する」
そもそもオリエント地方にさかのぼるかどうか怪しいところもあるが(印欧語族の系統も重要)、「大蛇の神々」というのは間違い。「大蛇の怪物」である。よく知られているように、メソポタミアでは、神々には(アルファベットで書くと)「d」という限定詞がつけられたが、大蛇の怪物にはそれがない。また「メソポタミア」と「バビロニア」を分けて書くのも意味不明。バビロニアメソポタミアの一地方である。

同ページ「古代ギリシアの「ドラコーン」……元来は鯨や大蛇、ワニなど水辺に縁のある大型生物の総称だった。後世、これがアフリカやアジアに住む未知の大蛇やトカゲを指す言葉となり、……」
ドラコーンが水辺の大型生物の総称だったという話はどこから来たのだろう。それはケートスのほうである。ドラコーンは基本的に陸上の生き物のこと。詳しくはダニエル・オグデン『ドラコーン』参照。

同ページ「20世紀ドイツのリヒャルト・ワグナーが制作した楽劇『ニーベルングの指環』」
すでに訂正ページに記述されているが、豪快なミス。

31ページ「17世紀初頭イギリスの聖職者エドワード・トプセルが著した『蛇の歴史』(1608年)によれば、……」
「歴史」とされているHistoryは、この場合は「記述」とか「物語」という意味。過去にさかのぼって時代ごとの特徴を書いている本ではない。

38ページ「トロルは、……古ノルド語で「魔法」を意味するtrolldomrが語源で、……」
2014年に出たジョン・リンドウ『トロル』が明記しているように、トロルの語源は依然として不明である。トロルが「魔法」を意味することもあるのは指摘されているが、trolldomrはトロルからの派生語であって、その語源とは見なされていない。

50ページ「5世紀にアイルランドキリスト教を布教した聖パトリックには、毒を持つ蛇などの生物を海の彼方に追放したという伝説があり、他にも蛇神クロウ・クルワッハの神像を杖で打ち壊したとも伝わっている」
Wikipedia日本語版で調査結果が出ているように、聖パトリックが壊したのは「蛇神」ではない。また「クロウ」ではなく「クロム」である。

52ページ「クラーケンの外見イメージを決定づけたのは、フランスの動物学者ピエール・デニス・ド・モンフォールが1802年に描いた図像だろう。……帆船を襲う巨大なタコの姿が大きなインパクトを与えたものだ。この絵自体はクラーケンとはまったく関係なかったものの、いつしか結びつけて語られるようになっていった
前半ではド・モンフォールの図像がクラーケンのイメージを決定づけたとあるが、後半では「いつしか結びつけて語られるように」なったとある。矛盾しているとまでは言えないが、煮え切らない表現である。やはり「いつから結びつけられたのか」を調べてほしいところ。

56ページ「紀元前3世紀から2世紀にかけて、ギリシャ語に翻訳されたヘブライ人の教典七十人訳聖書」において、神の威厳を形容する言葉としてしばしば言及されたヘブライ語レ・エム(野牛)が、「モノケロース(一角獣)」と翻訳されたのだ」
70人訳聖書を「ヘブライ人の」というのはおかしくて、「ユダヤ人の」と表現するべきだろう。ヘレニズム時代のユダヤ教徒ヘブライ人と表現するのはかなり例外的だと思われる。また「レ・エム」と「・」入りの表記をするのも間違いで、「レエム」でよい。

同ページ「アレクサンドリア……で成立したと言われている『フュシオロゴス(博物学)』と題する書物である」
フュシオロゴスは「自然学者」である(フュシス「自然」)。

58ページ「男性の淫魔はラテン語incubo(死体)あるいはincubare(嘘)に由来すると思われるインクブス、女性の淫魔は同じくsuccuba(売春婦)に由来すると思われるサクブスと呼ばれる。ただし、「サクブス」という名前の最古の使用例は14世紀後期ということで、古代から中世にかけてはもっぱらインクブスと呼ばれていた」
インクブスの語源がなぜ「死体」や「嘘」になるのだろうか。最初のincuboは名詞だと「上にのしかかる者」という意味で、動詞だとその不定詞現在形がincubareである。「嘘」というのは、おそらく英語での説明にlie(横たわる)という単語があり、これを同音異義語の「嘘」と読んでしまったからだろう。死体になる理由は不明。横たわっているなら、まあ死体の可能性もあるが、普通は寝ているか休んでいるだろう。サクブスの最古の使用例が14世紀後期というのは、確かにWikipedia英語版にそう書かれているが、これはあくまで英語での初出である。12世紀ウォルター・マップの『宮廷人の閑話』にちゃんと登場しているし、13世紀以降は、神学者の議論にも登場するようになった。たとえばギヨーム・ドーヴェルニュ、トマ・ド・カンタンプレ、アルベルトゥス・マグヌス、そしてトマス・アクィナス

