竜とドラゴンについての本
架空の書店の本棚をざっと眺めてみるに、竜についての解説書は、個別の地域ごとの本よりも、もっと広い地域、たとえばアジアだとかユーラシア大陸だとか、をまとめて論じた本のほうが多いように思われる。
そのような本のなかには二種類あって、一つは一人で書いたもの、二つ目は何人かで書いたもの、である。
ただし、一人で世界の竜のことを書いた本(単純な紹介本以外)を見ると、目の前にある膨大な資料の山に埋もれてしまい、すべて読みこなすこともできないまま、なんとかうまく一冊の本という体裁にしようとして仮説を立てた挙句自爆するものがほとんどである。
とかく総論、概論に筆を走らせがちになる。それぞれの具体的な原典を読み込むよりも先に、文化理論やすでに存在する概説、文明論などのほうを構造として頭の中に構築してしまう。たとえば西洋のドラゴンは悪であり、東洋の龍は善である、というような文明論に埋没してしまうものは最悪だ。事例は豊富である。マハーバーラタのナーガラージャがだめなら道教の竜王、日本の竜神、お望みならチベット密教でもいいしモンゴルの民間信仰でもよろしい。北東アジア、モンゴル、朝鮮、タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシアからお好みの竜についての事例を持ってくるにしくはない。アンギムの怪物たちは大歓迎、エジプトとヌビアのコブラ信仰、アルメニア?アラビア?テュルク?そんなマイナーな地域は知らぬ、北欧でもイングランドでもフランスでもキリスト教でも喜んでお受け致す。もちろん原典に地道に当たる語学力もなければ暇もないから、各地域の宗教解説書などを斜め読みである。専門家が書いたものでなくたっていい。
そんなこんなだから、ティアマトを未だにドラゴンとするような言説がはびこる。固有名詞の表記がおかしかったり文献学的な知識にずれがあったりするのは、確かに竜やドラゴンの問題については本質的ではないのかもしれない。でも、それはときに大きな過ちに繋がるのである。「北欧のサガにはジークフリート伝説がある」という記述を指摘するのは重箱の隅ではない。本人が原典に敬意を払い、直接調査しているかどうかの問題である。もちろん、北東アジアやアルメニアなど、言語の問題で孫引きが許されることも多いし、私がこんなことを言うほどの立場にいないと言うこともわかっている。しかしそれを差し引いた上でも、『エヌマ・エリシュ』や『サガ』『ニーベルンゲンの歌』の優れた日本語訳は近所の図書館に行けばすぐに手に入るのだ。もし世界の竜とドラゴンについて書きたいと思う馬鹿がいるなら、まずは可能な限り原典や原典の日本語訳(または、自分の読める言語でもいい)、そして原典の言語についてのインターネット上の資料(オンライン辞書と簡単な発音講座ページがあれば最適)、文字表記についての知識を得るべきなのである。
図像学的な方向に興味が向いている場合は、さほど悲惨な結果にならずにすむらしい。そのような本をいくつか見てきた。たぶん、著者のイデオロギーが鼻に付かず、図像的資料が視覚的に訴えるところ大だからなのだろう。まぁ、こうしたアプローチだと民間説話や信仰と結びつけることが難しいのだが。また、ある一側面だけを意図的にクローズアップしたものも、よいものが多いように見える(たとえば「悪の象徴としてのドラゴン」みたいな感じ)。たぶん、竜の本質はこれだ!とか銘打つ論は必ずその本質を起源に還元させ、そこからすべて(といっても都合のよい事例だけである)を演繹しようとするが、それがないからだろう。
普通の神格や英雄たちと違い、固定されたテキストや階級、政治権力といった上部階層とあまり密接なかかわりを持たなかったが故に文字記録が残されない民間にまで伝わり、時代によって非常に柔軟な変化を遂げ、しかも現実の動物と混同されることも多かった竜とドラゴンについての資料は、どうしても非常に複雑で多様なものにならざるを得ない。だからといって目を背けることほど無意味なことはない。それでも金を稼ぐことはできるだろうけどね。
だから、個別地域の専門家が竜について書いた論文を集めたものが、世界の竜について書かれた本のなかでは唯一推薦できる。