ヘカテの別称、検索の様式

あるひとつの情報を求めて複数の人が競合するというのはときどきある。当事者にしてみると、早く正確な情報を得られたほうが価値があるというものだが、「他の人がどのように情報を得ようとしたか」を知ることができる機会があればもっと興味深いことにもなる。

というわけで2ちゃんねる民俗神話学板の質問スレに以下の書き込みが。

95 :天之御名無主:2008/02/16(土) 20:18:12
すいません、ギリシア神話の女神ヘカテについてなんですが、
ヘカテの別名ボルボの由来やそれについて記述された書籍をどなたかご存じないでしょうか?
私はメガテンで見たのと、新紀元社の本(truth in fantasy『ヴァンパイア-吸血鬼伝説の系譜-』)で
わずかに確認出来たのみなのでもう少し詳しい由来や意味等が知りたいです。
wikiヘカテーの項ではその記述が出典不明ということで削除されてしまったのでどうにも気になって仕方がないのです。

96 :天之御名無主:2008/02/16(土) 21:47:18
『ヴァンパイア』にも「ボンボー」って書いてるだけだけど?

98 :95:2008/02/16(土) 23:24:55
> >96
そうなんですよ。そこだとボンボー(ボルボ)の意味、由来等については触れてなくて
ただボンボーがヘカテの別名だということ位しか判らないんですよね。

ボンボー。Wikipediaヘカテー」の履歴を見てみるとこの版で「ボルボ(volvo)ともいう」という記述が削除されていた。
私はこのやりとりをみてさらっとネット検索し、こんなふうに書き込んだ。

101 :天之御名無主:2008/02/17(日) 01:20:23
> >98
ヒッポリュトスの『全異端駁論』4.35に引用されている祈祷文みたいなののなかにボンボ(Bombo)というのがある。
たぶんそれのことかと。

英訳↓
http://www.geocities.com/astrologysources/roman/philosophumena/index.htm#P770_193519
>Infernal, and earthy, and supernal Bombo, come!

ヒッポリュトスについて↓
http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/detail.reference?id=1000029698

すると、以下の書き込みが。

103 :天之御名無主:2008/02/17(日) 01:50:14
> >95,98
ギリシア・ローマの範囲でちょっと調べてみたけど、いまのところ結論は出なかった。
その本のボルボ(ボンボー)って語が出てる前後の文章があれば、もう少しヒントが出るかもね。
あと、ヘカテーキリスト教化後のヨーロッパで民間信仰・習俗と習合して
魔術や魔女やお化けの親玉みたいに目されてたので、
文脈や時代によってはギリシアの女神とは切り離して考えた方が簡単なこともあります。
今回はそのケースっぽい気がする。

調べたこととか考えたことはこんな↓感じなので、参考になれば。
・手持ちの事典では、ヘカテーの添え名や形容にでてこない。あれ?
ボルボの綴りはvolvoらしい。(車屋と関係あるのかな)
・それならギリシア語じゃないよね。
 ラテン語volvo-は「回転する、巻く」みたいな意味。
ヘカテーは三相一体の女神→三人一組の糸巻き女神モイラを連想。
 錘を持つヘカテ、なんてあったっけなあ…?
・誤植でポルポとかだったりして。PhとかPの項も見るけど空振り。

すでに大方の情報は私が書き込んでしまったあとなのに、それに気づかず自分の苦労譚を(もはや無意味に)書き込んでしまったらしい。残念でした。

さて、ここで私と103の人のやりかたの違いを比べてみることにする。私は「さらっと」と書いたが実際は結構いろいろやった。ヒッポリュトスが出典だという情報は半ば偶然によるものだ。

まず、『ヴァンパイア』が手元にあったのでボルボを索引で検索、しかし空振り。ヘカテのほうで見てみると、「ボンボー」を含んだ祈祷文のような引用があったのを発見。さらっと眺めてみるに、ヘカテの眷属にモルモというのがある、と書いているので大方ボルボというのはボンボーとモルモの混同による誤読であると見当をつける。またボルボという表記なのにVolvoとあるのはいかにも不自然(ヴォルヴォとするかBorbo, Bolboとすべきだ)な上、北欧の女賢者の総称ヴォルヴァ(Völva)との混同もあったのかもしれない、という感じで単なる誤読説を強める。またVolvoはどうみてもギリシア語ではない(ギリシア語にこんなvの用法はない)。たぶん執筆者はボルボと検索してvolvoと出てきたのでそれを無根拠に書き連ねたのだろう、という推測でまずは第一段階終了。
108の人は残念ながら性善説に立ちすぎていた。そうでなくても「ボンボー」という記述がある、というのをすっかり等閑視してしまっていたのはまずかった。それに『ヴァンパイア』も持っていなかったようだし。私は『ヴァンパイア』の引用を眇め読みして「これは少なくとも日本人による創作ではない」と思い、以下の作業に移った。
ボンボといえばつづりはBomboかBonboしか考えられない。第二音節に長音表記があるので最後のoはオメガだろうと推測し、オンラインギリシャ語辞典で検索。ぴったりの語が見つからない。似たようなつづりの単語を見ても、ヘカテに当てはまりそうな意味はない。おおよそ擬音語・擬態語の類である。モルモと同じようなものか。
そこでhekateとbomboのand検索。かなり多く出てくる。何かヘカテを魔術的存在と崇め奉っているようなページも多かったので(ウィッカかネオペイガンか……)飛ばし、Google ブック検索結果でJoseph Eddy FontenroseのPython: A Study of Delphic Myth and Its Originsにも掲載がある、という情報を得る。Pythonギリシア神話・比較神話学の伝説的大著であってFontenroseは古典文献学者だから、当然学術的に信頼が置けるものだと思われる。リンク先を見ると次のようにPythonに書かれていることがわかる。

Hymn ap. Hippol. Ref. Haer. 4.35 gives Hekate the names Gorgo, Mormo, and Bombo.

Hymnは賛歌。ap.は以下の著作に引かれているということだろう。Ref. Haer.は著作の略号。4.35は4巻35章だろう。Hippolはこれまでの検索結果に表示されていたページにもときどき出てきたヒッポリュトスのことだろうと検討をつけ、Wikipedia日本語版で検索。2番目にある「対立教皇」のほうだろう。異端を批判しているっぽいからヘカテ祭儀もそのなかに含まれていたのかもしれない、と思い英語版も参照。Hippolytus of Rome。そこで「ref」で全文検索。Refutation of all Heresiesという著作があることを知る。Wikipedia英語版に独立項目あり。しかもリンク先に、ちょうどお目当てのBook iv(第4書?)があるページを発見。Philosophumena: Book iv - Hippolytus。Bomboで検索し、『ヴァンパイア』とほぼ同じ祭文を発見。一件落着。
最後にRefutation of all heresiesの邦訳題をおおよそ「全異端駁論」だろうと見当をつけ検索するとレファ協ページで見事にヒット。それを貼り付けて終わりとする。

それにしても108の人は結果的に変な方向に行ってしまって(これだといつまでたってもヒッポリュトスにたどり着かない)面白いのだけど、考えたプロセスというのを客観的に見てみると興味深い、というか非常に役に立つ。「回転する」「巻く」+「三相一体」から「三人一組の糸巻き女神モイラ」を連想するとは、相当神話にてだれた方だとお見受けする。それにしても「ポルポの誤植かも」とかいうところまで言っているのにボンボーを見落としてしまうとは、なんとも教訓的な書き込みである。