片目片脚、いくつかの仮説について。中国起源の多田克己説。

谷川・柳田説(現実反映説)に批判的な人にはたとえば『幻想世界の住人たちIV』の著者でもある多田克己さんがいて、多田さんは「河童と山童について」などで一本足は須らく中国南部起源だ、ということを云っていました(前書きに「以前の考えもある」とあったので、過去形)。また「キ」では、ほとんど夔一元論に近い説を唱えてました(夔の原型が竜であるという説は、ちょっと不確実です。白川静貝塚茂樹によればサルが原型)。
でも、妖怪ではなく日本の山の神に片目片足が多いという事実があり、では中国南部の山の神は片目かというとそうでもなく、当然夔は隻眼ではないわけで、単なる一本足です(隻眼の特徴も加わるのは、明らかに後世の話)。うーん。

ここで一言。私情ですが、私があまり好みでないのは、「奇妙な姿の神や妖怪は現実を(直接)反映した説」と「妖怪は神の零落説」です。好みでないのであって、決してこの二つに論理的に欠陥があるとか、実証性がないとかいうつもりはないし、その通り、納得せざるをえない主張のほうが多い。
むしろ「そうあってほしくない」という願望が強いのです。後者については、「人間の周りの超自然的存在がすべて祀られる対象であった神という世界はとても面白くない。もともと人間に無関心だったり、敵対的な存在が先史時代の人々の心象世界に存在しないはずはない! 妖怪は昔から妖怪だったんだ!」という願望。前者については「人間はそんな勘違い程度で奇妙な姿の神を想像できるだろうか? 想像された神がそんなに豊富な属性を持っているものだろうか? むしろ、概念が具象化されたときに現実の対応物に似せたのではないか?」という疑問。

かなり変な考えですよね・・・でもそう思いたい。