『動物シンボル辞典』のギーヴル

の項目に、ヴィスコンティ家の始祖であるウベルディなる人物がミラノにいたギーヴルを退治して土地を開拓したとある。
ではウベルディとは誰か。探しても見つからない。しかし思わぬところにヒントが。
アリオストの『狂えるオルランド』第2歌25-26詩節

その後ろなる者は、そなた[ルッジェーロ]の孫ウベルトにして、
その武勇、イタリアの誉れとなりて、
一度ならずも、聖なる教会、この者の力によりて
蛮族どもより護られることとはならん。
……
ともにあるのは、その[アルベルトの]子のウーゴ、
ミラノを獲ち得て、蛇の紋章その地に掲げん。

脇功(訳)、上巻36ページ。
ここはルッジェーロ(主人公)が子孫たちの幻影を見せられるところ。これはどうみてもヴィスコンティ家のことだろうから、ウベルトが『辞典』のいうウベルティであるのにほぼ間違いはない。ウベルトの父はシャルルマーニュから土地を拝領したとあるから、そのような時代である……しかし!訳注がついていて、「こいつは伝説上の人物だよ」とある。史実として存在した人ではないらしい。さて「……」と略したのは子孫の一人アルベルトのことだが、『狂えるオルランド』を読むかぎりはウベルトとアルベルトの関係がいまいちよくわからない。訳注によるとアルベルトの子ウーゴは1021年ミラノ侯とあり、実在の人物だ。年代的に言うと十字軍の時代である。とにかくアリオスト的にいうとミラノを獲得したのはウーゴであり蛇の紋章を招き入れたのもウーゴである。それ以外にもちょこちょこビッショーネ関係のページを見てみると、どうやらビッショーネの起源説の一つとして「サラセン人から取り入れた」というものがあるらしい。サラセン人はご存知イスラーム教徒へのキリスト教徒側からみた総称。つまり十字軍として戦ったときに「蛇の紋章」を入手したということになる。
ほんとうかな?
たとえば後期帝政ローマにおけるドラコ旗はパルティアだかダキアだかサルマティアだかそのあたりから輸入されたものというのが定説だが、今度もまた蛇の紋章はオリエントから来たのだという。このあたり、まだよくわからない。
ちなみに、ミラノ侯が十字軍に出ていて、その間に赤ん坊が大蛇に食べられているのを急いで帰ってきて退治したが自らの命も落とし、それを記念してこの紋章になったという伝説もあるようだ(Notes & Queries 6th series, 11, April 18, 1885)。これはこれで蛇退治の伝説ではあるが、ウベルディではない。
ビッショーネの周辺はまだわからんことばかりだ。イタリア語が不自由なく読めればいいんだけど、そうもいかないし……。