絶滅という概念

まずは「絶滅」から行ってみよう。
ネッシーは絶滅した首長竜の生き残りだとか、ビッグフットは絶滅したギガントピテクスの生き残りだとか……でも、そもそも絶滅とはなんだろうか。
もちろんそんなこと、辞書やWikipediaをみればわかることだ。でも私が問題にしたいのは、この概念それ自体がどういう起源を持っているのか、ということなのだ。よくよく調べてみると、こいつはかなり新しい。

野生生物の保護というコラムでみたかときこさんが書いているように、

ここで、覚えておかなければいけないことは種の絶滅という概念を作り出したのは私たち人間自身なのだ。

現代でこそ珍しくなくなったものの、「種の絶滅」という現象は前近代においてほとんど人間のタイムスパンと比較にならないほどのんびりとしたものだったため、それを認知することは実質的に不可能だった。それに、最後の「目撃」から相当年数が経ったとして、それをおぼろげながら認識した人々が「その種が存在しなくなった」という見解に至ることはなかった。

結論から言うと、私たちが一般常識として考えている「絶滅」は世界が知り尽くされ、生物学と分類学、そして何よりも地質学が確立された後に誕生した、かなり近代的な概念なのだ。恐竜の大陸 ヨーロッパに少しだけ書かれているが、

18世紀、地球上から消え去った生物=絶滅した種の存在が初めて確認される。

なのである。

それでは、いったい人類(というか科学)はどのようにして絶滅という概念を思いついたのだろうか。
きっかけは化石だった。ヨーロッパでは、古くから無数のアンモナイトの化石が発掘され、またマンモスのような、当時のヨーロッパにはすでに存在していなかった巨大動物たちの骨も多く発見されていた。マンモスの全身骨格が発見されることはまれだから*1まだしも、アンモナイトはどう見てもオウムガイの仲間の巻貝っぽいわりにでかいし形はみたことないしで、こんな貝が地中に棲んでいるわけがないとしたら当然海の中にいるはずなのに、北海でも地中海でも太平洋でもバルト海でも北極海でも、一度も網にかかったことがなければ生々しい死体が打ち上げられたこともない。これはどういうことだろうか?
ただし一つ注意してもらいたいのは、そもそもルネサンスあたりまでは「化石」が死んだ動植物の成れの果てだという、今なら常識以前のなにものでもない認識が、決して共通理解ではなかったということである。今となっては信じる以前の問題だろうが、ネオ・プラトニズム的な万物照応の理論から「大地の戯れ」つまり地中にはもともと動植物など存在しないが、自然の摂理によって地上や海中にいるのと同じ形(アリストテレスのいうエイドス)が生成された、という説さえまかり通っていたのである*2
とはいえ、1720年までには大体の現在の認識に通ずるコンセンサスができあがっていた。それより100年以上前、初めて「失われた種」に肯定的に言及したのはベルナール・パリシーだった*3。彼は『感嘆すべき話』Discours admirables de la nature des eaux et fontaines, tant naturelles qu'artificielles, des métaux, des sels et salines, des terres, du feu et des émaux(パリ、1580)のなかで、彼がサントンジュで発掘した未知の魚と貝の化石は、人類の乱獲によって絶滅した種であるという仮説を立てていた。
ただしパリシーの説は一般的ではなかった。およそ1世紀後、ゴットフリート・ライプニッツは「絶滅」という仮説を否定している。ライプニッツの哲学では、神の創造されたこの世界は完全で規則的で秩序立っていて、普遍・不変のものだった*4。地質学的著作『プロトガイア』Protogaeaにおいてもライプニッツは、アンモナイトが「失われた種」であるという考えを否定していた。おそらくこの巻貝は深海かインド洋のどこかに今でも棲んでいるはずなのである*5
チューリヒの医師ヨーハン・ヤーコプ・ショイヒツァーも『神聖自然学』Physica sacra(ウルム、1730-35)において同様に、世界のはじめに創造された生き物はすべて現存しており(絶滅の否定)、創造されなかった生き物は今でも存在しない(新種の否定)と主張した。このような考えが18世紀は一般的だったのである。
大洋を渡った北米大陸でも状況は似たようなものだった。トマス・ジェファーソン

自然の性質というのは、それがどんな動物種の一つでも絶滅させる(extinct)ことを許すことがあったり、その偉大なる作品の中に壊れてしまうような弱弱しい連環を造り出すなどということは一つだってないのだ。*6

と考えていた。
しかし、ベンジャミン・フランクリンは1767年ロンドンにいたとき、オハイオで発掘されたゾウに似た古代生物の化石について頭を悩ませていた。アメリカではなく暑い地方に住むゾウの化石が見つかったということは、オハイオの気候は過去アフリカやインドに近く、気候変動があったせいでこの動物種が失われたからではないだろうか? しかし結論はとあるフランスの大博物学者に委ねられた。
ところでジェファーソンが上の文章を書いたのは、博物学者ビュフォンのヨーロッパ中心主義的な動物学に反論する一環としてのものだった。ビュフォンによればヨーロッパこそがあらゆる大型動物にとっての故地であり、均整の取れた環境はヨーロッパにのみ存在する、と考えていた。北米大陸の先住民が小さいのも動物種に小さいのしか発見されないのは、この大陸が小さくてひ弱な動物を育てるしかない環境だからなのである。当時最大の権威だったビュフォンに愛国者ジェファーソンが反感を抱いたのも無理はない。しかしフランクリンが結論を委ねた博物学者もまた、ビュフォンその人だったのである。
議論の推移についてはクローディーヌ・コーエン『マンモスの運命』を見てもらうこととして、ビュフォンのほうは絶滅の概念を受け入れていた。『地球の理論』でビュフォンは、ヨーロッパで多数発掘されていたアンモナイトや未知の貝類は絶滅した海生動物であると主張しているのである。しかし彼にとって絶滅した陸棲動物は後にも先にも一種だけ、「オハイオの巨大動物」つまりマンモスだけだった。のちにビュフォン自然学の総決算となる『自然の諸時期』Les Epoques la Nature(1778)においても、彼は

