ゴリラの発見 未確認動物論史序説
http://homepage3.nifty.com/Daiou3/NoEnter2.htmlに
1903年にオスカー・フォン・ベーリングがアフリカで最初の1頭を仕留め、
毛皮を持ちかえるまでは「架空の動物」と語り継がれてきた。たった100年前です。
とある。ゴリラの話である。
似た記述は多く、未確認動物・UMA徹底解析:発見されたUMAたちにも「近年[1902年]に発見されている動物」「かつで、未確認動物と呼ばれていた」「学者たちは信じていなかった」とある。飛鳥昭雄ワールド UMAには「ゴリラは20世紀初頭に捕獲されるまで、そんな大型類人猿などいるはずがないとされてきた」とある*1。
でも実は全部間違い。歴史的事実としては、動物としてのゴリラは欧米における動物園飼育でさえ19世紀後半には行われていたし、ゴリラ輸入ブームなるものが1870年ごろから1900年ごろにかけて存在していた(『世界動物発見史』による)。
ではどうしてこんな誤情報が出回っているのかというと、じっくり検索してこの手の情報をながめてみれば分かるとおり、20世紀初頭に発見されたのはマウンテンゴリラなのである。ローランドゴリラのほうは、もっと以前から知られていた。
裏づけもろくに取らずに「謎の巨大生物UMA」のような未確認動物サイトがこんなことを平気で書く理由はだいたい想像がつく。大型動物発見の年代が現代に近ければ近いほど「未確認動物が確認される」可能性を主張できる蓋然性が高くなる、と思っているからである(しかしながらこの2つの命題に論理的関係は認めがたい。そもそも因果関係がない)。だから無意識的に、あるいは意識的に古い事例を排除してしまう。
それに19世紀と20世紀では大違いだ。20世紀なら「20世紀になってようやく発見された」と言えるが19世紀だと「すでに19世紀には発見されていた」ですまされるからである。事実、「徹底解析」のページにある事例はゴリラを除くとすべて20世紀のもの(メガマウス1976、オカピ1901、コモドドラゴン1911、シーラカンス1938)。これには当時の博物学がからんでくるから詳細は後日の予定だが、ジャン=ジャック・バルロワが言っているとおり、「十九世紀は、動物学にとって偉大な時代であった。熱帯地方の哺乳類や鳥類、爬虫類、魚類などが、急速なテンポで記載されていったからである」。しかし「二〇世紀に入ってたしかにテンポはのろくなった」。博物学史的に言うならば19世紀の発見が取り沙汰されないのは、単に「発見」が日常茶飯事だったからである。
とはいえ20世紀の発見を強調する人がこうした博物学についての知識を持っていたとは思いにくい。疑うわけではないが、もしそうした方面の知識があるならゴリラのようなミスは犯さないだろうし、もう少し動物の発見という概念について深く考えることができるだろうから*2。
ここに一つの「未確認動物」概念についての問題がある。時間軸をなぞっていって、20世紀になってとたんに「未確認動物が確認された」と称する事例が出現するのはなぜか(ここで私が問題としているのは、現代の私たちがどう考えているかであって発見当時どういうふうに受け取られていたかは二の次である、というか次の問題である)*3
幻の動物たち―未知動物学への招待〈上〉 (ハヤカワ文庫NF)
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「謎の巨大生物UMA」はゴリラを発見前まで「怪物」だったとしている。以下、他のページでは「伝説の動物」「架空の動物」「学者たちは信じていなかった」&c. 20世紀初頭に見つかったと主張しているのだから、19世紀末までにはそのような概念が少なくとも欧米において存在していたということになる。しかし発見の時代だった19世紀、いくら末だとはいえ、伝聞による情報が「怪物」だとか「架空」だとかとしてしか受け取られなかったのだろうか?*4 具体的に言うと、本当にゴリラは怪物だと思われていたのだろうか、架空のでっちあげだと思われていたのだろうか。……ゴリラは19世紀半ばには知られていたから勘弁してあげるとして、ほかの動物……うまい例が思いつかないがたとえばオカピだとかコモドドラゴンだとかについてどのような言説が形成されていたのか。あるいはゴリラが本当に知られる前、Wikipediaによれば古代ギリシア時代には名前が知られていたとあるから古代から19世紀にゴリラが「発見」されるまで、ゴリラにはどのような言説が付きまとっていたのか。そして、ゴリラと「幻想動物」と「未確認動物」についての言説はどこが違うのか(本来この疑問がスタート地点だったのを忘れてしまいそうだ〜)。
この問題は、幻想動物の事典や似たようなサイトを運営している人たちにとっても大事なはずである。私たち(としておきますw)が扱っている動物につけている「幻想」とは何か「ファンタジーfantastic」とは何か「想像上のimaginary」とは何か「伝説上のlegendary」とはなにか……。私たちがそれらを「幻想だとか想像上のだとか思っていない人々がいた」と考えている以上、「はじめのとき」にはそんな概念が存在しなかったとするしかない。しかし古代から「そんな動物がいるとは思えない」といった類の著述家の書き込みがあることもまた事実である。でも、前回書いたように、現在の私たちの判断基準はあきらかに古代の著述家のそれと違っている。私たちは世界を知り尽くし、法則を知り尽くしているのだ。ただし、これとて「はじめのとき」からそうだったわけではない。「世界を知り尽くそうとする」「法則を知り尽くそうとする」時代があったに違いないのだ。前者はおそらく「驚異の部屋」の認識論を中心として、後者はたぶん「野生の思考」の科学論を中心として「未確認動物」論を展開することになると思う(ただ、後者については未確認動物から離れてしまいそうなので、たぶんやらない)。そして、そういう前提があるからこそ逆説的に「知られていない世界」という概念が存在できることになるのだ。
私が知りたいのは未確認動物がいるかいないかなどではない。未確認動物についての言説と、未確認動物についての言説についての言説について知りたいのである。
ちなみに、類人猿系UMAの考察についてはX51.ORG:イエティはヒグマに非ず――ヒマラヤ視察最終報告が最高に面白く、そして優れているものと思う。「謎の巨大生物UMA」の考察などこれにくらべれば……。
*1:実はWikipedia日本語版にも同様の記述があったのだが、以下のとおり、toroiaが勝手に直しておいた。余談ながら謎の巨大生物UMAは死ぬほどユーザビリティが悪い。私の大嫌いなウェブサイトのうちの一つである
*2:バルロワの『幻の動物たち』はそういう点について配慮した本当に数少ない良心的未確認動物解説書である[物足りないけど]。訳者のベカエール直美が他にビュフォン、ファーブル、ラマルクといった博物学関係の書物を翻訳しているのが示唆的だ
*3:ちなみに「現地では普通に知られた動物だったが、欧米では……」という問題はここでは考えないことにする(しかし重要な問題だ。未確認動物に興味のある人はじっくり考えてもいい)。
*4:次のような疑問も出てくるが、ここでは略。標本がないから? では標本があることによって「確認」(「記載」)されるという制度/手続きはいつごろ制定された? その制度以前、いったい何が「確認」の手段だった? あるいはこう言いかえてみよう。「確認」は何によって表象されていた?