ミルトンの宇宙人論 ケプラーの夢

月に生命は存在するかコメント欄GreenBardさん指摘の箇所に、もう一つ、宇宙人について語っているところがあったので引用します。

ラファエル:つまり、月に陸地や野原があり住民がいるとすれば、相互に照らし合うということになるのだが、もしそうだとすればどうなのか。(中略)多分、他の幾つかの太陽にもそれぞれに月が伴っており、互にいわば男性と女性の光を交えているのをお前も認めるはずだ。この男性、女性という二つの大いなる性が、おそらく生きものとともに各天体に存在し、かくて宇宙を生々躍動せしめているのであろう。自然におけるこの広大な空間がいけるものによって占められず、ただ荒涼として寂しく、茫漠と輝くだけで、そこに懸る各天体も、ただ光を受けて反射しているこの人間の住む地球に向かって、遥か遠方からどうにか幽かな光を投げかけているにすぎない、とはそう簡単には信じ難いところだ。
平井正穂訳『失楽園岩波文庫版下巻p.53(第8巻145あたり〜160あたり)
(平井さんによるこのあたりの注釈に「アポロによる月からみた地球の写真参照」とあるのは少し面白かった)

何にせよガリレオと親交があって盲目になる前は天体望遠鏡ものぞいていたであろうミルトンによる広大無辺な宇宙論の提示は今読んでも胸がすく思いがするところです。コペルニクスケプラーガリレオといった天文学者/天体物理学者の時代にまさに宇宙論コペルニクス的転回を遂げ、大地と天球によって成り立つ宇宙から(これなら他の天球に生き物がいなくてもあまり寂しくない)、一気に何百万、何億マイルの世界のなかのたった一つに過ぎない星の上に住んでいるという自覚がなされたときの感動(ショック?)はいかばかりのものだったんだろうか。そして、そんな無限の宇宙に同じような星があるのなら、ほかに人間がいないと考えるというのは信じ難い、という考えに到るのも、言われてみれば極自然な成り行きだったのかとも思えてきます。

 前も紹介したケプラーの『夢』は精霊(ダイモン、ケプラーはこれを「知るもの」と掛けている)に連れて行かれてレヴァニア(ヘブライ語の「月」のラテン語形。ちなみに地球は月の住民によってヴォルヴァと呼ばれているとするが、これは古ノルド語の巫女・・・・・・ではなくラテン語「回転」に由来する)へと旅する一種の小説。ただその中身は当代最先端の知識と発想を持って描かれた、「月から見た天体の動き」「月の自然、気候、地理」そして想定されうる「月の生き物」の叙述によって占められています。最後のやつはさほど多く割かれているわけではないのですが。
ではどういうのかというと、

およそこの地上で生まれるものあるいは地上を動きまわるものは、すべて怪物のような大きさに達する。成長の速度はきわめて大きい。だが、あまりに途方もなく巨大な体になるため、みな寿命が短い。(中略)大部分の物は水を潜ることができる。なにしろ彼らはみな自然にしたがって生きているので、非常にゆっくりと息をする。そこで水中では底にひそみ、こうして技術を持って自然に協力するのである。(中略)土の中で生まれたもの 山々の背には多くはないが は、ふつう同じ日に生まれそして死ぬのである。
 一般的にヘビのような種族が優勢である。彼らは、まるで楽しんでいるかのように、真昼時の日光に自分の体をいとも巧妙にさらすのだ。(中略)太陽の熱のために止まった息の根と失った命を、夜になって取りもどす生きものもいる。
 「夢」本文自体は短いのですが、ケプラー自身がつけた注は本文よりも長く、いかに自分の空想が自分の科学的な仮説に基づいたものか、を鼕鼕と説明しています。でも中にはあの「天体は音楽を奏でる」や「アヒルは腐った木の板から生じる」「魂は熱い」のようなオカルチックな説もちりばめられていて、彼のいた場所がどういう時代だったかよぅくわかるというもの。
 「夢」には付記があり、ケプラーはここでより詳細に月に知的生命体がいるはずだ、という論拠を示しています。
 これまた注なのですが、注1のXXVIIIでは、まず月の地形は自然の産物であると結論付ける。しかし、くぼ地の完全な円形、それらの配置、距離の等しさについては「人工的であって、なんらかの建築術的精神によって生み出されたものである」とします。このくぼ地の円形ってたぶんクレーターのことだと思うのですが、さすがにケプラーもこの時代に月に隕石が落ちまくったが大気がないから風化せずにいるんだ、とは想像できなかった模様です。XXIXで「以上のことから、月面にはそのような秩序あるものを建設しようともくろむことのできる生物が存在すると結論すべきであるように思われる」としています。また、注17「月の住民各個の体の大きさは月の山々とは比べものにならないほど小さい」「彼らの数は非常に多い」「目に見える証拠(toro注:クレーターなど)が彼らの巨大な仕事を証明しているのだから、彼らは体の大きさではできないことを人数によってやりとげているにちがいない。いろいろな[地球上の]例としてバベルの塔、エジプトのピラミッド、ペルー地方にある石だたみの非常に長い道路、そしてダッタン人から中国人を守る万里の長城をあげよう」。
そして最後に「したがってこのようにして、(中略)すべて証明されたものと信じる」と書いた後で、「古代の著者によって書かれた次の著作を知ってもらおうと思う」で占められています。この「古代の著者」というのが実はプルタルコス。「次の著作」というのは『月の面』。
 座右の渡辺正雄、榎本恵美子訳『ケプラーの夢』講談社学術文庫にある解説やケプラー自身の言い方によると、この『月の面』というのは古代の月論についての最重要著作であり、月の住民についても書かれているとのこと。でも私はまだ見つけていません。
 ケプラーはこれだけでなく、そうとう詳しく月の構造物についてあれこれ月の住民についての思いを馳せています・・・でもケプラー曰く「冗談半分」と付記の最後に書いてはいるので、いったいどこまでがどうでどうなっているのかこっちとしてもよくわからなくなっているわけではあるのですが。

 構造物からそれを作った存在をイメージするというのは月に限らず19世紀末の火星運河とか、実際に火星や月にカメラが飛んでいってしまってからは人面岩=超古代文明だとか月のタワー=宇宙人の侵略基地だとか、さすがに灼熱の水星金星、ガス惑星の木星土星、ちょっと遠すぎてイメージがわかないその外の惑星については想像力が働かなくなっているようですが、とにかくいろいろあります。ま、これらの惑星についても「宇宙人の証拠」が出てくるのは時間の問題のように思えますが。月がだめなら火星がある、今いないなら過去にいた、ネイティヴでないなら侵略者がいる、地球型惑星がだめなら……。

 あ、ちなみに数日前に「もうやめた」と書いたことはすでに忘れています。


 ところで中国にも壮絶なる宇宙人論があるのですが、誰かここに来る人、知ってますかねぇ? 幻想動物の事典にもチョコチョコ載せているのですが。