誰がために記事を書く

Wikipediaについて大きな勘違いをしていたことに気付く。Wikipediaとは、誰でも自由に参加することのできる……だけでなく、いつでも参加することのできるウェブサイトだったのだ。
そもそも私が書いた前のエントリにおける妖怪関係の記事とギリシア神話関係の記事に対する称賛と批判は、実は、Wikipediaの個々のページの履歴を見れば明らかなとおり、逃亡者さんと月下薄氷さんに対するものだった。こうした称賛・批判は、Wikipediaの各記事を、自分が書けると思う人が分担して執筆している、という事実を前提にしている。でもこれって、実は普通の紙の百科事典とかわらない。何が言いたいかというと、将来的に逃亡者さんの書いた妖怪関係の記事が変な人によってぐちゃぐちゃにされることも十分あるだろうし、月下薄氷さんの書いたデータに学術的考察を加える人が現れても不思議ではない、というわけである。この可能性は、Wikipediaが存続すればするほど、高くなる。そして、前者(悪化する可能性)はともかくとして、月下薄氷さんは、この点について、おそらく認識しているのではないだろうか。逆に言えば、だからこそ自分のできるかぎりのことを(つまり古典文献に分散している人物情報の編集を)しているのだろう。
逆に、何か勘違いしていた私のような人間は(ほかに思い当たるWikipediaアカウントもいくつかあるのだが伏せておきますw)、とにかく自分が一通り記事を「完成」させることをもくろむだけでなく、おそらく単にWikipediaがかなり有名なウェブサイトで検索しても上位に来るという事実をもって、ある意味で記事を書くことによって自己主張をしようと思っていたらしいのだ。しょせん素人でしかない私のような人間が何か「ふう、書いたぜ」と記事を上梓したところで、Wikipediaが存在するかぎり、ホンモノの執筆者にひっくり返される、というか根本から書き改められる可能性はなくならないのにもかかわらず。
真面目な話、私がWikipediaに書いていたのは、一つにはフォーマットを考える必要がなく、情報だけを注ぎ込めばいいラクチンさがあり、更新もでき、ケアレスミスは他人が直してくれるし、そして何よりも、Wikipediaに書いたからには検索でくる多くの人がまず私の書いた情報を見るだろう、という、自己中爆発めいた妄想があったから……なのだ。
因果関係はわからないが、Wikipediaと相前後するように個人ウェブサイト(とくに情報系)が減ってきたというか、少なくとも活気が失せてきた、というのは事実だと思う。その中の少なくとも一部は、私のような考えを持ってWikipediaに活動の場を移したから……のような気がする。
でもWikipediaに入り浸っていると気づかなくなってしまうが、Wikipediaの記事執筆のクレジットを認識してくれるのは、実は同じくWikipediaに参加している人だけなのだ。いつしかWikipedia内での評判や競争を気にしてしまうあまり、Wikipedia知名度に反して自分のクレジットがWikipediaの裏の部分に隠れてしまう(そして、それをよしとする執筆者も多いし、私も悪いとは思わない)。
要するに私のような人間はWikipediaに参加しても得るものは多くないのだから、たとえ歩みが遅くとも自分が現状のWikipediaをよりよくできると思っているかぎり(そして多少なりとも功名心があるかぎり)、個人ウェブサイトに集中すべきなのである。そしてWikipediaのコンテンツに対する批判は、案外はやく無効になってしまうのだから、それこそWikipediaに参加することによって消費すべきなのだ。