カトブレパスの話の続き

 今年の3月ごろに書いた「カトブレパスの話」では、古代ギリシア・ローマ時代のカトブレパスの出典について調べました。そのとき中世以降の展開も調べておいたのですが、あまりまとまってなかったので未公開のままでした。その後、とくに状況が進捗したわけでもなく、発展する予定もなさそうなので、そのまま中世以降の部分も公開しておきます。リンクはった参照先は、今では何故か読めなくなっていたりしますが、あまり気にしないでください。

ヨーロッパ中世盛期の百科事典

 プリニウスやソリヌスの遺産を継承した中世盛期の西欧でもカトブレパスは語られた。古代末期から中世初期にかけてどうだったかは調べていないが、セビーリャのイシドルスやラバヌス・マウルスの百科事典には載っていないようである。だから、普通に考えるならば、細部まで手の込んだ百科全書派的なものが現われてようやくマイナーなカトブレパスについて語るべき位置が誕生したということにでもなるのかもしれない。
 なお、百科事典より小さな『フィシオログス』にも動物寓意譚(ベスティアリ)にもカトブレパスは登場しない。「東方の驚異」文献では管見のかぎり中期英語詩『アリサンダー王』に見られるくらいだ。
 近世になっても西欧ではあいかわらずプリニウスらの古代ローマ人が中心的な情報源だったが、邪眼についての真実性は消え失せはじめ、別の動物と同定する作業が進むことになる。
以下、文献情報についてはhttp://linux2.fbi.fh-koeln.de/rdk-smw/Fabelwesen#Catoblepasを全面的に参考にした。また、特にリンクをはっていない古い文献については、GoogleブックスInternet Archiveのものを使った。当然ながら15、6世紀あたりの原書を直接めくったわけではない。

 トマ・ド・カンタンプレは『万象論』(De natura rerum, 1225-1241)の第4巻28章で「カタプレバ」(Cathapleba)について書いている。カタプレバは中くらいのサイズで、鈍重な獣だ。頭は重くて運ぶのが大変だが、視線は有害である。その眼に当てられたものはただちに命を失ってしまうのだ。この動物は「視姦」(concupiscentia oculorum)を示しているらしく、さらに『マタイによる福音書』第5章第28節の一部を引用している――「[みだらな思いで他人の]妻を見る者[はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである]」(Thomas Cantimpratensis, 1973, Liber de natura rerum: text, p. 125)。トマのラテン語自体はかなりソリヌスのものに近いが、聖書への牽強付会が、まあ古代人からすると特異というか奇妙というか、中世人からすると当然というか凡庸というか、という感じだ。

 また、バルトロマエウス・アングリクス『物性論』(de proprietatibus rerum, 1240頃)では随分と呼び方が変形して「カコテファス」(Cacothephas)という名前になっている。この動物はナイルの源流といわれるところの近くに棲んでいて、身体は大きくはなく、不器用で鈍重であり、その頭はずっしりと重い。そのためカコテファスはいつも頭を下に向けている。しかしこのことは人類にとって救いなのだ。なぜならその顔は非常に醜くて毒性に満ちているので、真正面から見てしまうと、なすすべもなくあっという間に死んでしまうからである。Mediæval lore from Bartholomaeus Anglicus, 1907, pp. 90-91.

 ヴァンサン・ド・ボーヴェの『自然の鑑』(Speculum naturale, 1244)第19巻第33節もカトブレパ(Catoblepa)について書いている。ただ、彼はプリニウスおよびソリヌスの記述を比較的忠実に引用しているだけで、この節の半分以上はカットゥス(Cattus)「猫」に割かれている(Speculum naturale vincentii, 1494, 235r)。カトブレパスと猫の二つが並んでいるのは、ラテン語にするとABC順で隣り合っているからで、特に本質的な理由はない。

 アルベルトゥス・マグヌス『動物論』(1250年代?)第22巻第2部第1章第32節でこの動物はカタプレバ(Cathapleba)として紹介され、ナイル源流とされる泉の近くに棲み、中くらいのサイズの鈍重で重い頭を大変そうに運ぶ獣である、とされる。さらにその眼に当てられたものはただちに死ぬというところも同じようなものだが、「その眼に猛毒の妙なる精気(subtilis spiritus venenosi)がある」と書いているのは独特である(Hermann Stadler (hrsg.), 1920, Albertus Magnus: De animalibus Libri XXVII, Zweiter Band, p. 1375)。綴りからするとトマあたりを参考にしたようである。
 『動物について』の個別動物論の部分をドイツ語に訳した『動物の書』(Thierbuch, 1545)ではカタ・ブレパ(Cata pleba)となぜか微妙に分かち書きされている。同書には多くの挿絵があるが、カタブレパの絵はなかった。

 ヤーコブ・ファン・マールラントの『自然の精華』(1270頃)1254行以下でもカトブレパ(Catoblepa)が扱われているが、中世オランダ語というのもあって何が書かれているかはよくわからなかった(J.-H. Bormans (ed.), 1857, Der naturen bloeme, pp. 100-101)。写本によってCaraphelia、Cataphesie、Cathapleba、Chathephebaなどとあり、ずいぶんと自由である。

