図説ヨーロッパ怪物文化誌事典

『図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』蔵持不三也/松平俊久 原書房

立ち読みしてきました。

内容は大きく怪物論と事典の部分に分かれていて、怪物論は色々書かれていたので読み飛ばし。事典のほうをさらっと読んでみたのですが、全体として「神話の怪物」「博物学の怪物」「民間伝承の怪物」「キリスト教の怪物」に分かれています。

そこから判断できることは、著者の知識が非常に偏っているということ。著者は英語やドイツ語、フランス語(と日本語)は読めるのだろうけど、その他の言語や文化に対しての敬意がまったくもって存在しない。これは残念なことです。
事典の本目的が「新しい分類の提示」にあることはわかります。それに事典のボリュームからして、ドラゴンのような重要な怪物でも1ページ程度しか割けないのには同情します。でも、そのなかに「サンスクリットのdrigveshaが語源だという説もある」というのはいかがなものかと(おそらく、参考文献にある『幻想世界の住人たち』を参考にしたのでしょう。ちなみに編集者さん、部ではなく部ですよ。私自身勘違いしていたのでわからなくもないですが)。それと、各言語に気を配ったつもりの凡例がありますが、それで「ニドホッグ」ですか。『マビノギオン』も読まずに「アーヴァンク」の項目を書きますか。オアンネスは相変わらず6,7000年前の怪物なんですか(中学高校レベルの世界史の知識があればおかしいことぐらいわかるはず。早稲田出てるんでしょ?著者は)。鶴首人間(Schnabelleute)は15世紀終りの『ニュールンベルク年代記』が初出?ですと。13〜14世紀ごろの『ゲスタ・ロマノルム』に鶴首人間についての記述があるのを知らないのか。ってたしか『怪物のルネサンス』かそのあたりに書かれていたと思うんだけど。「グリーンマン」という名称についても、20世紀のものだという注釈なし。知らないだけか。
 こんなありさまで、正直言って、事典部分の価値はゼロ。怪物論のところだけにして2,500円程度で売ったほうがずっと良心的です。パタゴニアの怪物スーの歴史なんかは興味ぶかいと思ってくれる人も多いでしょうに。
だいたい、存在しない怪物の歴史的展開をたどっていけば、かならず、英独仏以外の文化に触れる必要が出てくるはず。別にアッシリア語やコプト語や古ノルド語を直接読めとはいってないし、そんなことする必要もないと思うが、少なくともそれらの地域文化の怪物、およびそれをとりまく風俗習慣、歴史、そしてなによりも宗教と神話伝説への理解は必須なはず。ジャン・ボテロの書いた『世界神話大事典』のオアンネスの項目をこの人は読んだのだろうか。ただ単に参考文献の色付けに並べてるだけなのではないだろうか。自分を引き合いに出すのは気が引けるけど、これまで、歴史をさかのぼっていって、先史時代との境目にあるメソポタミアの幻獣やインドヨーロッパ語族の神話を調べていくうちに、いかに世間に流布している怪物についての俗説がトンデモなものかがわかってきた。それらの原因は、古い資料や勘違いを孫引きして、それをさらに権威であるとして何の疑問も持たずに写していくという、誤解の再生産:オリエンタリズム的な構造にあると思う。別に通説を疑えとは言ってない。通説をより深く知ろうという好奇心を持とう、ということなのである。怪物たちのメタ構造を知りたいから、てっとりばやく、そのような再生産された情報を鵜呑みにして並べ立てるというのは、それ自体は悪くない。この人のフィールドである中世・近世西ヨーロッパにおける怪物受容を知りたいのなら、それで十分だし、よけいなことはする必要もない。さらにそこから怪物というものの本質を抉り出すのにも、ヨーロッパ以前、、、、というより、西欧の書物に書かれる以前の歴史的展開はあまりかかわりはない。しかしこの人は余計なことをしてしまったのだ。

 「子供のころから怪物に興味が」「怪物のエンサイクロペディアとして」などと息巻いているが、後者のほうは、やめたほうがいいです。

 怪物論部分については、後日にでも。著者にとってはこっちが重要なんだろうから、事典部分だけを酷評するのは不公平なんでしょうけど。どうせ素人批評なんだし、好き放題言わせてもらいます。

 敬意。そういえば『幻獣大全』はそのような意味では原典やその文化に、かなり敬意を払っています。これはすごいことだと思う。そして、「できるだけ原典をしるしました」とあるように、あちこちに『』書きで原典のタイトルが書かれている。でも、それが巻末の参考資料一覧とぜんぜんリンクしてないのはどうかと思います。『形成』1〜34 とだけ書かれて、そこに『ユングリンガ・サガ』の翻訳があるなど誰が想像できましょうか。あきらかに原典への敬意の払い方を間違えています。原典にのみ敬意を払い、その編纂者、翻訳者、出版社への敬意を忘れているというのは片手落ちです。これが非常に残念なところではあります。でも、確実に、『図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』より価値はある。数倍はある。