モリガンと世界祖語

ずっと昔から栗原成郎『吸血鬼伝説』の132ページ「スラヴ語夢魔名称一覧」の下のほうに「古代イラン語 mor-igain(夢魔王)」というのがあって気になっていた。一応「幻想動物の事典」にも入れているけど、出典がわからない。それどころか、そのまま読むとモリガンであってケルトの妖精の名前だ。

話は変わって、インド・ヨーロッパ語族アフロ・アジア語族やユト・アステカ語族など世界中には語族と呼べるものもたくさんあるが日本語や韓国語、バスク語のように似ている言語がさっぱり存在しない言語もある。どんなのがあるかについてはEthnologue language family indexに比較的受け入れられている分類がなされているので見てみたらいいと思う。語族とはいえないが「手話」も百以上に分かれている。なかには、代々難聴の家系があり、その家系でのみ使われている手話、なんてのもあるらしい。
人類はアフリカのどこかで誕生してそこから世界中に拡散して言ったのだから、言語が人類の必要条件であると仮定するならば、人類誕生時は言語はひとつしかなかったはずである。そしてそれがおそらく拡散の過程で分岐していったはずなのである。となると、逆算さえすれば唯一の言語、なづけて「世界祖語」が推測できるはずなのである。
でも、言語は数千年もたっているとそれだけで以前共通だった言語とまったく違ってきてしまう。それに世界中の言語のうち、たかだか1000年遡れるのさえ全体からしてみるとほんのわずかでしかない。だからほとんどの言語学者は「世界祖語」を追い求めようとしない。それに系統樹で解決できる問題ではないともいう。そもそも系統樹の理想は生物種の系統樹である。どんどん分岐していって、絶滅したら断絶、ふたたび線が交わることはない。でもいまなお世界中にはクレオールという言語が多く誕生しつつあるが、これは生物種でいったらゾウとヒマワリのあいの子ができるようなもんで系統樹思考ではありえない。これはかなり強力な批判だ。
でも、それでもなお、複雑系で有名なサンタフェ研究所と共同で国際的に世界祖語を見つけようとするプロジェクトがあって、Evolution of Human Languagesがそれ。で、このページ。覚えている方がいるかもしれないが、以前も紹介したアルタイ語源辞書があるウェブサイトなのだ。気づかなかったよ。
で、どんなイメージかというと、こんなかんじらしい。



まあ、なんか本当にこんなにすっきりわけられたらすごく魅力的なんですが、どうなんでしょう。たとえば日本語は、まず祖語"Borean"があって、そこからすぐにノストラティック超語族へ分岐。ノストラがユーラシア語族とアフロアジア語族に分岐するのがだいたい1万2千年前(数字はたぶんthousandが単位)。それからカルトヴェリ語族、印欧語族ウラル語族、先シベリア語族へと分岐し、だいたい8000年前くらいに先シベリア語族と同時にアルタイ語族が分岐。そのアルタイ語族のなかに日本語があるという感じ、らしいです。

……話がだいぶそれてしまった。

で、いちばん遊べるのが語源事典データベースのページ。いろいろありすぎて迷う。すごく面白いのだが、いつの日か紹介することにして、冒頭に戻る。
Databese query to Indo-European etymologyで、Meaningのところにspiritと入れてみてください。そのままEnter押してみてください。
次のような表示が出るはずです。

Proto-IE: *mor-(推定される印欧祖語)
Meaning: feminine malicious spirit(意味:女性の有害な精霊)
Slavic: *morā(推定されるスラヴ祖語)
Germanic: *mar-ō(n-) f.(推定されるゲルマン祖語:リンク先に各ゲルマン語における形態あり)
Celtic: OIr mor-(r)īgain `lamia', eig. "Alpkönigin" (mōrrīgain angelehnt an mōr `gross')

で、最後の行に注目。ドイツ語解説になってるのはたぶん引用元がポコルニーの印欧語源辞典Indogermanisches etymologisches Wörterbuchだからじゃないかと思いますが、それはどうでもいい。

OIr mor-(r)īgain

OIrはここで常識的に考えるとOld Irishつまり古期アイルランド語のはずです。でもこれは、"Celtic"となくて、さらにモルガンの名前を聞いたことがなかったら、Old Iranianつまり古代イラン語の略だとも思えてしまうわけです! その後のドイツ語の説明Alpkönigin「妖精の女王」も、アルプが夢魔であるという伝承をおさえていれば「夢魔王」と訳してしまう可能性も高い。

なるほどそういうわけだったんだ……と、独り納得。



それにしてもこのデータベース、すごく楽しく、そしてすごく怪しいです。中国語とカフカス諸語を同一語族としてあつかってるし……。