打ち上げられたムカデについて

中国の『続博物誌』によれば、李勉が洴州にいたところ妙な骨を一つ手に入れたので硯としたが、それは南海にいたとき海の商人からもらったもので、これはその人によれば「ムカデの背骨」だったといいます。また『隋書』には「カンボジアには浮胡魚があり、その形は䱉に似てくちばしはオウムのようで8本脚がある」とあり、『類函』四四九は『紀聞集』を引いて天保四載広州海潮に因ってムカデを淹し殺す、その爪を割きて肉120斤を得る、ともある・・・以上のようなことを南方熊楠が書いています。
というわけでここは「その怪物は、安南人たちに"ムカデ"と呼ばれていたことも、忘れてはならない」というバルロワの指摘を思い出して見ます。熊楠の引く例がいずれも中国南部から東南アジアにかけての地理的範囲にあてはまることからも、この安南のムカデ(バルロワやユーヴェルマンの推測による、艦船の目撃した怪物との同一視は採用せず)がこれらの記録と同じような存在を記述したものであることをうかがわせます。

そこで以前紹介した熊楠のイラストを再掲。
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・・・と、このように単なるサメの打ち上げられた死骸がなんでこんな未知の怪物の目撃証言になってしまうのか、というのが今も昔も変わらず未知動物学者たちを悩ませる人間のあいまいな性格なのですが、これだけは治しようがありません。

熊楠は「ムカデ」の脚をクジラの肋骨のこと、ムカデのような体節の多さは脊椎の多さだ、だと推定しています。
なるほど納得。反論のしようがないです。南シナ海ってどれくらいクジラがいるんでしょう? もし日本ほどクジラ漁が盛んでないとしたら、滅多に完全な身体を見ることのできないクジラについて、漂流し流れ着いた、肋骨むき出しの腐敗した死体だけをみてムカデのような動物だと判断しても不思議ではありません(それに、そういう死体をみて記録する人の多くが漁業に従事しているわけではない、必ずしも沿岸に住んでいるわけではない、ということにも注意)。となると安南のムカデもクジラの単なる死骸と結論付けて問題はなさそうです。