 コンラート・フォン・メーゲンベルクの『自然の書』(1347-50)はトマ『万象論』の中高ドイツ語訳という触れ込みで、古い校訂版の第3巻第16節ではカタプレバ(Cathapleba)となっている。それの日本語訳があるので引用する。「エジプトのナイル川に棲む動物である、と大学者のプリニウスとソリヌスが述べている。その目は毒で、目を見る者はすぐに死んでしまう。それは、多くの人の魂を殺す淫らな人の目のことである。目は知らないうちに魂を盗む泥棒である」(Franz Pfeifer (ed.), 1861, Das Buch der Natur von Konrad von Megenberg, p. 131, 荻野蔵平訳2013「コンラート・フォン・メーゲンベルク『自然の書(第3章:動物)<前編>」『文学部論叢』104, p. 102)。聖書こそ引用していないが、トマによる解釈を引き継いでいることはわかる。
 なお、http://diglit.ub.uni-heidelberg.de/diglit/cpg300/の93vでは第17節カトフェバ(Cathofeba)とある。
 http://daten.digitale-sammlungen.de/~db/0003/bsb00031026/images/index.html?id=00031026&fip=eayaeayasdaseayaxsqrssdasewqeaya&no=2&seite=109にはカタフェバ(Cathafeba)とある。
 いずれも-pl-を-ph-と読み間違えて-f-にしてしまったのだろうか。
 そこで、荻野もついでに参照しているはずの『自然の書』の最新の校訂版をみると、Cathafebaとなっていた。他の写本では(与格形で)Chathafeben, chachafeben, cachtafeben, cachofeben, cachefebenなどとなっているようだ(Robert Luff et al (eds.), 2003, Konrad von Megenberg: Buch der Natur, p. 156)。

ルネサンス時代

 ルイージ・プルチの叙事詩『モルガンテ』(1483)第25歌314節にもリビアの動物としてカトブレパ(catoblepa)が登場するが、なんと「蛇」(serpente)であるとされている(Morgante: The epic adventures of Orland and his giant friend Morgante, p. 638)。どうもバシリスクと混同されてしまったようである。

 おそらくコンラート・ゲスナー『動物誌』(1551)にある記述が、カトブレパスについての章としてはもっとも長大なものだろう。ただ、その多くは、アテナイオスの記述に触れるのを転換点としてゴルゴンのほうに割かれているようだが、長いうえにラテン語なので確認していない(Konrad Gesner, 1551, Historiae animalium, liber I, de quadrupedibus viviparis, pp. 152-154)。ただ、大まかなところではトプセルと同一なので、彼のことを参照。

 エドワード・ウォットン『動物のさまざま』(1552)第5巻第91章も、多少省略しているもののほぼプリニウスの引き写しだが、視線に毒があるというところだけはプリニウスのかわりにソリヌスを引き写している(Edward Wotton, 1552, De differentiis animalium, libri decem, 72v)。

 そしてようやくエドワード・トプセルの『四足動物誌』(The Historie of Fovre-footed Beastes, 1607)の登場である。トプセルは表紙にどういうわけかThe Gorgonのイラストを配している。よほど気に入ったのだろうか。いずれにせよこの本はゲスナーの『動物誌』の英訳という触れ込みで、本文では262-263ページでこの動物が扱われている。全訳してみるが、その前にゲスナーの文章と比較してみると、ゲスナーのほうは章のタイトルが「カトブレパスについて」(De catoblepa)なのに対してトプセルのほうは「ゴーゴンについて」(Of the Gorgon)になっている。また冒頭の文章もゲスナーがCatoblepontemと書いているところをGorgonに変えている。
 さて。

アフリカに棲む多様な野獣のなかで、ゴーゴンが第一に来るものと考えられている。ゴーゴンは見るも恐ろしい野獣である。まつ毛は長くて太く、眼はそれほど大きくはないが、雄牛かbugilにかなり似ていて、燃えるように充血している。その眼は正面を見ることも上を見ることさえもなく、ただずっと地面のほうを向いている。そのためギリシア語で「カトブレポンタ」と呼ばれる。首回りから鼻のところにかけて長いタテガミが垂れ下がっており、そのため外観が醜悪にみえる。毒性のある植物を食む。雄牛など、ゴーゴンが怖れる動物を見かけたときは、タテガミを逆立て、[頭部を]持ち上げて、唇をあけて口を大きくひらき、喉からある種の鋭く恐るべき息を吐き出す。この息がゴーゴンの頭部の上あたりを汚染して毒化するので、この空気に触れた動物は激しい影響を受ける。さらに声も闘志も失い、痙攣をおこして死に至る。この動物はヘスペリア[エチオピア西部]とリビアに棲んでいる。

 江戸時代の日本にオランダ語訳が輸入されたことで有名な『四足獣誌』の著者ヤン・ヨンストンは、カトブレパスについて『自然の驚異誌』で短く触れている。『四足獣誌』(1649)にも何故かイラストにだけカトブレパスが登場している(本文にはカトブレパスの名は見えないようだが、細かく読んでいないのでわからない)。

 ガスパール・ショットの『珍奇学』(1667)第8章第21節はゲスナーを参考にしたのだろうか、プリニウスとソリヌスのほか、アエリアヌスやアテナイオスも引用している(Physicæ curiosæ, pars II, 1667, pp. 841-842)。絵もあるが、ヨンストンのものの流用のようである。

いつの間にか否定されていた近代

 ジョルジュ・キュヴィエは主著『動物界』において、ゲスナーを参照して、ヌーの一種にGorgonという学名を与えている。

小まとめ

 ミュンドスのアレクサンドロスからアテナイオスを経て、コンラート・ゲスナーラテン語に集大成されたカトブレパス=ゴルゴン説は、英語圏にはトプセルを介して、フランス語圏と生物学圏にはキュヴィエを介して伝えられつづけた。それは決して古代ギリシアに限定されたものでもなく、ましてや17世紀英国人の独創でもない、確固たる「古典復興」の流れのなかに位置づけられるものだった。

 カトブレパスについての論文は滅多にないと思うが、古代から現代にいたる原典資料をまとめたものとして、Ignacio Malaxecheverria, 1984, Elements pour une histoire poetique du Catoblepas, Epopée animale, fable, fabliau, 345-353がある。