江戸時代のダラーカ

タイモン・スクリーチの『大江戸異人往来』というのが新刊の棚にあった。スクリーチの本はどれも面白そうなのだが、江戸の都市文化に妙に疎く、それに最近の「江戸ブーム」とか「江戸検定」とかに天邪鬼に反応してしまう身としては、あまり読もうという気になれなかった。しかもスクリーチの主著と思しき『大江戸視覚革命』(1998)など値段が5040円! 約600ページにして厚さ4.6cmなのだから相応ではあるが、高い。図書館で借りればいいと言う人もいるだろうけど、分厚いからバッグに入れづらく、持ち運ぶのも重いから借りる気になれない(こんなことを書いたら本読むのが好きな人に愛想つかれそうだけど……)。なにより妖怪・幻獣についての本ではない。

大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)

大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)

もちろん江戸の妖怪本は多分たくさんある。ここ数年だと香川雅信『江戸の妖怪革命』(2005)が出色だった。このタイトル、確実にスクリーチ本を意識している。それによく考えれば妖怪の宝庫『和漢三才図会』も江戸時代の著作だったし平田篤胤の霊界論天狗考もそう。なによりも『絵本百物語』『画図百鬼夜行』があった! また高田衛が編纂した岩波文庫の『江戸怪談集』全3巻もある。
そんななかでもスクリーチ本は訳者の高山宏が(彼のことを知っている人には簡単に想像できるだろうけど)言うとおり、ヴィジュアルに徹底的にこだわり、かといって単に絵画紹介に陥るようなありがちの内容ではなく、ミシェル・フーコー以降の「表象」論をふまえた一流の書になりおおせているのがユニークであろう。私がこの『大江戸異人往来』を思わず買ってしまったのもその点に惹かれたからで(最近のマイブームです・・・)、たとえば「異人」といえば江戸時代は依然として西洋でいう中世レベルであって、一つ目人種とか無腕民などの存在を疑わなかった。そのなかに穿胸国という地域があり、これは漢代以前の成立である『山海経』にも貫胸国として掲載のある由緒正しい幻想民族なのだが、それをこう読み解く。「彼らには、人間的であるものすべての象徴たる『心』が欠けているわけだ」(p.26)。そして穿胸の人々が「異」の極北にいるとすれば、それと日本人とのあいだにいる、いわゆる一般的なイメージとしての「異人」はどうなる? という話題に進む。また、17世紀博物学者ヤン・ヨンストンのイラストが18世紀江戸の人魚にたどりつく。元ねたのヨーロッパ人が書いた人魚と日本人の書いた人魚が並べられているのがなんといっても面白い。このブログでもゲスナーと『古今図書集成』を比較するということをやってみたが、さすがにこのようなヨーロッパ文献の渉猟はヨーロッパ人に一利、というか多利がある。洋の東西比較を日本側でまともにしてきたのは荒俣宏くらいだろうか。スクリーチや高山の指摘するように、江戸時代は決して鎖国の時代などではなく、平戸などの狭い門戸を通じてなお欧米アジアアフリカとの交渉が濃密に行なわれてきたということを考えるならば、こうした比較はもっと知名度が上がってしかるべきだろう、と思う。そういえば昨年だったか国立科学博物館で行なわれた妖怪関係の特別展で、プリニウスだったかゲスナーの和語訳が紹介されていた。江戸時代のだったと思うが、ちょうど上記『古今図書集成』のように奇妙な「東西の邂逅画」になっていて興味津々。でも詳細はネットで検索してもヒットせず、今は展覧会図録がどこかに行ってしまい、途方にくれているところ。
そのほかにも、江戸の人々は仔細に異人たちの身体を観察していたのだなあとか、そのくせ妙なところが面白いとか、食事に使うナイフの話がいつのまにか解剖のメスにシフトしているところなど、記述自体も面白い。挿図もいちいち考えさせられる。日本の解剖図は一言でいうとグロい。ヨーロッパの生きているかのような芸術的解剖図とは大違いである(でも、よく考えたらヨーロッパのほうが不自然だ)。解剖図については荒俣宏が(ヨーロッパ中心だけど)『アラマタ図像館2』でたっぷり紹介・解説しているので興味ある人はどうぞ。
さて、少し前に「dragonを龍と翻訳したのはいつ、どこでだろうか」という疑問を書いたのだが、オランダ語のdraakが日本にそのまま入ってきていたのは知らなかった。スクリーチの『大江戸視覚革命』をパラパラめくっていて気づき、驚いたことである。でも書いたように『大江戸視覚革命』が私のデスクまで来るという可能性はゼロなわけなので、スクリーチの詳細な比較(内外および国内相互も)や記述を紹介するのはあきらめる。でも杉内つとむの『江戸の博物学者たち』(2006)にも少し載っていたから転載し、興味を持った人は図書館へどうぞ、ということにしておこう。
江戸の博物学者たち (講談社学術文庫)

江戸の博物学者たち (講談社学術文庫)

森島中良の『紅毛雑話』(1787)に紹介されている話で、「龍の薬水漬」というのがあり、トゥーンベリというヨーロッパ人が「龍の子の薬水に浸したる」を送ってきた、左右の肉翼はコウモリの翼そっくりで、四肢はサンショウウオに似て、全体的にはたとえようがない、ヨンストンの書に見える「ダラーカ」がこれに似ているが二本足だ、と書いている(p. 220-21)。杉内は的確に「ダラーカ」がオランダ語のdraakであると見抜いた。
↓竜の子。携帯カメラでとったから画質悪いです。