59ページ「ただし、女淫魔としてのリリスキリスト教徒に知られるようになったのは18世紀以降で……」
1240年、パリでニコラス・ドニンが行なった論争で、ユダヤ教徒リリスなるものを信じていると嘲った話があり、この逸話は後の文献でもちょくちょく引かれている(たとえば16世紀のセバスティアンミュンスターなど)。とはいえ、17世紀初めにヨハネス・ブクストルフがリリスに言及するとき、あえて説明しなければならなかった程度には、キリスト教徒には知られてなかったようだ。

同ページ「9世紀の離婚に関する取り決め事において、ランス大司教ヒンクマーはラーミアを「結婚に危険に晒す」超自然的な脅威としている」
この部分はWikipedia英語版の“In his 9th-century treatise on divorce, Hincmar, archbishop of Reims, listed lamiae among the supernatural dangers that threatened marriages”という文章をそのまま訳したものと思われる。まず「ヒンクマー」ではなく「ヒンクマール」。また「取り決め事」ではなく「論考」。さらに「ラーミア」ではなく、複数形lamiaeなのだから「ラミアエ」とか単に「ラミア」とすべき。

60ページ「人狼ワーウルフ:古英語)は、12世紀以降のヨーロッパにおける民間伝承や裁判記録に登場する、狼に変身して人間や家畜を襲う怪物である」
まずワーウルフは現代英語だし、「ワーウルフ」という言葉が人口に膾炙しているからいいものの、発音としては「ウェアウルフ」のほうが正しい。また、「古英語」はぎりぎり12世紀前半まで範囲内だが、12世紀の英語といえば中期英語という意見も多い。さらにいうと、古英語ではwerewulfという単語は1回しか確認されていない。

同ページ「「狼wolf」の語源は紀元前18世紀頃から15世紀頃にかけてインド北方で牧羊生活をしていた、インド=ヨーロッパ語族のアーリア人が用いた「Varka略奪者」に遡るという」
よくある間違いだが、印欧語族の言語は、インド諸語やイラン諸語の起源とされるアーリア人の言語から派生したものではない。それよりもさらにさかのぼる、印欧祖語から派生したものである。アーリア人の言語から英語(あるいはゲルマン祖語へ)というルートは存在しない。そもそも英語もインド-ヨーロッパ語族の一つである。

70ページ「バビロニアの英雄神と、グリフォンに似た怪物(神々の母ティアマトの姿と思われる)の戦いを描くレリーフがニネヴェから発見されている」
このレリーフに描かれたものは、一般的にはニヌルタ神とアサグだとされている。ティアマトだとするのは旧説。

72ページ「ヴァンパイアは、東欧圏に古くから伝わる吸血鬼伝説を原型とするが、さらにルーツを遡るとギリシャ神話のラミアーに辿り着く
これは少なくとも一般的な説ではないだろうし、古代におけるギリシャ神話の影響力を過大に考えすぎている。

76ページ「古代エジプト人の技術を尽くした「ミイラ」が、欧米で知られるようになったのは18世紀。タロットカードのエジプト起源説をぶちあげたアントワーヌ・クール・ド・ジェブランの『原始世界』(1781年)をはじめ、エジプトにまつわる本が盛んに刊行さっるなど、革命前夜のフランス社交界でブームになったのである」
ツイッターでも同様のことを述べておられるのだが、ミイラ自体は中世盛期から知られていた(当時は死体に関する液体のことだった)。死体の取引も15世紀からは盛んになっていった。たとえば当時の記録に、カイロで盗掘をして逮捕された商人のことが書かれている。18世紀には、薬品としてのミイラはヨーロッパの一般家庭にも広まっていたらしい。また17世紀日本の輸入品目録にも普通にミイラは存在している。

91ページ「キリスト神学の礎を作った四世紀ローマの教父アウレリウスアウグスティヌスは、……」
間違いではないけど、アウグスティヌスを紹介するとき普通「アウレリウス」は使わないでしょう。おそらく欧米でも、伝記でもないかぎり「アウグスティヌス」表記が大多数だと思う。また、ローマではなくヒッポ。

同ページ「……10世紀頃にブルガリアに興った異端ボゴミール派の教義書『パノプリア・ドグマティケ』において天使サタナエル(天国を追放される際に「el」の称号を剥奪され、サタナとなる)がイエスと同一視されるミカエルの兄とされるので、このあたりが双子説の起源なのかもしれない」
『パノプリア・ドグマティケ』は、ボゴミール派の教義書ではなく、「十二世紀初頭にエウテュミオス・ジガベノスの著わした反異端文書」(アンゲロフ『異端の宗派ボゴミール』p. 87)であり、正教側の著作である。

94ページ「13〜14世紀のアラブ人歴史家イブン・アルワルディーが著した誌によれば、神が創造した大地を天使が支え、岩山をクジャタという大きな牡牛が支え、そのクジャタを支えているのが海にいるバハムートとされている」
これはエドワード・レーンの記述をもとにしたWikipedia英語版をもとにしているのだろうが、Wikipediaはレーンが多くの著作から記述を構成したことに気づいていない。注意深く読めば、名称はアルワルディーが出典になっているわけではないことがわかる。また、ちゃんと原文を読めば、魚と牛の固有名詞は書かれていないことがわかる。たとえ書かれていたとしてもボルヘス表記の「クジャタ」はありえない。

