ゾロアスター教の悪魔ダエーワについて書いてみた。

 事典の項目にあるのを少し改良。
 Avesta -- Zoroastrian Archivesにあるアヴェスター、ブンダヒシュンなどの英訳も参考にしてみた。ただ、これらは"Sacred books of the east"という東洋の聖典の一世紀以上前の翻訳叢書なので、複雑な部分についてはあまり役に立たないそうです。ただ、私がダエーワを書くにあたって使用した部分はほとんど名前の羅列だけなので、格変化や音韻論が関係するわけで、そういうのはたいした進展はないものだと思われ、そのまま使用しています。
 ただ、アヴェスター語の発音がよくわからん。『ゾロアスター教の神秘思想』あとがきには、angra mainyuのaiはアイではなくアとカタカナ表記するほうがいいらしいですし、確かに岡田明憲さんや伊藤義教さんによるアヴェスター語の邦訳ではそのような表記になっています。しかし、ほかのアヴェスター語の非専門家による訳ではどれもaiは普通にアイと訳しています。ここでは原綴りを正確に伝えるのを優先してアイと表記しましたが、本当はアと表記するのが適切なのかもしれません。アヴェスター語の文法書がほしい。もちろん日本語で(笑)

 今回は、とくに六大魔と、そのアムシャ・スプンタとの関係について書いてみました(近々の更新で事典本体を更新します)。わかりにくいかもしれません。できればわからないところはどんどん書いて欲しいです。というか自分でも理解してないところがあるので。でも今まで一度もそういう書き込みがあったことはないですけど。

 アフラと対立する悪魔的な存在の総称。アンラ・マンユがすべてのダエーワの元締めであり、ダエーワたちはこの世界を戦場にして、アフラ・マズダーの率いる善の神々と戦うのである。
 ザラスシュトラによれば、ダエーワはアカ・マナフ(悪思)の所生であるとされる。これらの悪魔たちは、人々を悪事に導き幸福や快適な生を奪う。汚濁や腐敗を好み、生産的なもの、農耕への従事を嫌悪する。また、火にも近づくことができない。伝説によれば、ダエーワたちはザラスシュトラをその誕生時に襲おうとしたが、燃えていた火があったため、そこに近づくことができなかった。
 マズダー教では、夜に行われる神々への奉献はダエーワ崇拝であるとされ、最も厳しく非難された。

 この2つの勢力による争いというものは、言語的には兄弟関係にあるインドにおける、デーヴァ神族とアスラ神族の争いを思い出させる。しかし、インドではデーヴァが祭司や人々によって崇拝され、アスラが時代が下るにつれて悪魔的な存在になっていくというようにイランとは逆の経過を辿っている。そもそも、イランにおいてもダエーワというのは普通に神々のことを意味していたと考えられる。しかし、ザラスシュトラはその信仰を拒否し、二元論的一神教の立場からダエーワを断罪した。ゾロアスター教徒はダエーワを排斥し、撲滅しなければならないとしたのである。それに反対したダエーワの祭司たちがダエーワに向かってザラスシュトラを呪い殺そうと祈ることもあった。
 ちなみに、ダエーワの没落はザラスシュトラによるものではなく、汎イラン的現象であるとする説もある。この場合、ザラスシュトラは時流に乗って、より厳格にダエーワとアフラ・マズダーの関係を規定しただけ、ということになる。なお、まずインドとイランの対立があって、それにより両地域における神々の地位が逆転した、という説には何の根拠もない。
 この影響はかなり大きかったらしく、アケメネス朝、パルティア時代、時代が下ってサーサーン朝、そしてイスラムの時代になってさえ、宗教の違いがあるにもかかわらず、ダエーワ(デーウ)は悪魔的存在であると、一貫して考えられるようになった。

