知識と情報の仕入れ方

 人が情報や知識を蓄積するのにはいろんな方法があると思います。
 私の場合、情報や知識の中身は記憶しないで、「どこにどんな情報があるか」だけを基本的に記憶しているようです。これは自分が辞書を作っているのに関係してるのかもしれませんが、わかりません。でも、同じ辞書サイトを作ってる人、とくに数千以上の項目があるようなページの管理人さんにはわかってもらえるかも。。。。だから、本体は自分の外部にあるわけで、目次と索引の完備されていない本は嫌いです。ついでに、通読しなければ理解できないような本も嫌いです。だから、以前も書いたように文学作品を読む気になれません。いわば図書館の司書、羅列型リンク集作成者、ネットに接続しただけのパソコンのような感じです。自分の言葉で説明するよりも古典からの引用や他人のページへリンクをはるだけで事足りる、と考えている人です。『イノセンス』の世界ですな。
 もうひとつ、自分の中に情報を詰め込む人もいると思います。そういう人は文学作品は通読するし、解説書でも頭から読むわけです。自分がそうではないからわからないのですが、そういう人はたぶん、ひとつのものをよく理解しようとしている努力家なんだと思います。だから、情報は自分の内部にあるわけで、本はその人の大切な友達です。いわば図書館で本を読む人、他人のウェブサイトを批評するような人、百科事典のDVDが入っているパソコンです。自分の言葉で説明しなければならないし、本に書いてある内容を疑うような人です。
 前者は後者に憧れています。なぜなら、情報の場所だけを知っていても、経路が断たれたらどうしようもないから。
 逆に、後者は前者を知りません。なぜなら、そのようなものは情報の蓄積だと思っていないから。
 後者が前者の書いたものをみると、おそらく「自分より知識がある!」と驚く。でもそれは違う、なぜなら前者のようなことは後者になら誰でも達成できるようなものだから、けれどそこで、そのような情報網を構築する時間があれば自分の頭のなかに知識を溶け込ませようとするほうを優先するだけのこと。
 脳内知識は脳内ネットワークを発達させるが、外部ネットワークは脳内知識を発達させることはない。