95ページ「また、ベヒモスの姿は巨大な腹が特徴の象の姿で描かれることが多い。これは1611年に……欽定訳聖書に付けられた脚注に由来している
これも何が出典なのだろうか。少なくとも13世紀のトマス・アクィナスベヒモスはゾウだと言っているし、ユダヤ教の伝統だと12世紀のイブン・エズラがこの説に否定的に言及している。17世紀ということはない。

96ページ「……『クルアーン』には、ジンの支配者であり、天使たちの指導者として神(アッラー)に仕えた魔神イブリースが登場する。アル・シャイターンの異名を持つ、イスラム教のサタンに相当する存在で、いくつかのイフリート伝承が反映されていることから、同一存在と考えて良いだろう
イブリースIblisとイフリートIfrit、綴りにしてみると全然違いますね。同一存在という主張も不明。

97ページ「なお、『クルアーン』には「イフリート」というジンも登場するが、両者の関係は不明である
イブリースと同一存在ではなかったのか!?

100ページ「アッカド神話は、アッカド語バビロニア語、アッシリア語など複数の言語で伝えられているが、基本的な内容はほぼ同じである。……『エヌマ・エリシュ』の現存テキストはアッカド語で書かれている
アッカド語ではなく、バビロニア語とアッシリア語。

103ページ「ギルガメシュは……ヘブライ人には、天使と人間の間に生まれた巨人(ネフィリム)の一人としてその名が伝わった」
これも先ほどと同じで、ユダヤ人などとするのが適切。

110ページ「古典ギリシャではスピンクスと表記する」
古典ギリシャ語は、古代ギリシャ語の一区分であって、「より正しい表記」ではない。スピンクスは古典ギリシャ語以外でもスピンクス(スフィンクス)である。

112ページ「ポセイドン、ハデス、ヘーラー、ゼウス、デメテルヘスティアらの神々」
長母音を反映した表記としていない表記が混じっているのはどうしてなのか。

114ページ「英語圏ではその英語読みであるジュピター、ないしは砕けた形のジョーヴと呼ばれている」
ジョーヴJoveが砕けた形だというのは何が出典だろうか。これはラテン語の斜格に由来する名称である。

115ページ「なお、兄弟と共に父祖の巨人族と戦ったというあたり、ゼウスと北欧神話オーディンはよく似ており、前者が後者に影響を与えた可能性は高い
吸血鬼とラミアのときもそうだったが、ギリシャ神話の影響力を過大評価している。関連性が認められるとしても、両者に共有の起源(たとえば原印欧神話など)を想定するのが普通である。

118ページ「ボッカッチョは、ヘーシオドスの『神統記』において、世界の始まりに出現したとされる原初のカオス(混沌)を、両親が明確に決められていないことを根拠に始まりの神と結論づけた。彼はこのカオスをデモゴルゴンと名付け、哲学者プラトンが『ティマイオス』で言及しているデミウルゴス(建設神)と同一視した上で、異教の神々の系図の頂点に組み入れたのである」
『異教の神々の系譜』を読めばわかるとおり、ボッカッチョはヘーシオドスに言及していないし、カオスとデモゴルゴンは別存在として扱っているし(二人の間の子供までいる!)、デミウルゴスとも同一視していない。同著者は『いちばん詳しい「堕天使」がわかる事典』でも同じ説明をしているが、何を出典にしているのだろう。

121ページ「なお、同じスカンディナビア半島に住んでいたとはいえ、ゲルマン人にとってフィンランド人は人種も言語も異なる「異人」であり、「呪術を用いる人々」を意味するラップ人という呼称がその距離感を物語っている」
ラップ人とはフィンランド少数民族サーミ人のことである。たとえば古ノルド語の「フィン」がフィンランド人およびサーミ人を指していた事実はある。しかしフィンランド人はラップ人ではない。

124ページ「ヴァルキューレの原型は、北欧の民族・英雄伝説であるサガに登場する人間の守護霊、フェルギヤだと言われている」
この説はともかくとして、「フェルギヤ」ではなく「フィルギヤ」ないし「フュルギヤ」。「ュ」を「ェ」と読み間違いたのだろう。

128ページ「しかし、インドに侵入する以前のペルシャ(現代のイラン)のアーリア人が本来持っていた神話は、紀元前13世紀頃の成立とされるインド最古の宗教文献『リグ・ヴェーダ』の時代、……『リグ・ヴェーダ』の神々は、……「デーヴァ」と呼ばれ、語源的には神を意味するギリシャ語のテオスラテン語デウスに通じている」
インドに侵入したとされるのは、ペルシャアーリア人ではなく、インド人およびペルシャ人両方の祖先である原アーリア人とでもいうべき集団である。また「デーヴァ」とギリシャ語の「テオス」は語源的には異なる(ギリシャ語で対応するのは「ゼウス」のほう)。