 すべてのダエーワの筆頭とされるのが、一般的には1アカ・マナフ 2ドゥルジ 3サウルワ 4タローマティ 5タウルウィー 6ザイリチャーだとされる、6大魔である。この大魔6にアンラ・マンユを加えた7の存在が、スプンタ・マンユをを加えた6つのアムシャ・スプンタ(大天使)に対抗するとされている。しかし、最古のザラスシュトラの思想を伝えるとされる「ガーサー」では3以下の名前は見えず、「ヴェンディダード(除魔法)」でようやくそのリストが登場するようになる(上の「一般的な」リストとは異なる?)。とはいえ、「ヴェンディダード」においても大魔は名前がリストアップされているだけで、その性質や機能、特徴は、はっきりとしているわけではない。また、アムシャ・スプンタとの対応も見られない。
 「ヴェンディダード」第10章では、まず筆頭にアンラ・マンユを退散させる聖句がある。次に、死体を汚すナス。ここには本来はアカ・マナフが入るはずだが、この章全体が死体の穢れを除くものなので、ナスが優先的にリストの冒頭に入ったのだろう。次にインドラ(ドゥルジではなく。以下同)、サウルワ、ノーンハスヤ(タローマティではなく。以下同)。そしてタウルウィー、ザイリチャー。それ以降、アエーシュマ、アカタシュ、ワルニヤなどの悪魔がリストアップされている。
 「ヴェンディダード」第19章第43節以降にもこのリストが見られる。まずアンラ・マンユ。そしてインドラ、サウルワ、ノーンハスヤ、タウルウィー、ザイリチャー。さらにアエーシュマ、アカタシュ、以下いくつかのダエーワの名前が挙げられている。アカ・マナフの名前はここにもない。
 後期の中世ペルシア語(パフラヴィー語)文献『ブンダヒシュン』にも同様のリストは見られるが、「ブンダヒシュン」においては、各々の役割はある程度明記され、さらにアムシャ・スプンタとの対立もはっきりと書かれている。
 『ブンダヒシュン』第1章第23節以降に、彼らの誕生の神話がある。まず、善霊オフルマズドはウォフマンを創造した。それに対抗し、アフレマンはまず虚偽を、そしてアコマン(アカ・マナフのこと。悪思)を創造した。続いてオフルマズドは6柱の大天使を創造した。これに対抗して、アフレマンはアコマンに続き、アンダル(インドラのこと)、ソウァル(サウルワのこと)、ナカヘド(ノーンハスヤのこと)、タイレウ(タウルウィーのこと)、ザイリク(ザイリチャーのこと)を創造した。
 第28章第7節以下では、これら悪魔の役割が説明されている。しかし、ここではナカヘドの名前はナイキヤスとなっているなど、名前が多少異なっている。「これら6柱の存在は、悪魔のなかの大魔である」(第12節)。続いていくつかの悪魔の名前があるが、ヴェンディダードとは違い、エシュム(アエーシュマ)やアカタシュなどの順番は異なっている。
 このように、「ブンダヒシュン」ではアカ・マナフの名前は明記されているが、『マヌシュヒフルの書簡』(Epistles of Manushchihr)第10章第9節では忘れられているようである。そこには、アインダル、サル、ナキシイヤ、タウイレウ、ザイリクの名前だけが挙がっている。
 別の資料でも、アコマン、インドラ、サウル、ナオン・ハイスィヤ、タロマト(=ナオンハイスヤ)、タイリチ、ザイリチがあげられている(『大ブンダヒシュン』第1章第55節、第5章第1節、第27章第5〜12節、第39章第27節)。
 最終的には、この大魔たちは対応する大天使に敗れることになる(『ブンダヒシュン』第30章第29節)。ウォフマン(ウォフ・マナフ)はアコマンを、アルドワヒシュト(アシャ・ワヒシュタ)はアンダルを、シャフレワル(クシャスラ・ワイリヤ)はサウァルを、スパンダルマド(スプンタ・アールマティ)はタロマト=ナウンガスを、ホルダードとアムルダードはタイレウとザイリチを、善なる語は悪なる語を、スローシュ(スラオシャ)はエシュムを倒す
 アムシャ・スプンタと大魔の対応は、アヴェスターには見られず、後期のパフレヴィー語文献に初めて見られるものである。そのため、この対応(対立)をアヴェスター以降のゾロアスター教の神学において確立されたのだとする考えがある。なお、プルタルコスの『モラリア』には、善神が6柱の神を創造したのに対し、悪神が同様に6柱の神を創造したとある。

