かしまさん。その2

WEB ARCHIVEにキャッシュがあったので、奇談が生きていたときは何となく(話が気持ち悪いので避けてたけど勇気を出して)読んでみる。なるほど。たしかに巷間の噂にしく、、、「これ以上やっているところはないくらい」調べているのは確かなようです。
で、結論はまぁ出てなかったりするようですが(閉鎖直前はどうなってたんだろう?)、少し気になったところがあったので・・・。
かしまレポート:第十回。第十回は、キャッシュに残っている最後の「レポート」です。その結論部分。これは最初期の「かしまさん」事例(1972年の新聞記事)を紹介したものなのですが、それについて

また、他に面白い点としては、かしまさんの描写がこまごまとした細部にまで行き渡っていることがあげられる。[......]物語の細部というものは、口伝えによって徐々に抜け落ち、語るに適したサイズにおさまっていくものなのだ。しかし、そうなると逆説的に、これだけの細部を内包する糸魚川のかしまさんは、まだ口承の洗礼をあまり受けていないと考えられないだろうか。
とあります。これは違いますよね(ついでに「逆説的」の使い方、おかしいです)。都市伝説についての分析で「ディティールが増える」「話に尾ひれが付く」なんてのは実に一般的な現象でして、たとえば奇談ページに「来迎」なるポストモダ〜ンな文章を投稿しておられる青山葵さんもこう述べてます。
子供の頃に聞いた、バカにあっさりした「かしまさん」とこのゴッテリと物語性豊かな「完成形かしまさん」との間にあるミッシングリンクを皆さんからのアンケートで埋めてしまおうというのが、もともとのキッカケでした。(34.かしまさんとジェンダー論
問題は新聞記事にある「子供たちの話を総合すると」でしょう。つまり多くのバリエーションを一まとめにした、あまり口承の収集方法としてはよろしくない書き方をしてるわけですな。バリエーションがあるということは直接的な情報源も複数あるというわけで。あるいは段階的に、時差をもって伝えられてきたのかもしれませんが。