狼男はLycanthropy、犬神憑きは
犬神憑きは英語でCynanthropyというらしい(私 家 版 ・精 神 医 学 用 語 辞 典の犬神憑きより)。『精神医学』とかいう雑誌で日本の憑き物事例を特集しているといたのも興味深い。精神医学という立場から社会病理※としての妖怪を考えるのもまたありかと思います。
※昔も今もかわらないこととして、妖怪や都市伝説というものを「病理」とか「人間の闇」とか「裏の世界」とかいうアンダーグラウンドっぽい言葉でくくって、サブカル系の本棚に妖怪本んを置いて客寄せをする人たちがいます。でもそれって、旧来の人類学……さらに現代にまで伸ばすなら『オリエンタリズム』・ポストコロニアル以前の人類学が「未開」の民族たち、「土俗」の文化を「白人」「先進国」の視点から好奇の眼で眺めて手を叩いて喜び、また、「西洋文化(ちなみに日本も含みますよ、当然)」の軛から解き放たれた環境に自分(人類学者)がいることに自惚れている状況(「西洋」はあーだこーだ、「西洋かぶれの日本は」「ヨーロッパは」と、自分がその立場にいないと思い込んでいるから批判できるわけだ)とほとんど何らかわりませんよね(でも、本当に問題になるのは「上位からの差別」を批判することではありません。なぜなら、結局そこには「われわれ」と「彼ら」の二分法が、旧来の二分法の形式そのままで行われているからです※※)。「闇の世界」を好奇の目で見つめ、そしてそれに自分が関与していること自体に「表の世界」の人間との差異化を見出し、「裏」を知らない人間と自分たちを階層化する。そしてまた、自分は本来は「表」の人間ではなく、そのどちらの立場も知る人間であるという自惚れから、「闇」と自分たちとの差異化もおこなって、上位に立とうとする。そうではなく、そういう「病理」なるものを社会システムの現象群としてとらえ、社会システムの形態※※※との関連を考えることが、今の素人妖怪学に必要なのではないかと思います。
※※妖怪マニアの状況についてはこれぐらいでいいと思うけど(妖怪現象は人類学者にはなれないから)、そういった状況への批判をさらに考えるくだり(よくわかりにくいですが、そういうことを言ってるつもり)についてはいつか日を改めてまじめに書いてみたい。要するに、自分の思考カテゴリが何によって誰のために作り出されたかをまず問うべきだ、ということです。とはいえ、私たちは私たちが批判するカテゴリによって生かされているんだから、それから逃れられるすべはありません。ま、そのときはこのblogのテーマじゃないからここには書かないけど。
※※※最近自分の思考方法を見事要約している言葉があったのですが、それは物事を「言語的」「形態的」「現象的」の3つの側面に分けて考えるということ。ああなるほど、と思いました。「恒常的」「静的」「動的」とも言い換えられますね。
ただ、Webster online dictionaryのCynanthropyによると、自分が犬のようになって犬のまねをする、という、どちらかというと人狼系の現象のことを言うようです。適切な訳語というわけではないですね。