したがってわたしはこのきわめて大きな動物種は失われてしまったと、確かな根拠をもって表明することができると考える*7

と言っている。ただし『自然誌』14巻などでは、こうした現象は「退化」であって、種の「内的鋳型」は別の形態で存続する、とも主張していた*8

フランス革命と科学制度の変革をはさみ、フランスのジョルジュ・キュヴィエとドイツのヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバハは明確に絶滅という事実を承認していた。キュヴィエは『数種の現生ゾウと化石ゾウについての論考』Mémoire sur les Espèces d'Eléphans, tant vivantes que fossiles(1796)で、「ロシアのマンモス」は「失われたゾウの種」であると宣言している。彼はこう言う。

南北アメリカの地中でその骨が発見される、巨大なマストドンや途方もない大きさのメガテリウムが、現在もその大陸に生存しているなどとどうして考えられようか。*9

大航海時代までと違って、もはや自然学者にとって世界は全て知り尽くされたも同然だったのである。だから、現在(キュヴィエの時代)生存が確認されていない動物は、絶滅したと考えるほかない。ここに「未確認動物」概念の重要な契機がかくされているが、それはまた別の機会に書くことにする。
ブルーメンバハは化石を『自然誌便覧』Handbuch für Naturgeschichte(第6版1799年)において考察し、現在の自然界に知られていない動物については、それが絶滅したものだと考えていた。しかし1779年にはすでに「激変によって滅ぼされた世界があり、そこには絶滅した動物がいて、それが化石として発見されている」というアイデアを持っていた。

というわけで、19世紀前半にはほぼ「絶滅」という事実は受け入れられていたようだ。次なる古生物学の問題として「古人類」そして「進化論」が表舞台に登場することになるが、未確認動物から離れすぎてしまいそうなので、省略する。

おおよそこんな感じの流れになる。上では書き漏らしていたことも入れておく

  • 18世紀前半まで、自然学はキリスト教神学の支配下にあった=生物種は絶滅しない
  • シベリアやアメリカからもたらされたマンモスの化石が状況を変えた=こいつはなんだ?
  • 同時に、世界の隅々まで知見が行き渡ったとされたことにより、マンモスが現存しない説が有力に
  • 18世紀後半〜19世紀前半、ビュフォン、キュヴィエ、ブルーメンバハら博物学者が「絶滅」をはっきりと主張する
  • しかし絶滅の原因についてはキュヴィエらはノアの大洪水的な考えを持っていた

未確認動物の支持者なら、特に上から3つ目に反感を持つと思う。世界にはまだ未知なる場所がある!って。そう、そこなのだ。そこに未確認動物という概念が生まれるスキがある……はずなのである。

続く。


主にこの本を参考にしました

マンモスの運命―化石ゾウが語る古生物学の歴史

マンモスの運命―化石ゾウが語る古生物学の歴史

中国学・地質学・普遍学 (ライプニッツ著作集)

中国学・地質学・普遍学 (ライプニッツ著作集)

*1:シベリアでは全身骨格どころか全身生身が発見されてますけど

*2:海中にも人間や陸棲動物がそのままの姿で存在するという考え方はコンラート・ゲスナーバロック時代の博物学者にも受け継がれている。だいたい海棲動物の英名がseaなんたらの場合、大抵はこの考えがベースにあったのである

*3:パリシーは陶芸家、造園家、自然哲学者。松岡正剛の千夜千冊『ルネサンス博物問答』ベルナール・パリシー参照。

*4:「それだから、神が世界をどんなふうに創造したとしても、世界は常に規則的であり、一定の一般的秩序にかなっていると言える。しかし神は、このうえなく完全な世界、すなわち仮説においてはもっとも単純であるが、現象においてはもっとも豊かな世界を選んだ」
形而上学叙説』6〜清水富雄・飯塚勝久訳1969『世界の名著25 スピノザライプニッツ』p. 382。
「だから宇宙には、荒廃のたたずまいも、不毛のしるしも、死の影もまったくない。混沌も混乱もない」
モナドジー』69節、清水富雄・竹田篤司訳、同上、p. 455も関係するかも

*5:こういう希望的観測、UMAファンにも多い

*6:原文 Such is the oeconomy of nature, that no instance can be produced of her having permitted any one race of her animals to become extinct; of her having formed any link in her great work so weak as to be broken. Notes on the State of Virginia, Query VI(『ヴァージニア覚書』)より

*7:クローディーヌ・コーエン、菅谷暁訳『マンモスの運命』p. 141-42より

*8:コーエン、p. 282

*9:コーエン、p. 161