 注意してほしいのは、ザラスシュトラ以前に崇拝されていた神々がことごとくダエーワに貶められたというわけではないことである。このことを考えるに当たっては、まず、イラン人がインド人と世界観を共有していたインド-イラン先史時代の神々の構成を想定する必要がある。
 インドのヴェーダもイランのアヴェスターも、最も古くて紀元前10世紀をややさかのぼる程度の古さである。しかし、ミタンニとヒッタイトの条約文は前1380年にさかのぼるものであり、さらに、双方の神々が列挙されている。そのうちのミタンニのほうに、以下のリストが見られる。
 ミトラ、アルナ(ウルウァナ)、インダラ、ナティヤナ
 このうちヴァルナを除く3神はイランにおいてもインドにおいても共通して見られるものである。ミタンニがインド-イラン人とどのような関係にあったのか、詳細は分かっていないが(何らかの深い関連があったのは固有名詞の共通性から見て明らかである)、年代の古さなどから考えると、ミタンニの条文にある神名リストは、インド-イラン人の、両者における先史時代の信仰をかなりの割合で留めていると思われる。
 インドのヴェーダにおいては、まず『リグ・ヴェーダ』で全体の1/4もの賛歌が捧げられているインドラ、50ほどの賛歌が捧げられているナーサティヤ双神が知られている。インドラもナーサティヤ双神もデーヴァ神族であり、ヴェーダの時代から今日にいたるインド宗教のシステムにおいて常に最も主要な位置を占めている神族の代表であったと言える。
 それに対してミトラとヴァルナはアスラ神族である。両者ともアーディティヤ神群の筆頭として知られ、ヴァルナは厳格にして畏怖を与える神であり、宇宙の法則リタの守護者である。ヴァルナは語源的にはギリシアの天空神ウーラノスと関係があるともされるが定かではない。ミトラは語源的にも実際にも契約の神ではあるが、あまり性格ははっきりとしていない。この2神はヴェーダ以降はその重要性は失われていくが、宇宙の法則や契約を支配するアスラ神族の長として、重要な役割を果たしていたものだと考えられている。
 このヴァルナ、ミトラ、インドラ、ナーサティヤ双神は、インド・ヨーロッパ語族の「三機能イデオロギー」の代表的なものである。つまり、それぞれ「二重の主権(ヴァルナ=祭祀的、ミトラ=立法的)」「戦闘(インドラ)」「豊穣性(ナーサティヤ双神)」という機能を持っている。前14世紀のミタンニの条約文にある神々の配列は、この構造を知られる限りの最も古い形で保存しているものだと考えられる。
 ゾロアスター教においても、これらの神々は知られている。しかし、それはザラスシュトラ宗教改革によって、かなり変更が加えられている。すなわちミトラはミスラであるが、ザラスシュトラなどによる最古の詩「ガーサー」にはその名前は見られない。ところが後代にミスラ信仰は復権し、ヤザタ(善霊)として善の軍勢の一員となる。ヴァルナについては、この神の祭祀的主権という機能、アスラ神族の長であるということ、リタを守護することなどから、ゾロアスター教・マズダー教の最高(唯一)神アフラ・マズダーになったという説がある。
 しかし、デーヴァ神族であるインドラとナーサティヤ双神は、アヴェスターにおいて悪の地位に貶められてしまった。それぞれインドラとノーンハスヤという名前として、ダエーワのリストに加えられたのである。また、ヴェーダにおいては戦闘機能を持つルドラの異称であったシャルヴァ神は、ゾロアスター教ではサウルワという悪魔にされてしまっている。
 インド・ヨーロッパ語族の「三機能イデオロギー」による3分された神々は、ザラスシュトラによって名前こそ剥奪されたものの、宗教的な抽象的語彙を新たに身にまとい、大天使アムシャ・スプンタとして進化を遂げた。ヴァルナはアフラ・マズダーとして完全な主権神に昇華し、その下に第一機能(主権)たるウォフ・マナフ(ミトラ)とアシャ(ヴァルナ)、第二機能(戦闘)のクシャスラ、第三機能(豊穣性)のハルワタートとアムルタート、そして三機能を行き来する女神アールマティとなったのである(だが、この説に反対する有力なイラン学者もいる)。
 このように新たな名称が設定されたため、アスラ神族のミトラは難をのがれたものの、デーヴァ神族のインドラとナーサティヤ双神は名前だけは残り、中身は性質のはっきりしない悪魔に変換されてしまった。また、シャルヴァも悪魔にされてしまったことについては、インドラやシャルヴァなどの戦闘神を信仰する集団(男性結社)が強固な固有的倫理に基づいており、宗教改革にあたっては、まずこれを徹底的に攻撃する必要があったからだと考えられている。
 新層アヴェスターやパフレヴィー語文献では、ミスラやワユ、ウルスラグナといったインド-イラン的な神々が続々と復権している。彼らのもといた地位は倫理的な存在であるアムシャ・スプンタに取って代わられていたが、その下位にあるヤザタとして人々の信仰の中に再び認められるようになったのである。これらの神々は一度もダエーワにされたことはない。それは、宗教改革のとき、ザラスシュトラらが、多くを倫理的・宗教的な言葉によってまとめようと努力したことから説明できるかもしれない。主要な悪魔はアンラ・マンユ(破壊する霊)、ドゥルジ(偽)、アカ・マナフ(悪思)のように抽象的な語彙からそのまま名前を採っており、宗教改革者たちは心太式に突き出されたインドラなどの固有名詞的な神々を二次的に悪魔の列に(それでも充分主要な位置を占めてはいるが)入れたからだ、とも考えることができるだろう。