亡霊論的転回

おもに文系学問において、これまで重視されてこなかったことにとたんに注目が集まるようになると、それを〜〜的転回という。
たとえば19世紀末から20世紀前半にかけて、分析哲学ソシュール構造主義言語学、サピア=ウォーフ仮説などが現れ、20世紀終わりまで文系学問での言語の根本的重要性が主張されるようになった。これは言語論的転回linguistic turnという。高山宏は「言語狂い」と訳していた。また、70年代くらいから、おもにマルクス主義的社会理論や現象学的地理学によって、これまでの社会分析で空間や場所がいかに忘れ去られてきたか、それにもかかわらず深く現代に関わってきているのか、という主張がされるようになった。これは空間論的転回spacial turnという。
他にも色々あるが、最近面白いのを見つけた。Spectral Turnとかいうものである。これを言い出したのはR. LuckhurstのThe contemporary London Gothic and the limits of the 'spectral turn'(2002)という20ページの論文らしい。ベースにあるのはジャック・デリダの『マルクスの亡霊』(1994)とのことだが私はこれを読んでいないのでわからない。Spectreはスペクターで亡霊や幽霊、妖怪のことだ。マルクスの亡霊というのは、マルクスの『共産党宣言』にある「ヨーロッパに協賛主義という名の妖怪が徘徊してる」のことだが原語はゲシュペンストGespenst。ゲシュペンストもスペクターも、イメージ的には「正体不明の幽霊」という感じになる。

それで、去年のCultural Geographiesという人文地理学の学術雑誌の第3号が、この「亡霊論的転回」を参照した、「亡霊地理学」特集だったというのを見つけたわけです。まだ読んでいないけど、hauntingとか「不在の現前」とかがキーワードになっている模様。hauntingってどう訳せばいいんだろう? Hauntedは「幽霊の出没する」、つまりホーンテッドハウスのホーンテッドだけど、「ホーンティング」って「幽霊の出没」かぁ? 辞書引くと「固執する何か」って感じの意味にもなるし、そうしたら「幽霊の出没」よりは学問的な対象になるのかもしれないが……。寄稿している一人の社会学者ティム・エデンサーは近年、近代廃墟論についての論考を立て続けに出している。廃墟論といえば「伝統的な」(ピクチャレスクな、ピラネージの、etc.)ものばかりだった状況においてエデンサーは珍しく近代の産業廃墟を論じた人なのである(やや美学的に論じすぎている、という批判もあるが)。日本でも廃墟ブームが地道に続いているが、日本でいう廃墟とはおおむね近代廃墟であってヨーロッパ的な廃墟とは実はかなり様相が異なる。そういう意味でエデンサーは日本的廃墟を分析するのにも使えるかもしれない(まだ使っている人を見たことはないけど)。廃墟と亡霊の関係を論じた論文もあって、その関係からかCultural Geographies論文は廃墟論ではないようだけど。

とはいえ「亡霊論的転回」なんて日本で言ったら「何を今更」という話である。日本では30年か40年くらい前から亡霊やら妖怪やら怨霊やらによって文化や社会や歴史、政治などを分析するという視点はごく常識的なものとなっていた。
ただしそれは「亡霊」を字義通りに受け取った場合の話で、メタファーや新しい概念としての「亡霊」を使った研究や新たな展開、というのは、まだまだ試みられていないのかもしれない。

ところで地理学という分野からわかるように、おおよそ亡霊地理学は場所や景観、空間と亡霊との関係を分析しているようだ。これだって、柳田國男が(小松和彦らにずいぶん昔から批判されているが)妖怪は場所に現れる、と定義していることを知っている日本人にとってみれば「何を今更」といわざるを得ない……はずなのだが、たとえば妖怪を文学研究と並んでもっともまともに扱えるはずの民俗学において、そういう方向への関心はかなり低い! 小松和彦の『記憶する民俗社会』(2000)という「記憶」概念を使って民俗学をやる小さな論集があるのだが、このうち2つに直接的に「亡霊地理学」的な論文が入っているのが目に付く程度だ。文学畑では田中貴子百鬼夜行の都市』が場所(どちらかというと空間論的ではあるものの)と怪異の関係をすでに扱っている。

だれか亡霊論的転回で日本亡霊論をやってくれる人いませんかね〜。